第三九七話、空を飛ぶもの
アルトヴュー王国。リッケンシルト国東部地域と国境線が接する国。
王都ドロウシェンより北にある城塞都市キュルテに、現在アルトヴュー王国の国王フォルトナーはいた。
邪教集団トラハダスによって王都が壊滅したことにより、キュルテにて王は国を動かしているのだ。
深い雪に覆われたキュルテの町並み。王が仮の住処としているゾルヌーク城にて、フォルトナー王は朝早くに目が覚めた。
普段はもう少しまどろみの中にいるのだが、今朝は違う。ベッドから出て、召使いたちが着替えをさせる中、王は問うた。
「伝書鳥は来たか?」
「……いま使いを出しております、陛下。特に問題がなければ、もう間もなくかと――」
「問題などあるはずがない」
フォルトナー王は、鏡を見やり、顔をしかめてみせた。
「あのハヅチ将軍だぞ? 遠く国を離れながら、私への定期的な連絡を欠かしたことがない男だ」
「左様でございます」
着替え終わり、髪の手入れが済んだことで、召使いたちは頭を下げた。
フォルトナー王は自室を出て、執務室へと急ぐ。すると通路の反対側から、手にロールをもった騎士と召使いがやってくるところだった。二人は、王の姿に気づき、すぐに頭を下げた。
王は思わず相好を崩した。
「おお、来たか!」
「はい、陛下。これに!」
騎士は、恭しく手にしたロールを差し出した。フォルトナー王はそれをひったくるように受け取ると、執務室へ歩きながらその場でロールを広げていた。
「……ふむ、間違いなくハヅチ将軍からだな」
ひとり呟く。その口調はどこか楽しげで、いや実際、この手紙を待っていたのだ。
魔人軍の進出や、先の王都での怪獣など、こと最近の話題は暗いものばかりだった。フォルトナー王にとって、隣国で戦う傭兵が送ってくる手紙は数少ない楽しみのひとつとなっていた。……そんなわけなので、隣国で起きている戦争の様子や、ウェントゥスが傭兵団から傭兵軍となり、さらに慧太が将軍となったのも知っているのである。
「戦況報告。うぇんとぅす傭兵軍、城塞都市めるべんヲ奪回ス。王都えありあハ目前ナリ――おお、なんと!」
五十も半ばになって、まるで子供のように驚く王。そのまま執務室へと入る。
そこにはすでに、王の顧問団がいた。王が執務にかかった時、万事怠りなくそこにいるのが彼らの仕事である。
『おはようございます、陛下』
顧問団が一斉にあいさつをする。フォルトナー王は「うむ、おはよう」と答えると、執務席につき、ロールを読みながら告げた。
「ハヅチ将軍が、リッケンシルト中部へ乗り込みおったぞ。王都エアリアの目の前まで迫りおった!」
「おお!」
顧問団は声を上げた。
「国境の敵軍勢を蹴散らしたばかりだとお聞きしたのに!」
「まさに快進撃でございますな!」
「うむ、さすがはハヅチ将軍だ」
フォルトナー王は上機嫌である。……どことなく、ハヅチ将軍がアルトヴュー軍の将軍であるかのようなふうに聞こえるが、顧問団でそれを指摘する者はいない。せっかくご機嫌の王に、言わなくてもわかっている事実を突きつけるほど野暮ではないのだ。
「本当に、春までにリッケンシルト国から魔人軍を駆逐してしまうのではないか?」
「そうなれば我が国の防衛計画自体、見直しが必要になりますな。……もちろん、よい意味で」
顧問団は追従するように言った。フォルトナー王は顎に手をあて思案する。
「数の上では劣勢なれど、主力となっているジパングーの兵というのは精強だな。そしてその精鋭を巧みな用兵術をもって敵を退けていく。これに白銀の勇者であるセラフィナ姫が加わり、まさに常勝無敗」
「されど、陛下――」
顧問団の一人が伏し目がちに告げた。
「リッケンシルトの王都エアリアには、相当な戦力の魔人軍がいるとのこと。ウェントゥス軍が、これを破るか否かは、予断を許さないものと思われます」
「無論だ」
フォルトナー王は真顔で頷いた。
「ハヅチ将軍とセラフィナ姫ならやってくれると思うが……今しばらくは、心安らかに眠れぬ日々が続きそうであるな……」
顧問団は、心中を察するとばかりに、一斉に頭を下げた。
・ ・ ・
空は寒い。冬であることを差し引いても寒い。たっぷり防寒着をまとい、その内側に魔石屑を利用した懐炉をしこたま身に付けても、寒いものは寒かった。
