第三九一話、押して駄目なら引いてみな
城塞都市メルベンの中央にあるバーバル屋敷――メルベンの領主だったバーバル公爵がかつて建ててそれは、歴代の領主によって使われ、メルベンの行政を担ってきた。
先の使用者は魔人軍であり、現在は、ウェントゥス傭兵軍のメルベン都市における拠点として利用されている。
刺々しい彩色の魔人のタペストリーなどを片付けたあとは、随分と質素な内装になってしまったが、元より王都エアリア解放のための拠点のひとつとしてしか見ていない慧太にとっては何も問題はなかった。
会議室には慧太がいて、セラ、ユウラ、サターナとアスモディア、ティシアがいる。
「さて、魔人軍が動く」
その王都から、魔人軍がメルベン奪回に五個連隊もの大兵力を投じるという情報が届けられた。その主力は第一軍、シフェル・リオーネ自ら指揮を取るという。
「ここまで好き勝手やられて面白くない、と言ったところね」
サターナは愉快そうにそう評した。
「メルベンを取り返して、こちらの王都攻略を挫こうとしている。それも自らの手で」
「焦ってる……のかしら?」
アスモディアは、他人事のようなことを言った。サターナは笑う。
「ええ、内心かなり焦っているんじゃないかしら。春の大攻勢計画は実質、延期が確定した。自らの建てた計画がどんどん遠ざかっていくことに、正直我慢ならないはずよ。……ほら、あの子、自分が常に正しいって考える傲慢さんだから」
「……楽しそうだな」
慧太は、漆黒ドレス姿の少女に言えば、この外見を偽っているシェイプシフターにして元魔人軍将軍は、にんまりと笑った。
「とても。あのシフェルの鼻をへし折るのが楽しすぎてたまらない」
「よろしいでしょうか?」
ティシアが小さく手を挙げた。
「先日より気になっていたのですが、サターナ殿。それとアスモディア、あなた方は、敵将のことを知っているような言動が見受けられますが……」
それは二人が魔人だから――とはさすがに言えなかった。しかしサターナは動じない。
「竜亜人はね、魔人軍と騎乗用ドラゴンがらみで、交流を持ったことがあるのよ。そのつながりで、ワタシはちょっと魔人軍のことも知っているだけよ」
平然と、それっぽい嘘をついた。そうとは知らないティシアは真面目ぶって頷く。
「そんな関係が……。そのお話では、魔人軍が竜を使うように聞こえますが」
「空は飛ばない竜を使う軍団と、ウェントゥス軍でも使ってるドラゴンライダーの部隊が確かあったはずよ」
ちら、とサターナはアスモディアを見た。魔人軍精鋭七軍で、竜を使っているのは旧第一軍(現第三軍)と第五軍、そして第七軍の三つである。
「まあ、いずれもこのリッケンシルトにはいないから、本国から援軍として来ない限りは心配いらないわ」
そうですか――ティシアは安堵したようだった。トレーフル町解放の際、ウェントゥス軍は飛竜やドラゴンを使って地上の敵を一方的に叩いた。それと同じことを魔人軍がしたら……と思えば、不安になるのも頷ける。
でも――と、サターナは顔をしかめた。
「現第一軍には飛翔兵と呼ばれる航空戦闘連隊があるわ。空から数百もの飛行魔人の兵隊に攻められたら、城壁なんてあってないようなものよ」
「魔人軍の飛翔兵の部隊とは」
セラが難しい顔になる。
「ナルヒェン山で戦ったことがある。集団で空から攻められると迎え撃つも難しい。……サターナ、飛竜では対抗できないのかな?」
「単純な殴り合いなら負けないけれど、敵のほうが数で勝る上に、図体の差のせいで向こうのほうが小回りが効くから、苦戦は免れないでしょうね……」
図体の差――分身体の飛竜やドラゴンは巨体の上、物理攻撃に対して言えば強固だ。だがより小さく素早い魔人飛翔兵相手だと、仕留めるのに難儀するのではないか。当てればほぼ一撃で倒せるが、問題は当てられるかということである。
空中での機動についていえば、身体が軽いほうが有利。小さければ受ける空気の抵抗も減る……小さければ――
慧太が考えにふけるのを他所に、ユウラが言った。
