第三九三話、追跡隊
コリュマ大尉の第四騎兵中隊は、ゲドゥート街道を進んでいた。
左右は広大な森が広がっている。無数の針葉樹には、雪が積もり白くなっている。だが積雪自体は浅く、街道を進む魔馬の足をとられるほどではない。
静かなものだ、とコルドマリン人の騎兵将校は思う。冷たい風が肌を刺す。吐く息は自然と白い。森の中の街道を進む都合上、どうしても部隊は縦に長くなる。
ふと、正面から騎兵が駆けてくるのが見えた。
斥候として先行させた小隊からの伝令だろう。立ち往生しているという馬車の車列と遭遇したのかもしれない。
『止まれ』
コリュマは、後続に止まるよう合図する。正面からやってきた騎兵が、声を張り上げた。
『中隊長殿、報告します! 攻撃目標の馬車、その数一〇、発見しました。街道を倒れた木が塞いでおり、それで動けなくなった模様です!』
『人間は?』
『すでに逃亡したらしく、無人であります!』
ふむ――コリュマ大尉は、ふっと息を吐いた。
街道が塞がれている、というのはウェントゥス軍が魔人軍の追跡を予想して倒したのだろうか? ……いや、それなら、すべての馬車が通過した後でやるべきで、立ち往生している馬車があるのは不自然だ。よっぽど切羽詰っていたのか、不運な事故か。
――いずれにせよ、様子を見るだけ見ないとな。
コリュマは進撃を再開させた。障害物の程度を確認し、撤去できるようなら追尾。手間取るようなら、目的の馬車列と接触したという体で引き返す。
速足で進む騎兵第四中隊。
やがて、視界に街道の真ん中に陣取る馬車の集団が見えてきた。立ち往生している、というより馬車を街道いっぱいに広げて、通せんぼしているような印象だ。近づくにつれて、確かに無数の木が馬車の前方に倒れていて、通行を妨げている。
コリュマ大尉は、魔馬で近づきつつ舌打ちした。これは明らかに、人為的に作られた障害物だ。倒されて街道に横たわる木は五、六本といったところだ。……これが雪の重みなりで倒れる? 馬鹿を言うな。わざと切り倒したのだ。
『おい……』
騎兵指揮官は違和感に気づく。斥候隊の魔馬がいる。だが肝心の騎兵の姿がどこにもない。いったいどこにいるのか? 障害物を乗り越えた向こう? 馬車の中?
コリュマは近寄って、馬を止める。後続の騎兵も次々に道を塞ぐ馬車列のそばまで来て止まる。
不意に、魔馬が馬をしきりにぴくぴくとさせる。同時に、コリュマも臭いを感じた。
――血の臭い!
風を切る音と共に、くぐもった悲鳴が部下たちから上がった。
飛んできたのは矢。それが森の中から撃たれ、魔馬の上の魔人騎兵を狙撃する。
コリュマは目を凝らす。無数に木が群生する森、雪。その木の裏から身体をのぞかせて弓を構える戦士の姿がちらほら。
『くそっ、待ち伏せか!』
森の中へ入る? 魔馬を連れてのそれは困難だ。突撃はまず不可能。木の配置によっては魔馬では動けなくなる。
では降りて敵を掃討する? 馬鹿な。近づくまでにどれだけ犠牲が出るかわかったものではない。コリュマ大尉は決断した。
『撤退だ! 引けぇっ!』
上官からは早期の後退も許可されている。森からの弓に対し、馬では不利であることは理解してもらえるだろう。
・ ・ ・
森の中にいたのは、狐人の弓兵部隊だった。
「ロングボウなのに、こんな目と鼻の距離で撃つのか!」
弓兵部隊の隊長であるボーゲンはロングボウで敵騎兵を一人落馬させた直後に口走っていた。
距離は離れているのだが、ふだんのそれに比べてはるかに前である。無数に乱立する木のせいで射線が制限されているので、前に出ざるを得ないのだ。
それでも狐人のロングボウ使いであればこそ、射線さえ通れば、その命中率は狙った敵にほぼ確実に吸い込まれていった。
「姐さん!」
ボーゲンは声を張り上げた。敵騎兵が、思いのほか早く後退に移ったのだ。
「姐さん、言うな」
ぽつり、と呟いたのは、リアナである。どう考えてもボーゲンのほうが年上なのだが、最近、狐人たちから妙な尊敬を集めつつあるリアナである。
彼女はロングボウ部隊の護衛として、射撃する彼らに接近する敵がいれば番犬の如く襲い掛かるという役割を持っている。いまは弓で、部隊と共に射撃を繰り返していたが、敵の後退を見て取ると、リアナは街道へ一気に走った。
