第三九五話、大敗北
空中で行われた魔人軍飛翔兵部隊と、鷹の大群の戦闘は、遠く地上からでも見えた。
退避していた狐人ロングボウ部隊の面々も、そのあまりの光景に呆然となっている。
「……あれはいったい何なんだ」
弓隊を率いるボーゲンは呟いていた。
数え切れないほどの鳥の大群が魔人軍を包み込み、啄ばむように襲い掛かり、叩き落していく。そんな光景を目にするのは初めてだし、実際ありえないような状況だった。
「姐さん、どうなってるんです?」
野生の鳥がこのような行動をとるのが信じられない。その心境を同意して欲しくて口にした言葉。ボーゲンとしても答えを期待したわけではないが、リアナはこの状況にも微塵も驚いた様子はなかった。
「ケイタがやった」
「ハヅチ将軍が……? いや、嘘でしょ!?」
まわりの狐人たちも驚く。
「いやいや、こんなこと、人間業じゃないですよ!」
「確かに人間業ではない」
リアナは無感動である。
「でも、彼でなければこの状況は生まれなかった。魔人軍の飛翔兵部隊によって厳しい状況に追い込まれていた……それは間違いない」
「いったい、どうやったらこんな……」
ボーゲンは自身の狐耳を撫でるようにかいた。
「ハヅチ将軍ってのは、化け物の類か何かですかい?」
何と評したらいいかわからず、皮肉げにボーゲンは言った。正直、リアナの言葉も信じがたい。
だがそのリアナは、珍しく、かすかに口もとを笑みの形にゆがめた。
「間違ってはいない」
そう言うと、狐人の暗殺者少女は踵を返した。
「合流するよ」
「了解、姐さん」
行くぞ――狐人たちは移動する。
・ ・ ・
「シフェルの飛翔兵連隊は壊滅、っと……」
ふふっ、とサターナは思わず笑みをこぼした。
森の中を走るゲドゥート街道、その森の切れ目付近に、慧太とサターナ、そしてウェントゥス軍の騎兵一個中隊が待機していた。
遠くではあるが、空中戦の様子を見ていた。もし、援軍が必要なら、待機している騎兵中隊を鷹型に変身させるつもりだったが、その必要はなかった。
「ふふ、面白いわ。飛翔兵を鳥が破るなんて……。普通は、個体差とか考えて、少しでも強そうなもので挑もうとするものだけれど」
サターナは、慧太に抱きついた。……セラがいないと、お肌の接触的な甘えを見せてくる娘である。
「まさか、鳥――鷹とはね。ワタシは飛竜で挑むと思ってたのに」
「図体の差で苦戦すると言ったのは君だろう?」
慧太は首を傾け、間近にあるサターナの顔を見やる。
「小さければ小回りが効く――君の言葉がヒントになったんだ」
「あら、そうだったの? お役に立てて光栄だわ、お父様」
「翼を持つ魔人の兵士っては、オレの世界で言うところの対地攻撃ヘリみたいなものだ。地上の敵には圧倒的に有利だが、空中での機動には無駄も多い。その点、鳥の形は空中に特化した戦闘機みたいなものだから、身体に無駄がない分、空中戦では有利だ」
「それにシェイプシフターだから身体は頑丈、しかも戦闘を行うに足る知識と戦術、そして連係をそれぞれが持っている……」
サターナは笑みが止まらなかった。
「つまり、ワタシたちは圧倒的に有利だったわけね」
旧日本海軍に零式艦上戦闘機――通称『ゼロ戦』という戦闘機があった。
長い航続距離と比類なき格闘性能を備えたその軽量戦闘機は、防弾装備がなく、紙のような装甲だったが、ベテランパイロットたちが駆るそれらは敵戦闘機に対して無敵に近い活躍を見せた。大戦中期以降はそのベテランが減った上に、紙装甲だったのが仇となり苦戦を強いられたが……。
例えるなら、そのゼロ戦に装甲をつけて、なおかつ格闘性能を維持した戦闘機みたいなものがシェイプシフター鷹と言える。……この例えを口にしなかったのは、果たしてサターナに理解してもらえるかわからなかったからだ。いちおう、慧太の知識を取り込んでいる彼女ではあるが……。
ともあれ。
「これで、第一軍でもっとも警戒すべき飛行部隊をほぼ片付けることができた。これは今後、こちらが制空権を握ったことを意味する」
