第三八〇話、東部戦線
慧太は、リッケンシルト北部に赴く際、東部国境線の敵は放置すると言った。
だが獣人と接触し、同盟を得た上に救助活動を終えた今、後回しにしていた東部国境線の掃除は優先度が上がる。
慧太は自らの分身体を鷹に変えると、名代として、ハイデン村近辺に展開する東部部隊へと飛んだ。
残していたダシューの戦闘大隊を用いて、リッケンシルト東部国境線の魔人軍を攻撃するためである。
国境線に展開している魔人軍部隊は五個歩兵大隊と二個騎兵大隊、二個砲兵大隊であることがこれまでの偵察行動で判明している。その兵力は、およそ四五〇〇ほどだ。
これが大隊ごとにアルトヴューとの国境線に沿って南北に配置されている。
慧太の分身体はダシューの大隊と合流すると、東部国境線掃討作戦を計画、実行に移した。
「まずは偽の情報で、敵を釣り出す」
最初の標的になったのはミューレ古城に一番近い、第四軍所属の第十七歩兵連隊だった。
敵補給線を乗っ取るエサ箱作戦によって、前線を行き来する補給部隊に相当数の分身体が潜り込んでいた。必要な情報や物資を得るだけでなく、こちらに都合のいい情報もまた敵に流布することも可能となっていた。
ミューレ古城が正体不明の敵に占領された、と報告を受けた第十七歩兵連隊司令部は、一番位置が近い第二大隊にすぐさま、古城に向かい包囲せよと命じた。
それを受けた第二大隊は、直ちに部隊を集結させると南下を開始した。
行軍隊形で移動する彼らは、進軍ルートである前方と、アルトヴュー国境線側を警戒しながら進んでいた。もし、敵が現れるなら、その二方向だと想定したのである。
だが、それが逆に、リッケンシルト国側への警戒を疎かにした。まさか友軍テリトリーの側から『敵が現れる』など思っていなかったのである。
その結果、ダシュー大隊の迂回に気づくことなく、大隊の後方に回り込まれてしまった。
『敵は、こちらがミューレ古城にいると思い込んでいるようですな』
ダシューの言葉に、彼の右肩に止まる鷹型は答えた。
「命令が『城を包囲せよ』、だからな。連中は攻城戦になると踏んでいるのさ」
『まさか城が空っぽであるなどと思っていないというわけですな』
ダシュー大隊は、ハイデン村近辺の警備部隊とエサ箱作戦実行中部隊以外、東部域にいるすべての分身体兵を動員している。
「さて、いまここにはオレたちシェイプシフター以外は誰もいない。好き勝手やっていいぞ」
『了解であります。……まずは、魔獣部隊を試します』
ダシュー大隊は、突竜の異名を持つバラシャスという中型肉食恐竜型の魔獣に変身すると、魔人軍歩兵大隊の後方から一挙に突撃を敢行した。
前方からの突進でさえ、充分な陣地や防御隊形が必須であるだろう突竜に対し、無防備な背後から、しかも戦闘に向かない行軍隊形のところを追い上げられた魔人軍部隊は一方的に蹂躙された。
水牛の群れよろしく、体格に勝る肉食恐竜の大集団が突っ込んでくるなど、悪夢以外の何物でもない。魔人兵の大半が踏み潰され、部隊は壊滅。わずかな生き残りは散り散りになって逃走した。……なお、逃げた兵たちの多くが、寒さと飢えで冬の大地に屍をさらすことになる。
魔人軍の一個大隊を文字通りに蹴散らし、死体処理を行った後、ダシュー大隊は北上した。
次の標的は、第二大隊の後を追って出撃した第十七歩兵連隊司令部と第一大隊。
ダシューは、敵部隊の進路上に一個中隊で即席の隠蔽陣地を形成すると、待ち伏せを仕掛けた。
友軍大隊が通った道を、行軍隊形で進む後続部隊。その警戒は第二大隊に比べてさらにザルだった。
ミューレ古城を目指す第二大隊がすでに壊滅したなどと、彼らは思ってもいなかったのである。
ここに、敵の配置を把握しているウェントゥス軍と、その敵の存在にまったく気づいていない魔人軍国境部隊で認識の違いが露骨に出ていた。魔人軍は、初動の時点で、ウェントゥス軍に二歩も三歩も遅れていたのである。
隠蔽陣地による待ち伏せを受けた第十七歩兵連隊は、当初ウェントゥス軍の攻撃を砲撃だと誤認した。爆弾矢による先制で動揺した魔人軍に、ダシュー大隊本隊は、今度は魔人軍が使役する青狼ウェルセプタの集団に化けて側面より殴りこみをかけた。
味方として見かける青狼を用いた部隊に、同士討ちをしているのとではないかと錯覚した魔人軍部隊は混乱の極みに陥り、こちらも大した反撃もできずに撃破された。