森を出て、逃げる敵の背中を見やる。静止、矢を放つ。
前のほうにいた狐人弓兵の何人かが、リアナにならって森を出ると、追い討ちの矢を撃つ。逃げる魔人騎兵、脱落は五騎。
それまでに倒した敵兵を含めても、倒したのは十数名程度だった。……敵の撤退が早かったために、大した損害を与えられなかった。いやにあっさり引いたものだと思う。
ボーゲンとその部下たちがやってくる。
「どうします、姐さん。もう少し、ここで粘りますか?」
「……後退する」
何か嫌な予感がした。これまで多くの死線をくぐってきたリアナが備える、嗅覚のようなものが、しきりに警鐘を鳴らす。
「撤退」
「わかりました。野郎ども、撤退だ!」
ボーゲンは、リアナの判断に疑問を挟まなかった。彼の中で、この年下の同族の戦士は、戦場で最も信頼すべき存在だという認識がある。
人付き合いもなく、感情表現も乏しい少女であるが、戦場で起こることへの判断力は、疑ってはいけないとさえ、思うようになっていた。その判断を軽んじれば、たぶんヤバイことになる。最悪、死ぬ。
「隊長、空に――!」
部下の狐人のひとりが声をあげた。振り向いたボーゲンは、空――後方に無数の空飛ぶ人型を見た。
「何だありゃあ……!」
思わず声に出ていた。人型――背中に翼を生やし、防寒着をまとった武装した集団が青い空を背景に飛んでいる。翼を羽ばたかせ、クロスボウや槍を手に飛行するそれら。
「飛翔兵ってやつか……」
だがその数があまりに多い。虫の大軍、とはいわないが、その数は軽く百を超え――数百人もの魔人飛翔兵が飛ぶ姿は、まさに圧倒的であり、地上を行く者に恐怖を与える。
果たして、地上から弓で応戦したところで勝てるのかどうか――ボーゲンは考えてしまう。腕には自信がある。空を飛んでいようが、よほどの距離がなければ当てて見せるが、数百人もの空の大軍を前にするのは、相応の兵力がなければ対抗できそうになかった。
「急ぐよ」
先を行くリアナが一段と足を速めた。森の中を進む狐人たちは、人間などに比べて障害物の多い地形も素早く抜けるが、彼女の足の速さは段違いである。
「お前ら、姐さんに遅れるな!」
ボーゲンは部下たちに呼びかけながら、速度を速めた。
・ ・ ・
『敵兵、逃走します』
うむ――部下からの報告を聞くまでもなく、第一強襲飛翔兵連隊を率いるエル・ブラは、白い森を駆け抜ける小集団を見つめていた。
今年三十を迎えるボルコー人であるエル・ブラは夜盗じみた好戦的な顔つきをしている。だが顔に反して静かな人物であり、実際に話をすると印象が変わってみられることがしばしばあった。……基本的に、空を飛ぶ種族というのは、飛ぶことができない種族を見下すことが多いとされるが、エル・ブラはその手の差別的な見方や考え方を持っていない。むしろ、他の魔人種に対しても腰が低いために、第一軍内での彼の評判はよい。かといって卑屈ではなく、戦場では果敢な指揮官として知られている。
『うん、速いな』
森を疾駆する敵兵の姿に、どこか感心したような声を出す。傍らを飛行する部下が小首をかしげる。
『狐……ですかね』
『うーん、ウェントゥス軍かと思ったが、ひょっとして獣人のゲリラだったか……?』
魔人軍は、人間だけでなく非協力的な獣人も『敵』と見なしているために、彼らと剣を交えることもしばしばあった。集落を失い、住処を失った獣人の中には、魔人軍に攻撃を仕掛けてくる者がいるという。
『まあいい。追ってみればわかることだ』
ゲリラか、あるいはウェントゥス傭兵軍の者か。リッケンシルト国北方では、獣人組織とウェントゥス軍が手を組んでいると話を、エル・ブラも耳にしている。
部下が表情を引き締める。
『では……』
『うむ。このまま追跡だ』
しばらく、地上を逃げる敵を追尾する。その気になれば速度を高めて、追いつくことができる飛翔兵であるが、エル・ブラはしばらく様子見することに決めた。
敵がどこまで逃げるかは知らないが、長時間飛び続けるのも体力を消耗させる。あまり速度を出しすぎず、余力を持って飛ぶことが、長持ちさせる秘訣だ。
それでなくても、冬の空は飛ぶのにしんどいのだ。




