第三九〇話、第一軍、出陣
その兵士たちは、頃合を見計らっていた。
王都エアリアのハイムヴァー宮殿。魔人軍が制圧し、自らの拠点として使っている場所。第四軍司令部と、第一軍の指揮官がいて、リッケンシルト駐留軍を動かしている超重要拠点。
最前線でなくても、守りが堅く、警戒も厳重なその場所。
城塞都市メルベン、ザームトーア城陥落の報告を寄越したその兵たちは、食堂でメシにありついていた。酒をくらい、ウェントゥス軍に襲われた状況を話す。
隠すこともなく聞こえるその話に、周りの兵が関心を示した。
自分らがいかに生き延びたかを語りながら、食堂の兵の流れを眺めていたそれは、何の前触れもなく突然、爆発した。
食事中の兵たちを巻き込んだ爆発。
ただちに守備隊によって原因の調査が行われた。生存者の証言と爆発の状況から、これは事故ではなく、破壊工作であると結論付けられた。
爆心地となったのは前線から逃げ延びた兵がふたり。それは魔人兵に化けたシェイプシフターだった。
魔人軍にメルベンやザームトーア陥落時の『嘘』を伝えるためにもぐりこんだ彼らは、使命を果たし自爆したのである。
その正体を、魔人軍は知らない。
報告を受けたシフェルは、ただちに会議を召集した。すでに通常業務を終え、就寝に入ろうという者もいる時間帯だ。
シフェルは、王都にいる第一軍、第四軍の連隊長を集め、叩きつけるように宣言した。
『ウェントゥス軍への攻撃計画を、ただちに立てる』
『……今から、ですか?』
連隊長の一人が、恐る恐る問うた。シフェルの表情は硬い。
『敵は、わたしたちが寝ている間にも牙を研いでいる。昼間、この宮殿で爆発事件が起きたのは皆も知っているわね? 調査の結果、敵の破壊工作であることがわかった』
ざわざわと連隊長たちは顔を見合わせる。
『敵は、警戒厳重な王都に潜入し、わたしたちの心臓部である宮殿内で破壊工作を行うという離れ業をやってのけた。……何故だと思う?』
しん、と会議室に沈黙が下りた。誰も答えられなかったのだ。
『連中――もうウェントゥス軍と言ってしまうわ。ウェントゥス軍は、わたしたちに情報が漏れるのを恐れたのよ。奴らと戦った兵の口から、その戦力や能力が知らされることを』
『まさか、そのためだけに破壊工作を?』
口封じのために敵地である王都に潜入したというのか。にわかに信じがたい話だった。
『それだけ敵は自分たちの情報を秘匿したかったということでしょうね』
シフェルは自信満々だった。周囲を他所に、自分だけ真実にたどり着いた者が見せる特有の自信。
『だが同時に、墓穴を掘ったとも言えるわ。どのような警戒厳重な場所に潜入する術があるということを、わたしたちに教えてしまったのよ。今回の破壊工作でね』
『その方法とは?』
ベルフェが問う。シフェルの青い瞳が、すっと細められた。
『そこまではわからないわ。でも、その何らかの方法を用いることで、ウェントゥス軍は勝ちを拾ってきたに違いない。フォルトガング城や城塞都市メルベンがまたたく間に陥落したのも、おそらくその技を使ったのよ』
『お言葉ですが、閣下――』
第四軍の歩兵連隊の連隊長が口を挟んだ。
『ザームトーア城は通常の城攻めだったと聞いておりますが……』
『おそらくリッケンシルト軍と共同戦線を張ったからでしょう。連中は味方にもその手法を隠しているに違いないわ。情報を漏らさないことに神経を使っているようだからね』
なるほど。連隊長たちは納得したような顔になる。ひとり、ヴェランスだけは難しい顔のままだ。
ここまでのシフェルの発言は、全て推測ではないか? 何か確固たる証拠があるわけでもない。ヴェランスの不安を他所に、シフェルは続ける。
『ウェントゥス軍がどのような技を使っているにしろ、わたしたちは次の手を打たなくてはならない。……わたしは敵が、明日の朝にでも王都の眼前に現れても驚かないわ』
