第三九六話、デスロードからの生還
第一軍が王都エアリアに到着した時、その戦力は出撃時の半分にまで減っていた。
王都を囲む城壁から、帰還した第一軍の様子を見る第四軍指揮官のベルフェは、ふだんの無表情を保つことができなかった。
――まさか、あのお姉様が率いる軍が、こうも手ひどくやられるなんて……!
出撃した時の堂々たる軍勢――それを保っているのはわずかな部隊だった。大半は傷つき、薄汚れ、兵たちの足取りも重い。
魔鏡の奥の緑色の瞳を揺らし、幼女の姿をした魔人軍将軍は、第一軍に何が起きたのかに思考がいった。
ゲドゥート街道の名は、魔人軍にとって忌むべきものとなった。
第二軍の精鋭・魔騎兵部隊が失われた戦いに引き続き、第一軍の五個連隊中、三個連隊が壊滅するほどの大損害がもたらされたのだ。
メルベンへ行く道中はまったく障害もなかった第一軍の移動。だが、王都への帰還の際、ウェントゥス軍は猛攻撃を仕掛けた。
その攻撃を担ったのは、竜騎兵戦闘大隊だった。
戦闘爆撃を担う竜『ドラグーン』と、より大型の二十メートルクラスの竜『タイラント(暴君)』と名づけられた竜、そして『ワイバーン(飛竜)』と、種類に応じて名前を与えられた分身体竜たちは、それぞれの役割に応じて部隊を編成している。
森に左右を囲まれた街道を進む魔人軍の隊列は細長く伸びていた。上空から見れば、まさに攻撃してくださいと言わんばかりの無防備ぶりである。飛翔兵の部隊を失った時点で、魔人軍の対空能力はほぼ失われていたのだ。
ドラグーン中隊に護衛されたタイラント飛行隊は、街道に沿って真っ直ぐ飛行すると腹に抱えた爆弾を適当な間隔で投下した。
これに魔人軍後方の部隊が巻き込まれた。爆弾は容赦なく魔人兵を巻き込み、吹き飛ばす。
左右の森へと逃げたのは幸運だった。敵から逃れようと前が混雑しているのに関わらず街道に沿って逃げようとした者たちは、爆撃の犠牲となった。
……竜巻から逃げる者が、竜巻の進行方向上へ逃げて追いかけられる――それと同じ光景である。進行方向から逸れれば助かるのに、切羽詰るとそんな簡単な事さえ失念してしまうのだ。
第一撃で手痛い打撃を受けた第一軍だが、さすがに次にやってきたタイラント飛行隊の爆撃に対しては、森に退避することで損害を抑えた。
それならばと、タイラント飛行隊は三回目の爆撃を街道上にばら撒いた。今回も魔人軍は森に隠れてやり過ごしたが、今度の爆弾は爆発しなかった。
不発弾。
槍のような形をした爆弾が街道に突き刺さっている様は、なかなかに異様だった。だが爆発しないということは、爆弾に見せかけた槍だったのか。ひょっとしたら敵は、街道に障害物をばら撒くことで足止めをしようとしているのではないか――
魔人兵たちが、それに近づいた時、その爆弾は起爆した。シェイプシフター式地雷と同じく、敵が近づくことで自爆するタイプ。それ以後、魔人兵は不用意に爆弾に近づくのをやめた。
だが、それ以後、タイラント飛行隊は爆撃をやめた。
遙か上空に留まり、街道上の様子を観測する側になったのだ。
ここからの爆撃の主役は、ドラグーン中隊とワイバーン中隊に移った。爆撃を警戒する魔人軍が飛竜の姿を見た途端に森に隠れるなら、森を低空で飛んだ飛竜らが街道に差し掛かった瞬間、爆弾を落とす。
つまり、一撃離脱である。
上空からタイラントが観測し、攻撃目標までドラグーンないしワイバーンを誘導。誘導されているほうは、魔人軍の姿を直接見ていない。ただ街道に達したら爆弾を落とすだけである。
結果、不意打ちの爆撃に魔人軍の行軍は大幅に遅延を強いられた。街道を移動すれば、どこからともなく飛竜が現れ、爆撃して去っていく。かといって、大集団が森の中を進むのは難しい。
では夜、空を飛ぶのが難しい間に移動すれば――第一軍幕僚たちが、そうシフェルに進言したのは自然の流れだった。
だが、過去に夜目の効く生き物を取り込んだシェイプシフターは、夜の闇でさえ問題としていない。
夜のうちに距離を稼ごうとした魔人軍の隊列に、狙いすました猛爆撃が加えられた。
闇の中の行軍は夜目が効く魔人はともかく、夜の視界に慣れていない種族によって更なる混沌を生み出した。
街道に群がる竜たちによって、魔人将兵の血が大地を赤黒く染める。
