第三八四話、移動
ウェントゥス軍北方部隊がフォルトガング城へ後退して一週間ほどが経過した。
獣人たちは休養と訓練で日々を過ごし、慧太たちウェントゥス軍上層部は、以後のリッケンシルト攻略に向けての計画を練っていた。
フォルトガング城に、伝令鷹が飛んできたのは、しばらく続いた雪がやみ、珍しく晴れ間が覗いた昼間だった。
赤い帯のような印をつけたその伝令鷹は、南方部隊所属――ザームトーア城の駐屯部隊からだった。
伝令より手紙を受け取った兵が、会議室で討議中の慧太のもとにそれを持ってきた。慧太は伝令鷹が運んできた手紙の中を検めると、幹部たちの前で内容を告げた。
「魔人軍が動いたぞ。王都エアリアとザームトーアからそれぞれ連隊規模の戦力を出して、東部戦線――ミューレ古城のオレたちの軍を攻撃するようだ」
ユウラ、サターナは頷き、セラとアスモディア、ティシアは、かすかに驚いたようだった。リアナ、ガーズィはとくに反応しなかった。
最初に口を開いたのはティシアだった。
「東部というと……まさかアルトヴュー王国への攻撃計画ですか?」
金髪の美人魔鎧騎士は、自らの故郷への侵攻では、と受け取ったようだった。そういえば言っていなかったな、と慧太は思った。
「ああ、すまん。実は、東部国境線にいた魔人軍を、先日ダシューの大隊で攻撃して殲滅したんだ。春にアルトヴュー侵攻を企んでいた魔人軍の出足を挫いてやったから、連中、東部国境線を取り返そうと部隊を派遣したんだろう」
いつの間に――ティシアが再度驚く。ジパングーからの援軍で兵が増えたからな、と慧太は付け加えておく。
セラが不安そうな表情を浮かべた。
「国境の魔人軍がいないのはいいけど、ミューレ古城を敵が狙っているということは、近くのハイデン村が危なくないかしら? あそこには多くの避難民が住んでいるわ」
「ああ、このままにしておけば、ハイデン村も戦火に巻き込まれるだろう」
慧太は机の上のリッケンシルト国内の地図へと視線を落とした。
「手は二つ、避難民たちをアルトヴュー側へ一時的に退避させるか、それより前方でこちらの東部部隊で迎え撃つか」
「それは戦場をどこにするか、ということね、お父様」
サターナは地図上のミューレ古城を指差した。
「敵の狙いである城で迎撃するか――あるいは、より前……そうね、西のフュレ……いえ、もう少し王都側に近いトレーフル町あたりで待ち受けるか」
「ちょっと待って――」
セラが少し身を乗り出すように地図に身体を近づけた。
「トレーフル町って、王都に近いメルベンの目と鼻の先じゃない? ウェントゥス軍はそこまで進出していたの?」
王都エアリアからおよそ三日の距離に城塞都市メルベンがあり、そこからさらに東へ二日ほど移動するとトレーフル町がある。
「エサ箱作戦の一環で、ジパングーの亜人兵らが制圧しています」
ユウラが答えた。
「魔人軍はまだ、トレーフル町がわが軍に奪回されていることを知りません」
青髪の魔術師は、視線を慧太に向けた。
「少し大胆ではありますが、トレーフル町で迎撃するほうが、ハイデン村の難民たちを気にしなくて済むメリットがあります。彼らをアルトヴューに退避させるにしても、先方との調整が必要ですし、あまりその時間もないと思います」
「敵を引きずり出して、兵糧に負担を与えるなら、ミューレ古城あたりまで引き寄せるのもありだが……」
慧太は、サターナを見やる。
「どうだろう? 王都エアリア、狙ってみるのは時期尚早か?」
アスモディア、ティシアがドキリとしたような顔になった。セラもサターナを見るが、漆黒のドレス姿の少女魔人は、不敵な笑みを浮かべた。
「ワタシは賛成よ、お父様。そろそろ中央にふんぞり返る第一軍にご挨拶してやるべきだと思うわ」
「私は戦力のすべてを把握しているわけじゃないけれど――」