え――連隊長たちは驚く。
『だってそうでしょう? 連中は拠点内部に潜入して工作する技を持っている。城門に細工されたら、いかな堅城とて守りは半減してしまう。短時間で城を落とせるなら、兵糧の不安も少ない。連中は王都攻略もすでに視野に入れているはず。ここでノンビリしていたら、敵に奇襲されるわよ』
シフェルが腕を組むと、彼女のなかなか大きな胸が持ち上がる。
『よって、わたしは敵に先んじて攻撃を決意した。第一軍は主力を動員してメルベンに進出したウェントゥス軍を叩く!』
攻撃……! 一同はどよめく。その中にあって、ベルフェは表情をピクリとも動かさない。
『第一軍主力を投じての攻撃、ですか、お姉様』
『言いたいことはわかるわ。もうわが軍は大規模な軍を動かすだけの食糧がないということを。それこそ、王都にいる人間どもへの供給を止めない限り』
『では、供給を止めるのですか?』
『まあ、待ちなさいベルフェ。目下の目標は、ウェントゥス軍が制圧するメルベンの奪回。ここは王都から三日の距離。用意する食料は最小限で済むわ。それに――』
シフェルは妖艶な笑みを浮かべる。
『敵はメルベンを王都攻撃の足がかりとするはず。つまり戦のために食糧物資を持ち込んでいるということ。そこを強襲し、敵の物資を奪ってやる――連中の手をそっくりそのままお返ししてやるということよ。どう、名案でしょう?』
おおっ、と指揮官たちは頷いた。しかしヴェランスは相変わらず難しい顔である。
『しかし、閣下。仮にもメルベンは防備の固い城塞都市。いかに距離が近いとはいえ、短期で落とす保障は――』
あのウェントゥス軍が守備する拠点である。連中の防衛戦については、何の情報もないのだが、これまでの手際を見ると油断はできない。
だがヴェランスの不安にも、シフェルは動じなかった。
『あまりわたしをがっかりさせないで、サージ。わたしたち第一軍にも、攻城戦が得意な、いえ地を這う敵に一方的に攻撃できる強襲飛翔兵連隊があるのよ?』
強襲飛翔兵――翼を有する魔人たち。それは空を舞い、地上の敵を攻撃する兵科。魔人軍精鋭七軍において、空中哨戒や連絡部隊、特殊戦闘部隊としての飛翔兵部隊はあれど、連隊規模の飛翔兵を有するのは、第一軍のみ。
人間との戦争においても、アルトヴューの国境線のダンザ砦などを一方的に叩いた実績があり、その対地戦の戦技、士気は高い。
確かに飛翔兵なら。
各連隊長らの視線が、第一軍強襲飛翔兵連隊の連隊長に集まった。
背中に翼を持ち、灰色肌の魔人、ボルコー人の指揮官エル・ブラは、その角ばった顎に当てていた手を下ろし、背筋をピンと伸ばした。
『お任せください、シフェル様。我ら強襲飛翔兵連隊は、閣下に勝利を献上いたします!』
『期待しているわ、エル・ブラ』
シフェルはその長い金髪を手で払うと、会議室の一同を見回した。
『いくら距離が近いとはいえ、さすがに第一軍全軍を動かすのは厳しい。よって投入するのは五個連隊。その戦力を持ってメルベンを奪回、同地のウェントゥス軍を撃滅する! 各自、出撃の用意を始めなさい』
王都エアリアの第一軍は、その指揮官の命を受けて、出陣の準備に掛かった。
遠征して戦うには、冬の物資備蓄は限界がきているリッケンシルト駐留の魔人軍である。
城塞都市メルベンへはおよそ三日の距離。強襲飛翔兵部隊を用いた速攻でメルベンを奪回するとはいえ、五個連隊、およそ一万人の兵を動かすために用意されたの一週間分の糧食。しかし、それさえも不足していたため、王都に住む人間への割り当て分の食糧を少々回した。……多少、人間が餓死するだろうが、まだ許容範囲であるとシフェルは見ていた。
魔人軍第一軍の準備は、王都潜入のシェイプシフターによって、城塞都市メルベンへと知らされる。人数と編成、そしてそのために集められた食糧物資に至るまで。