かくして昼夜問わず爆撃にさらされた。第一軍は撤退は遅々として進まず、無数の屍の山を築いた。王都に到着した頃には予定の三日は遙かに過ぎており、食糧も尽きた満身創痍の状態となっていた。
これが、ベルフェら王都にいた魔人軍将兵が見た、第一軍の姿だった。
なお、魔人軍に大打撃を与えたウェントゥス傭兵軍だったが、これまで参加したどの戦いの中でも一番『喪失』が多かった作戦となった。
ウェントゥス軍は自前の装備も自らの身体を変化させている。それは爆弾も例外ではなく、今回の第一軍攻撃に投下された爆弾の量は、兵の数にすると約四〇〇人分に相当した。反復攻撃の結果とはいえ、比較的規模の大きい空爆を行うと、シェイプシフターもその身体の消費が大きい。のべつ幕なしに使えるというわけでもないということだ。……不足する分は、敵兵の死体処理で賄えるといえばそうではあるのだが。
そのウェントゥス軍主力は、第一軍が撤退した二日後に、城塞都市メルベンを再奪回した。
・ ・ ・
王都エアリア、ハイムヴァー宮殿の庭を、ベルフェは歩いていた。
緑色の外套をまとい、うっすらと雪が積もった中庭に足跡を刻む。魔鏡の奥の瞳は、その幼い顔立ちに反してとことん冷めていた。
『すまんな、ヴェランス大佐、わざわざつき合わせて』
『いいえ、伯爵閣下』
隣を歩くは、青顔の騎兵将校であるサージ・ヴェランス。なおその後ろには三ミータほど離れて、ベルフェの副官であるアガッダがついてきている。
『ずいぶんと手ひどくやられたものだな』
『返す言葉もありません』
『……ウェントゥス軍は、常にボクらの予想の先を行っている』
ベルフェはちら、と長身のヴェランスに視線をやった。
『以前、ボクは敵飛竜は移動用だとお姉様の前で述べた。それがどうだい。いまの連中はその飛竜を用いた空中襲撃戦法を叩きつけてきた』
何とも後味の悪いことだ、とベルフェはため息をついた。シフェルは宮殿に到達早々、自室にこもっている。遠征の疲労もあるだろうが、それだけではないだろう。
『まるでボクが皆に嘘を教えたみたいな形になっている。……お姉様は恨み節だったのではないかな?』
伯爵閣下は悔いていらっしゃるのか――ヴェランスは、ベルフェからそのように感じ取った。
『ウェントゥス軍が急速に力をつけている、ということでは? グスダブ城の戦いで飛竜による攻撃を行わなかったのは、まだ能力がなかったからだと推察しますが』
『ボクは、お姉様の話をしている』
『失礼しました、伯爵閣下。……シフェル様は、伯爵閣下のことでどうこうと非難されるようなことは口にしておりませんでした』
『内心ではどう思っているか、疑問ではあるがな』
ベルフェは、かすかに笑ったようだった。自嘲だろうか。
『事のほか、最近の戦闘は、お姉様にとってはショックの連続ではないか。……練りに練っていた春の大攻勢にケチがついてから、こちらの打つ手が裏目に出ている。第一軍は、いくつ連隊を失った?』
『五個連隊を完全に潰されました。二週間も経たずに』
そのうちのひとつは、他の軍にはない飛翔兵連隊。第一軍の他軍にない利点が失われた。
『これほどの大損害は開戦以来はじめてだな。プライドのお高いお姉様には、さぞ不愉快でたまらないだろう。精鋭七軍でここまで被害が出た部隊はいない。あの単細胞の第二軍でさえ、消耗は二個連隊程度で済んでいる』
ベルフェは、ふと立ち止まった。寒々とした黒雲に覆われた空。雪が降りそうだった。
『ボクには、ウェントゥス軍がボクらに与える情報を吟味して、こちらの予測を逆手にとっているような気がしてならない』
『……』
『とりあえず、ボクらはこれ以上、遠征して戦うだけの物資を失った』
第四軍司令官は、再び歩き出す。
『リッケンシルト駐留軍は、今いる場所から身動きできんということだ。幸い、王都を守るだけの戦力は揃っている。春が来るまで、ウェントゥス軍が王都を攻め込むことがなければ、ボクらの戦争はしばしお休みだな』
『ウェントゥス軍は、どう出るでしょうか?』
『それは連中の指揮官次第だな』
ベルフェは突き放すように言った。だが、と小首をかしげ、唇がふでふでしい類の笑みの形に歪む。
『ただ、この冬のあいだに王都に侵攻してくるよ。ボクが指揮官だったら、確実にね』
第四軍の幼女伯爵は確信していた。