敵飛翔兵による対地攻撃を気にすることなく、逆にこちらの空中襲撃部隊が魔人軍を空から爆撃を仕掛けることができる。
魔人軍が本国から空中戦闘部隊を新たに派遣しない限り、リッケンシルトの空は、ウェントゥス軍が支配するのだ。
シフェルが城塞都市メルベンというエサにまんまと引き寄せられ、失った一個飛行連隊は、戦略的、戦術的に取り返しのつかないほどの痛手である。
「さて、彼女はどう出るかな」
慧太の呟きに、サターナはその艶やかな唇を指でなぞった。
「最終的な選択肢は一つでしょ。メルベンを放棄して王都に逃げ帰る。もたもたしていたら、メルベンに出撃させた部隊を全滅させるだけ――そこまでお馬鹿さんではないわ」
「留まれば餓死。そうでなければ王都へ、か。……相手が何をするのかわかっているのだから、次の手を打たないとな」
・ ・ ・
『壊滅……!』
城塞都市メルベン、魔人軍本営。シフェルの元に、第一強襲飛翔兵連隊の兵がもたらした報告は、まさに衝撃だった。
猛禽の群れに襲われ、連隊は壊滅。指揮官、エル・ブラほか部隊の大半が戦死。メルベンへ帰還できたのはわずか一〇名。他にもいる可能性はあるが、おそらく多くはない。
『そんなものを信じろというの!?』
圧倒的多数の鳥の集団に襲われた、ということ自体がすでに眉唾ものなのに、それで天下の飛翔兵連隊が全滅に近い損害を受けたという。
ありえない、信じられない。飛竜の谷に突っ込んで、そこに住まう飛竜に襲われたというのなら話はわかる。だがそれよりも遙かに小型で、ふだんは狩りで落とすような鷹などに集団で襲いかかられたからと、連隊がやられたなど……。たった数名の分隊がやられたのともわけが違う。八〇〇人近い兵が戦死したのだ。
戦いと名のつくものにあって、このような鳥の大集団にやられた、などというのは歴史上、存在しないだろう。
これは神の悪戯か。
唇を噛み締め、目を潤ませながら、必死に内側からこみ上げる罵詈雑言を押さえ込むシフェル。
幕僚も他の連隊長も言葉もない。シフェル同様、皆がもたらされた報告が信じられない思いだった。……中には、とても公にできない大失態をやらかしたのを誤魔化すために荒唐無稽な報告をしたのでは、と疑うものさえいた。
『閣下』
第一騎兵連隊を指揮するヴェランスが、静かな口調で言った。
『メルベンから撤退を。王都に引き返しましょう』
『……撤退?』
ギロリ、と血走った目で、シフェルは青顔のコルドマリン人指揮官を睨んだ。
『取り戻した町を明け渡せというの!? ほとんど何もしてないまま、連隊ひとつ失って!』
『いま下がりませんと、我々は全滅します』
ヴェランスは、シフェルの怒りを正面から受け止め、諭すように告げた。
『ここに留まれば、王都から食糧支援を求めねばなりません。そうなればわが軍の食糧事情はさらに悪化します。仮に王都から支援が得られることになっても、おそらくウェントゥス軍はメルベンと王都の間の補給線を叩く行動に出ると思われます。結果、補給は届かず、我々はメルベンで餓死するでしょう。……戦うことなく、九千近い将兵が無為に全滅します』
『……ッ!』
歯が折れるのではないかと思うくらい美貌の女将軍は羽を噛み締めた。周囲の将校たちは、彼女の叱責を恐れ身構えるが、ヴェランスだけは表情を崩すことなく、自らの指揮官を見つめる。
『虎の子の飛翔兵連隊を失った』
ぽつり、とシフェルは言葉を漏らした。
『遠征した分、食糧を浪費した。何の成果もあげられなかった』
『それが敵の策でした』
メルベンを守ることなく、あっさり手放した。すべては魔人軍の食糧備蓄にダメージを与えるために。
『わたしは他の将軍たちからの笑いものだろうな……!』
乾いた笑いが本営に響く。シフェルは金色の髪をかきあげ、天を仰いだ。
『この屈辱は決して忘れない』
その日、魔人軍第一軍は、城塞都市メルベンから撤退した。
だが、それを見逃すほど、ウェントゥス傭兵軍は慈悲深くはなかった。