「第十七連隊は潰した」
鷹型は北へと視線を向けた。
「次は第一軍の八連隊だな」
『予定どおりなら、今頃クヴァラート市から出撃した頃ですな』
ダシューが言った。
『歩兵三個大隊、騎兵二個大隊、砲兵もついているでしょうが、今のわが方の五倍以上といったところでしょう』
二つの敵大隊を撃破し、それを食い荒らしたことで、ダシュー大隊の数は、当初の倍以上に数が増えている。
だがそれでも、まだ敵の総兵力には遠く及ばない。
「連中には、せいぜい虚像と踊ってもらおう」
鷹型はダシューの肩に止まり、そう皮肉げに言うのだった。
「無能な指揮官は部下を殺す、というからな」
・ ・ ・
第一軍第八歩兵連隊は、リッケンシルト国境線北部に位置する城塞都市クヴァラートとその周辺に駐留していた。
第八連隊を任されているシーヴェル大佐は猪頭の魔人であるザンク人である。その体躯は巨人兵を除けば、魔人種の中では大柄。力が強く、また気性が荒いことで有名だった。
正体不明の軍勢が国境線に侵入。南に展開する第四軍の歩兵連隊が撃退されたという報告が届いた時、シーヴェルは、第八連隊の全力を持って出陣を命じた。
クヴァラート市の警備はわずか一個小隊のみ。それ以外を全て動員したのである。
これには連隊幕僚から不安の声が上がった。
『連隊長、いくらなんでも都市の警備が手薄では……?』
『いま、この町を攻める者などいるのか?』
シーヴェルは鼻息も荒く、進言した幕僚をにらみつけた。
『アルトヴュー軍は国境付近にいない。我らが動いたとて、その隙を突く者など存在しない! いや、それどころか、今回現れた敵軍は、南から抜けて我々を中央から切り離す魂胆よ』
可及的速やかに対応せねば、第八歩兵連隊は孤立する。
かくて、グヴァラート市に最小戦力を置き、残る全部隊で出撃した。同時に、周辺に展開する連隊各部隊も集結し、一路、ミューレ古城を目指した。
だが、その二日後、事態は急変した。
シーヴェル連隊長のもとに、クヴァラート市から伝令が駆け込んだのだ。
『国境付近にアルトヴュー軍が出現! クヴァラート方面に集結中!』
な!? ――司令部に動揺が走った。いま、都市を守るのは一〇〇名にも満たない歩兵のみ。
『連隊長、急ぎ戻りませんと。敵に都市を奪われたら――』
あなたの首が飛びますよ――クヴァラート市は春のアルトヴュー侵攻作戦において必要な重要拠点。そこを失うことにでもなれば、失態どころでは済まされない。文字通り、指揮官の首が物理的に飛ぶこともありえた。
『クヴァラートに戻る!』
連隊長の一声で、第八歩兵連隊はただちに進路を変更した。前衛後衛が逆転したので、陣形の変更などで混乱を起こしながらも、可能な限りの速度で駆けた。
だがその後、連隊は右往左往することになる。
翌日、クヴァラート市守備隊から『アルトヴュー軍は撤退した』と続報が入った。
『敵が消えた、だと?』
せっかく引き返したのに、時間と距離と食糧を浪費させられた。
直後、連隊後方より、敵騎兵部隊が接近の報が入り、再び反転を強いられる。
その後も情報に振り回され、第八歩兵連隊はたびたび進路を変えることとなる。
迷走だった。
兵たちの疲労が増す中、糧食を運ぶ輜重部隊が奇襲されたり、行方不明になった。
たびたびの陣形変更で、迷子になる部隊まで現れ、さらに糧食の不足が兵たちに深刻なダメージを与えた。
第八歩兵連隊司令部が、現状把握もままならなくなった時、ウェントゥス軍が現れ、混乱する魔人軍部隊を粉砕した。
気づいた頃には、騎兵も砲兵も歩兵もバラバラのありさまで、各個撃破されてしまったのである。
かくて、リッケンシルト東部国境における魔人軍は、一週間も経たずに壊滅した。
第八歩兵連隊をはじめとする魔人軍国境部隊は、ウェントゥス軍の仕掛ける偽情報に踊らされた。国境のアルトヴュー軍、偽の部隊などなど――迷わされた挙句、兵も食糧も消耗を重ね、分散してしまったところを一挙に叩かれてしまったのである。
主力を失い、各都市に駐留する少数の魔人兵部隊は、その後ウェントゥス軍により撃退された。
なお、当初三三〇程度だったダシュー大隊は、魔人軍国境軍を撃破したことにより二五〇〇ほどに増えていたのである。
結果、リッケンシルト東部方面に新たな戦線が、突如として現れたのだった。




