第三七九話、出現する新たな戦線
現地徴発をさせない――第一騎兵連隊指揮官、サージ・ヴェランスの言葉に、一同は首をかしげた。
『つまり、北部地域の小集落から部隊をすべて後方に下げるのだ。もちろん、食糧物資などを持ってな。それらの集落は焼き払う。……どうせ、守れないのだ。敵には、何もない村に来させて無駄足を踏んでもらう』
焦土作戦である。
町や村などの集落にあるものを全て焼き払うことで、物資の補給を不可能にして、拠点としての利用価値をなくさせるのである。
魔人軍から物資を奪うことで自軍の活動を支えているウェントゥス軍だ。それら獲得物資がなければ、途端に食糧・物資が不足して力を失う。
食糧がなければ腹は満たせず、暖房に使う可燃物がなければ、この寒さで凍えることになろう。家がなければ、厳冬期に入った今、野宿となり――それはたちまち人間らの体力を奪い、凍死へと誘うだろう。
『それで抵抗力を失わせられれば最善だが、最低でも敵をフォルトガング城か獣人の森まで後退させ、以後春まで封じ込めることができるだろう』
おおっ、と将校らは感嘆の声をあげる。シフェルも、女神の微笑みと呼ばれる笑みで、ヴェランスを見つめた。
『さすがはサージ。頭の切れる部下がいて、わたしは幸せ者だわ』
『は、恐悦至極』
ヴェランスはわざわざ立ち上がり、シフェルに対して一礼した。シフェルは笑みを深めた。
『なにより大規模な戦力を送らずとも、北方の敵を封じ込められるというのが気に入ったわ。こちらの被害は最小、敵には最大のダメージを与えられる……ふふ、さすがだわ』
シフェルは席を立った。
『春になれば、食糧事情は一気に好転する。そうなれば東方進攻作戦を遂行しながら、リッケンシルト内の抵抗勢力にもトドメをさせる。……させるのだけれど』
そこでシフェルは拗ねたような表情を浮かべる。
『でも春を迎える前に、邪魔者を消したいというのは本音なのよ。兵站面での負担を考えれば自重はすべきなのはわかるけれど、そんな普通の行動で満足してはいけないとわたしは思うの。自ら限界を作ってしまってはそこからの成長はない』
おぉ――第一軍将校らが尊敬の眼差しを上官へと集める。
『せめて、邪魔者の数を減らしておきたい。北は、サージの案で押し込めるとして、東南地方のリッケンシルト残党は始末しておきたい』
『しかしお姉様』
相変わらずの無感動っぷりで、ベルフェは言った。
『グスダブ城は堅城なのです。攻略するには大規模動員が必要ですが、そうなると春の東方進攻に遅れが出る恐れが』
『ええ、出るでしょうね。大規模な動員をかければ』
つまり――ベルフェの魔鏡の奥の緑色の瞳が光った。
『春以降に支障をきたさない程度で、リッケンシルト残党を討つと?』
『ええ、そういうことよ』
『何か策が? お姉様』
『いいえ、ないわ』
え――第四軍将校どころか、第一軍将校らも驚く。無策で無茶なことを言い出したのか。
『今は、何も考えはない。だけど、常識に囚われていては何も生み出せないわよ。考えなさい。不可能と決めてかかっては、自分の限界を作ってしまう。わたしは考えることをやめた無能を部下に持ちたくはないの』
シフェルは席に着くと、妖艶な笑みを浮かべた一同を見回した。
『さあ、あなたたち。自分達の兵科にとらわれることなく、考えて名案を出しなさい。そしてわたしの中の考えを上回る正解を見つけ出すのよ。ウェントゥス軍の指揮官は、それをやっているわよ』
――あ、お姉様。策はないと言ったけど、嘘なのか。
ベルフェは察した。シフェル・リオーネは決して頭の悪い指揮官ではない。彼女はすでに少数での城攻めの方法があるのだ。どんな作戦だろう……うーん。
思考が回りだす。基本的に面倒なことは嫌いであるベルフェだが、謎解きは嫌いではない。シフェルのことを気に入っているのは、やりがいのある謎解きや問題を与えてくれるところだ。
ベルフェが幸福な思考に身をゆだね始めた頃、会議室の扉が開いた。上級将校らの方針会議中に割り込むものといえば、何か急な報せの場合だ。
『失礼します、閣下! アルトヴューに隣接する東部国境線に敵軍が出現。国境に駐留する警戒軍が壊滅しました!』
何!? ――上級将校たちは、一斉に腰を浮かせた。東部国境線……それはつまり。
『アルトヴュー軍が逆侵攻をかけてきたのっ!?』
シフェルが叫ぶように声を張り上げれば、伝令は緊張に顔を強張らせた。
『はい! いえ、それが、報告によればアルトヴュー軍ではなく、見たこともない装備の未知の敵とのことです!』
未知の敵、と聞いて、ベルフェは嫌な予感がした。いや、実際にもうすでに前線が損害を受けているので、予感どころではないのだが。
『旗とか、何か特徴はなかったの!?』
『は、前線からの目撃証言では、特に旗などはなく、国籍や所属などがわかるものはなかったとのことです。ですが、その装備――正確には兜ですが、鬼のような面貌の兜で、その鎧は白で統一されてそうです!』
『ウェントゥス軍!』
その時、シフェルが見せた表情は、ベルフェにとって初めて見る顔だった。
『どういうこと? 奴らは北にいたはずでは!?』
東南地方、北部――そして東部国境。
第一軍の指揮官の一人が唸った。
『国境の警備軍といえば――』
『歩兵二個連隊に、騎兵、砲兵の大隊がそれぞれ複数あったが……それがやられたということは、少なくとも敵は同数か、それ以上ということか!?』
『北部の部隊が移動した――わけがないな。新手の敵か』
『しかし、敵の底が見えん。そんな大規模な戦力を持っているのに、わが軍の情報部はウェントゥス軍の情報をまるで掴んでいないのだぞ』
上級将校たちのざわめきが大きくなる。
『静まりなさい!』
席に着いたシフェルが、底冷えするような声を出した。まるで鞭の音を聞いて静かになる獣の如く、将校らはピタリと口を閉じた。
『まずは、春以降の大攻勢――ここまでわたしが立ててきた計画を根本から見直す必要がありそうね』
ゾッとする笑みを浮かべる第一軍司令官。その美しくも狂気をはらんだ表情に、一同顔を青ざめた。
『東部国境線の状況と、ウェントゥス軍の情報集めなさい。敵を過小評価しない! 同時に過大評価もしない! 欲しいのは正確な情報!』
叩きつけるように言い放ったシフェルの目には、激しい憎悪にも似た怒りが宿る。こちらの計画の屋台骨を揺るがす事態を引き起こしたウェントゥス軍――その存在は、到底許せるものではなかった。
この償いはさせてやる。