セラは静かに言った。まわりの発言にも、あまり驚いた様子はない。
「いまの私たちに、敵駐留軍の主力を撃破して王都を奪回するだけの兵力がある?」
「リッケンシルト軍、獣人軍、そしてジパングー兵の増援で、数は増えているが……」
慧太は、ガーズィへと目線を送る。生真面目なジパングー兵の指揮官は答えた。
「まだ総兵力では、こちらが劣っております。ですが、戦術で充分補いがつく程度の差であると確信しております」
戦力の主力はシェイプシフターの分身体である。変幻自在に兵科や数を変えられる汎用性の高さは、必要な時に必要なものを用意できるという点で有利だ。兵站も軽く、疲労もほぼなく、高い移動速度など、通常の軍とは一線を画する。
もちろん、それ以外の人間や獣人たちはその限りではないので、同じ戦場で戦うのであれば調整が必要ではあるが。
「王都攻略に着手するのは結構だけど」
アスモディアが自身の長い赤毛を弄る。
「まずは、東部国境線へ進軍する敵をどうするかが先じゃない? いま、ダシューの大隊とジパングーの増援部隊しかいないんでしょう? 魔人軍は――えーと二個連隊以上だっけ?」
「アスモディア、ザームトーアはわが軍が奪回しているので、実質はその半分です」
ユウラが訂正を入れる。シスター服の女魔人は背筋を伸ばした。
「失礼しました、マスター。……ええ、敵は一個連隊規模だけれど、東部部隊だけで大丈夫? 東南地方のリッケンシルト軍は、どうせ穴熊を決め込んで出てこないでしょうし、アルトヴュー軍は……支援してくれないんでしょう?」
一瞬、ティシアに視線をやったアスモディアだが、金髪の魔鎧騎士は首を横に振って応えた。ユウラが地図の東南地方を指した。
「ザームトーアの駐留部隊を投じて、王都から進出した敵部隊の後背を突かせましょう。挟撃作戦です。ザームトーアを自軍だと思っている魔人軍は、そちらは無警戒でしょうし」
「いや、オレたちも動くぞ」
慧太は立ち上がり、北方から、中央近くのトレーフル町へとなぞった。
「北方部隊は転進し、敵軍を撃破する!」
え――? セラとティシアが固まった。
「いえ、ケイタ。ここからでは間に合わないのでは?」
「そうです、ハヅチ将軍。空を飛ぶ伝令鷹なら、東部部隊やザームトーアの部隊と連絡はとれるでしょうが、フォルトガング城から私たちが出撃しても、到底間に合いません!」
「確かに獣人軍を含めた全軍は無理だろうが」
慧太は腕を組んで、一同を見回した。
「オレたちウェントゥス軍には、空中を移動する手段がある。……そうだな、サターナ?」
シェイプシフターのことを知らない、セラやティシアたちにもわかるように、竜人ということになっているサターナに振れば、彼女はすました顔で言った。
「ええ、問題はないわ。……ないのだけれど、ワタシたちで向かうのなら、あまりのんびりしていられないんじゃないかしら? 魔人軍はもう動き始めているんでしょう? 急いで準備しないと、到着する頃には、もう戦闘になってしまっているかも」
「そうだな……すぐに東部部隊とザームトーア部隊に伝令鷹を飛ばそう」
トレーフル町で迎え撃つ旨、各戦線の部隊に伝えなくては。北方でいくら話し合おうとも、現地部隊が動かないことにはどうしようもない。
「というわけで、こちらも移動する。フォルトガング城とはしばしの別れということで、皆も準備に取り掛かってほしい」
・ ・ ・
フォルトガング城のウェントゥス軍が移動のために準備にかかり、それを尻目に伝令鷹は一足先に、東部部隊とザームトーア城駐屯部隊へと飛んだ。
シェイプシフターの分身体である伝令鷹は、休息なしで飛び続け、慧太からの指令を現地部隊へと届けた。
進撃する魔人軍を、正面から迎え撃つ形となる東部部隊、ダシューはただちに部隊に召集をかけ、迎撃地点であるトレーフル町への移動準備にかかった。




