第三八三話、変化する戦線
王都の人間たちを餓死させることで、その分の食糧を割り振り、軍を動かせる――ベルフェの提案はしかし、シフェルは難色を示した。
『……労働資源が失われるのは痛いわ』
現在、魔人軍は王都の防備修復や、その他建築作業に人間奴隷を用いている。当初、それらを積極的に重労働に用いたために数も減らしてしまったが、作業量は増える一方ゆえに損耗は抑えたいというのが、シフェルの考えだった。
魔人は兵士に、人間奴隷は二線級の仕事を。春の大攻勢のためにも魔人兵は軍務に集中させたい。
『ですが、お姉様。最低でも二個連隊を東部へ派遣しようというのであれば、それくらいのことはしないと無理なのです』
ベルフェは事務的だった。シフェルは、むぅ、と唸ると、視線を青顔の騎兵連隊長へと向けた。
『あなたは何か案がある? サージ』
『……リッケンシルト軍を牽制するザームトーア城の兵力を動かしては?』
『却下』
ベルフェが言った。
『ザームトーアはリッケンシルト残党をオストクリンゲに押し込めていくために必要。その戦力を東に転じたら、リッケンシルト軍を牽制できない』
『あぁ、サージ』
シフェルは、冷めた目を向けた。
『まさか、あなたまで無能なシーヴェルと同じ愚を犯すというの?』
クヴァラート市をがら空きにしたことで、敵に隙を作った挙句、無為に部隊を壊滅させた指揮官の名前が出る。本来なら侮蔑にも等しい言葉だが、ヴェランスは平然とした顔で上官を見つめた。
『リッケンシルト軍を牽制する必要はありますが、何も一個連隊を遊ばせておく必要はないかと愚考いたします。こちらが再びグスダブ城へ攻め入る動きさえ見せれば、連中は防衛を固めて、攻めようなどとは思わないでしょう』
『……続けなさい、サージ』
シフェルの瞳に興味が渦巻く。最初は何を馬鹿なことを、と思っていた部下の発言だったが、いまではすっかり様変わりしている。
『はい、閣下。ザームトーア城は、リッケンシルト軍を封じ込めるために一個連隊が駐留していますが、敵が進攻してきた際に積極的な反撃ができるように食糧備蓄が多少、他に比べて融通されています。そのため他方から備蓄をかき集めなくても、戦闘行動が可能となっています』
『それを東部へと派遣する。……では、リッケンシルト残党がいるグスダブ城への牽制はどうするの?』
『騎兵を一個中隊程度、グスダブ城へと派遣します』
『騎兵を……?』
シフェルは怪訝な顔をする。攻城戦に向かない騎兵などを派遣して何をしようというのか。
『敵は、城の周りをわが軍の騎兵中隊がうろついたら、どう思うでしょうか?」
『斥候部隊』
ベルフェは表情を崩さない。
『再度、グスダブ城へわが軍が攻め込むための偵察と判断する可能性が高い。……なるほど読めてきた。わが軍が再度進攻の準備を測っているとなれば、リッケンシルト残党は城から動けなくなる。わずか一個中隊でも、連中の牽制は可能ということか』
『騎兵部隊を使うところが、この牽制の要であります、伯爵閣下』
ヴェランスは続けた。
『城攻めに向かない兵科ゆえ、城のあたりをうろつかれても、ある程度無視してもよい兵力と思われます。仮に、敵が排除を試みても、騎兵の足ならば退避も可能です。ザームトーア方向へ逃げれば連中も深追いはしません。何故なら――』
『……』
『再度進攻を計画しているわが軍の後続部隊が待ち構えているかもしれないと、連中は考えるからです』
『素晴らしいわ!』
シフェルの表情が一気に華やいだ。
『わずか一個中隊で、リッケンシルト残党軍を押し込め、かつザームトーアの戦力を東部戦線に派遣可能――これで二個連隊を投入可能というわけね』
『はい、閣下。しかも中央と東南方面、二方向からの進軍となりますので、数に劣るだろう敵は、その対策に苦慮するでしょう。どちらか一方に戦力を集中すれば残る一方から、両方に同時に対応すれば兵力が分散する結果となりますので、各個撃破できる可能性も高まります』