「……旦那! もう間もなく、城塞都市メルベンですぜ!」
前に乗る盗賊の頭目じみた風貌の男、カルヴァンが振り向きながら叫ぶ。風を切る音のせいで、声を張り上げないと聞こえないのだ。
「寒い! 死ぬ! 死んでしまう!」
そう叫んだのはドロウス商会の若頭であるカシオンである。遠くライガネンの地から、ウェントゥス傭兵軍の飛竜――等級ではワイバーンである――の背に乗り、はるばるリッケンシルトにやってきたのである。
ウェントゥス軍補給部門のカルヴァンの外見はむさ苦しい。対するカシオンはハンサムな黒人男性。同じ飛竜の背に乗っているそれは、まるで船頭と貴族のようだった。
「よく、この寒さでも平気な顔をしていられるな!」
「えー? 何です?」
前にいて、カシオンより冷たい風にさらされているはずなのに、笑みさえこぼす余裕があるカルヴァンである。
何故、ライガネン王国の大商人が、飛竜に乗ってわざわざリッケンシルトに来たのかと言えば……端的に言えば、お得意様の顔を見に来た。
魔人軍と戦うウェントゥス傭兵軍は、ドロウス商会を通して食糧を買っている。季節は冬であり、その大半は保存食であるが、余剰分が腐るほどあるわけでもなく、割高なのは否めない。これが他の季節であるなら、もっと安く済むのだが……まあ、とにかく高い金出しても買ってくれるなら問題はない。
食糧の代価は魔人との戦闘で得た戦利品である。ライガネンより東の国々は、ガナンスベルグ帝国の侵略が迫る国々は、武器を欲しがっている。出せば即売れる状態であり、そのおかげで、ウェントゥス軍への食糧供給にも今のところ問題ない。もし、北での戦争の気配がなければ、このバランスが崩れていたのは間違いない。……戦争は不幸であるが、何が幸いするかわからないということだ。
そのあたりの事情説明も込みで、今後の取り引きと、商品となるものを現地での確認をカシオンは行うつもりだ。もし前線の兵たちが何か欲しいものがあれば、それも商品として扱えないか、など……。
欲しいものといえば――カシオンは口を引き結ぶ。ハヅチ将軍――カシオンもまた、彼が団長から将軍になったことを知っている――ないし、サタニア嬢(彼はサターナの本名を知らない)に話を通す必要があった。
むしろ、こちらが本命だった。
カシオンはひとつの重要な案件を持って、慧太たちと直接交渉するためにリッケンシルトまで足を運んだのだ。……氷漬けで死にそうだけどな!
やがて、カルヴァンの飛竜輸送部隊は、保存食を抱え、城塞都市メルベンへと到着した。
寒さで震えが止まらないカシオンが、飛竜から降りる。近くに屋根と壁付きの休憩所があって、焚き火もあった。もう何も言わずカシオンはそちらに速足で向かった。本当は走りたかったが、長時間座っていたのと寒さで無理だった。
「大丈夫かい、旦那?」
カルヴァンが、ゆっくりと後からやってきた。焚き火の周りに獣人が暖を取っていたが、カシオンは気にかける余裕もない。
「大丈夫なものか! くそっ。空の旅が、こんな快適なものだとは思わなかった!」
どう見ても皮肉である。これを額面どおりに受け取る者はいないだろう。
「でも速かっただろう?」
カルヴァンは意地の悪い笑みを浮かべるのだった。
本当のことを言えば、この余計なお荷物のせいで、いつもより余計に時間がかかっている。本当は人間を載せる場合、もう少し休憩をこまめにとるのだが、カルヴァンはわざと休憩回数を減らした。……あまり快適な旅などされたら、困るからだ。
輸送部隊を預かるこの分身体は、カシオンの本当の狙いについては知らない。だが、とある『提案』を持ち出す可能性について、頭の中ですでに予想がついていた。
カシオンほどの大商人が、まったくこれに触れないなどありえない。その提案がなされるのが早いか遅いかの違いである。
飛竜輸送に同行させてくれと頼まれた時、その予想された提案がいよいよ近づいてきたことを予感した。
だからこそ、『二度と空の旅などごめんだ!』と思うようなスケジュールを組んで飛行したのだった。それが吉と出るか凶と出るかは、カシオン次第だった。
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