「飛翔兵の連隊を含む、約一万の軍勢がこのメルベンを目指しています」
対するウェントゥス軍は、魔獣や飛竜を構成するのに分身体をとられている影響もあり、現在一五〇〇程度。数の上では魔人軍の六分の一以下でしかない。敵には飛翔兵がいるが、こちらにもバラシャス騎兵や、飛竜部隊がいるので、単純な数では戦力差を図れないが。
「現状、劣勢ではありますが、……慧太くんはどう考えているのですか?」
どう考えているのか、か――慧太は小さく笑みを浮かべた。
「まともにやっても無理だとわかっているからな。押して駄目なら引いてみな、と言う。我々は、一時的にメルベンから撤退する」
「撤退……?」
セラがびっくりした。アスモディアも目を見開き、ティシアも驚いた。
「戦わないのですか?」
「戦力差が一目瞭然だ。ここで頑張っても、割に合わない」
ガチの殴り合いをしても、メルベンを巡る戦いの後には、王都での戦いが待っている。以前として第一軍の残りや第四軍がいる。それを前に意地になって戦力を消耗させるのは好ましくない。
「何だか、意外そうな顔をしているな」
慧太は、セラやティシアの表情を見やる。
「あなたは、どんな戦場でも勝ってきたから……」
「てっきり、今回もメルベンを守るものだと」
二人はそんなふうに言った。それは買いかぶり過ぎではないだろうか、と慧太は思う。
「今まで、魔人軍相手に負けていないわよね?」
「どうかな。都合の悪いことは忘れるものだからな」
慧太はそう控えめに返した。ティシアは乗り出すように、やや前傾になる。
「メルベンは、王都エアリア攻略の足がかり。せっかくここまで来たのに、撤退するのはどうかと思うのですが……」
もう一歩で王都が届く位置にいる。ここで引き下がるのはいかにももったいない……。その気持ちはわかるが、確保したもののに固執すれば、取り返しのつかない事態も招きかねない。……特に人というのは、手に入れたものを手放すことを苦手としている。
「あくまで一時的だ。第一軍にメルベンをくれてやるが、すぐに連中は手放すことになる。――そういう戦い方をする」
「どういうことです?」
要領を得ないティシア。しかしセラは、気体に満ちた目を慧太に向ける。
「何か策があるのね?」
「まともには戦わない、ということだ。オレは、もう少し魔人軍を苛めようと思ってる」
その発言に、ユウラとサターナは意地の悪い笑みを浮かべる。
・ ・ ・
魔人軍が来る前に、トレーフル町へと下がる。
これをそれぞれに告げた時、不満の声がアウロラや一部の獣人たちから上がった。
だが慧太の分身体であるウェントゥス兵は、不満もなく慧太の指示に黙々と従ったために、強硬な反対意見はでなかった。……少なくとも不満を抱いているのが一部であるという事実が、反対派を作らなかったのだろう。ウェントゥス兵があまりに普段どうりなので、これはきっと何かの作戦のための撤退なのだと、察し始めたようだった。
かくて、城塞都市メルベン制圧してつかの間、ウェントゥス軍は撤退した。
一方、王都エアリアを出撃したレリエンディール第一軍は、ゲドゥート街道を東進しながら城塞都市を目指した。
その道中、第一軍は警戒を厳重して進んでいた。
かつて、第二軍、ベルゼ・シヴューニャが率いる魔騎兵連隊が、アルゲナムの戦姫であるセラとその仲間たちとの戦いを繰り広げた道である。
ゲドゥート街道の奇跡――人間たちがそう呼ぶその場所で、ウェントゥス軍は奇襲をかけてくるのではないか。……第一軍を率いるシフェルは油断をしなかったのだ。
街道の両側は森が広がっている。待ち伏せするに充分な地形だ。
だが、ウェントゥス軍の攻撃はなかった。
王都に潜入工作をするような連中である。第一軍の出撃も、すでに敵は把握していると思っていたのだが……。
シフェルは拍子抜けする思いだった。敵は城塞都市にこもって戦うつもりか――だが、その判断は甘い。飛翔兵の空中襲撃の前に、いくら守りを固めても無駄である。
やがて、第一軍は、城塞都市メルベンに到着した。