『……対応を誤れば、こちらも各個撃破されるかもしれないが』
ベルフェは釘を刺すように言った。これにはヴェランスはわずかに眉をひそめたが、シフェルは意に介さなかった。
『それは指揮官の采配次第でしょうね。こればかりは、ここで話し合っても解決しない問題だわ。それよりもこの作戦の細部を詰めましょう。ウェントゥス軍は動きが速い軍隊。こちらも素早く行動し、敵の先手を取る必要があるわ』
その後、三人は東部戦線への攻撃計画『二匹の蛇作戦』を立案、詰めていく。
投入兵力は、王都エアリアとザームトーア城の部隊。
王都エアリアからは第一軍の歩兵一個連隊と二個騎兵中隊。第四軍の軽砲兵二中隊を加えた約二五〇〇。
ザームトーア城からは、二個歩兵大隊と一個砲兵中隊を主軸に、近隣駐留部隊から二個歩兵中隊を加えた部隊、合わせて約一七〇〇が参加する。
なお、ザームトーアに騎兵中隊が存在しないため、王都からグスダブ城牽制のための部隊が向かうことになる。
合わせて四二〇〇ほど。これが東部国境線にいるウェントゥス軍に立ち向かうのである。
だが、二匹の蛇作戦は、すでに根底から間違っていることに、この時、誰一人気づいていなかった。
二匹の蛇、その一翼を担うザームトーア城に魔人軍は存在していなかったからである。
・ ・ ・
その頃、リッケンシルト国北部域では、慧太たちウェントゥス軍北方部隊が南西方向へ進攻。さながら王都エアリアより西方へ進出する態勢を見せながら、集落を次々に奪回していた。
ところが、異変が発生した。
フェーベル村を解放し、一泊のち、次の集落を目指そうと準備をしていた時にそれはもたらされた。
天候は曇り。時々雪がちらつく、風の強い日だった。事前に偵察を出していたウェントゥス軍だが、報告を受けたガーズィはそれを報せた。
「壊滅?」
慧太が問い返せば、角付き兜を被っているガーズィは首肯した。
『はい。建物はすべて火が放たれ、魔人軍の姿はありません』
「村人たちは?」
風邪が治ったセラが問うた。灰色のフード付きの外套をまとう銀髪のお姫様に、ガーズィは首を横に振る。
『偵察報告では数名の遺体を確認したようですが、生存者の姿はなかったようです』
「ケイタ、これは――」
セラが視線を向けてくれば、慧太は口もとを引き締めた。
「ああ、魔人軍が戦略を転換したらしい」
「焦土作戦」
サターナが口を開いた。
「どうやら、ワタシたちが占領地から食糧を得て活動していると踏んで、その供給源を断とうとしたようね」
ファー付きの黒い外套、フードを被っている魔人姫は歪んだ笑みを浮かべた。
「どうする、お父様? おそらくここから先は、もう集落が焼き払われて、進むたびにこっちは消耗を強いられるわよ」
「では、北部は最小限の部隊を残し、フォルトガング城まで後退しよう」
ほとんど間をおかず、慧太は決めた。
利用価値のある集落やその他食糧・物資の供給源となりそうなものを徹底的に破壊する焦土作戦である。こちらにそれらを使わせないようにする一方で、それを仕掛けたほうもまた同様だ。奴らが集落を焼き払ったということは、当面は彼らも攻勢に出ないことを意味する。
つまり、冬のあいだは、この辺りで戦争をする意味がないということになる。
慧太は、ちらとサターナを見やる
「君はどう見る? 魔人軍は越冬に入ったのだろうか?」
あるいは、他の――東南地方や東部戦線に戦力を振り向けるために北部域を縮小したのか。
「他の指揮官なら間違いなく冬越しでしょうね」
サターナは、フェーベル村の外に広がる雪の積もった平原を遠い目で眺めた。
「ただ、今の第一軍を率いるシフェル・リオーネが、そんな大人しくしているようなタイプとは、思えないのだけれどね……」




