第三七八話、リッケンシルト駐留軍戦略会議
この日、王都エアリアは雪が降っていた。
石造りの建物の屋根は白く、それは王都中心のハイムヴァー宮殿も例外ではなかった。
レリエンディール第四軍の司令官、ベルフェ・ド・ゴールは、その会議室にいた。魔鏡をかけた、十代前半と思える少女将軍は、ふだんの緑色のローブ姿で別段厚着はしていない。会議室内が暖かかったからだ。
白い壁に、いたるところについている金の飾りと縁取り。吊るされた照明器具も煌びやか。壁面に飾られたいくつもの絵画。リッケンシルト国の王族は豪華思考の傾向があるように思える。
ベルフェは、実用的なものを好み、無駄な装飾にはあまり興味がないが、他人の用意したものを勝手に使う分には嫌いではなかった。……第一軍の司令官であり、姉貴分であるシフェル・リオーネは、逆に煌びやかで豪華なものを好んでいる。ハイムヴァー宮殿の飾りなどに手を加えず、そのままにしているのが、その表れだった。
金色の長い髪を背中に垂らし、背中に白き翼を持つシフェルの姿は、人間たちが好む絵画のモチーフである『天使』を思わす。
レリエンディール一の美女といえば、第五軍の司令官だったアスモディア・カペルの名を挙げる者がいる。だがベルフェに言わせれば、シフェルこそが一番の美女であると思う。……あの下劣で変態の同性愛者よりも、生きる美神こと、シフェルお姉様がこの世で最も美しいのだ。
だが、美しき女神のごとき、シフェルの表情は曇っている。会議室の窓の外から見える曇り空の如く。
『アルトヴューへの侵攻前に邪魔者を叩き潰しておく……わたしはひと月以上前に、そう宣言したわよね?』
とても綺麗な魔人語だったが、その声には苛立ちが混じっている。
ベルフェをはじめ、会議に出席している第一軍、第四軍の上級将校らは、上座につく金髪の魔人将軍を見やる。
『それがどう? リッケンシルト軍残党はいまだ残り、北に目を向ければ獣人たちが息を吹き返した。……しかも』
シフェルは青い瞳を怒りの色に染める。
『見たことも聞いたこともない人間の軍隊が現れ、わが軍に牙を剥いている。この冬に! 本当なら春に備えて自重するこの季節に! おかげで、こちらの計画が大きく狂わされている。……ベルフェ』
『はい、お姉様』
ベルフェは席を立った。外見十歳程度の少女魔人の姿は、この会議室に居並ぶ指揮官たちと比べて異質である。
『現在のところ、敵についてわかっている情報はあまりないのです。敵はウェントゥス傭兵軍と名乗っているものの、その規模や戦闘力については多くが未確認です』
姉貴分を前に、ベルフェは普段の口調ではないが、表情はいつもどおり淡々としている。
『なお、その指揮官は、例のアルゲナムの姫らしく、傭兵軍の戦力の中には旧アルゲナム軍兵力も含まれていると思われるのです』
『セラフィナ・アルゲナム』
シフェルは七色に輝く扇を取り出し、手元で弄ぶ。
『ゲドゥート街道で、豚ちゃんの第二軍を叩きのめした奴らというわけね』
第一軍の将校らに嘲るような笑みが浮かんだ。
第一軍のシフェルと第二軍のベルゼ・シヴューニャの間の対立感情は有名だが、その部下たちの敵視もまた強い。ライバル的存在である相手をこき下ろすとなれば、それが不幸であっても平然としているものである。
一方で、第四軍の将校らの表情は厳しい。
『ウェントゥス軍の行動は、リッケンシルト軍残党がこもるグスダブ城の攻防戦において援軍として現れたのが、最初の目撃報告となるのです』
第四軍将校らが笑わなかった理由がこれである。
ベルフェ率いるオストクリンゲ攻略部隊が、ウェントゥス軍と交戦し二度も撃退され、攻略を諦めた経緯がある。第二軍同様、第四軍も煮え湯を飲まされたのだ。
『現在、そのウェントゥス軍は北部にて、わが軍の制圧地区を攻撃し、順次奪回しているのです』
ベルフェが手招きすると、副官のアガッダがテーブルの上に、リッケンシルト国の地図を広げた。その地図は簡単な手書きのものだったが、魔人軍の勢力範囲を赤、一方のウェントゥス軍の勢力地域を青の染料で塗られていた。
第一軍将校らは、うぬぬ、と声を上げた。
『これはいったいどういうことですかな?』
『わがほうの勢力圏内に突然現れたような。……連中はどこからやってきたんだ?』
普通、こうした勢力図の色分けを行うと、国境線のように一本の線を挟んでにらみ合いとなるのだが、敵対勢力を示す前線の線は東南と北の二箇所に存在していた。しかも互いに繋がっていないので、見方によってはどちらも孤立しているように見える。
『ウェントゥス軍は複数の飛竜を使役しているのです』
ベルフェは淡々と告げた。
『東南地方にいきなり援軍として現れたのも、いま北方で暴れているのも、飛竜を使った空中移動戦術を用いてのものだと思われるのです。その機動性の高さは、まさしく驚嘆。ベルゼの第二軍が空を飛んでいると思えば、わかりやすいのです』
例えで第二軍の名を出したら、第一軍将校らの表情が曇った。……実にわかりやすい。
『ではあるのですが、彼らの飛竜はそれほど数が多いわけでもなく、一度に移動できる人員は一個小隊程度と推測されるのです。まとまった戦力を動かすには、それなりに時間を要と思われます』
『それで、いま確認されているウェントゥス軍の兵力は?』
シフェルが顎に手を当てながら問うた。ベルフェは、心持ち眉をひそめる。
『残念ながら、敵の総兵力についてはまったく不明なのです、お姉様。獣人の森でわがほうの一個大隊が壊滅し、間をおかずフォルトガング城を制圧。この城の駐屯部隊も一個大隊ありましたから、最低でもその二倍から三倍はいると推測されます』
『その見積もりは、少なすぎるのではなくて?』
第一軍の美しき将軍は片方の眉を吊り上げたが、ベルフェは動じなかった。
『あまりに情報が不足しておりますので。ただセラフィナ・アルゲナム、彼女の戦闘力の高さは、多少の兵力差では測れないのです。フォルトガング城がわずか二日で陥落ところからして、何か奇策を用いた可能性が高く、それがわからない限り、単純な兵力計算すらままなりません』
しん、と会議室が静まる。魔人にとっては天敵同然の白銀の勇者、その末裔の存在。第二軍の一個連隊が蹴散らされ、グスダブ城では第四軍がやはり一個歩兵連隊を殲滅された。容易ならざる相手である。
『連中の兵站はどうなっているのですか?』
第一軍の歩兵連隊指揮官が聞いた。答えたのはベルフェではなく、アガッダだった。
『東南地方は、リッケンシルト軍残党。北部地域は獣人の森からだと推測されます』
ベルフェはさっさと席に座った。話すのが面倒になったのだ。副官が指名もなく代理で喋ることは、普通ではありえないことなのだが、ベルフェがこの手の役割を副官に振るのを皆が慣れているので文句はでなかった。シフェルは、面倒くさがりな妹分の態度に、毒気を抜かれように微笑んでいる。
『しかし、この冬で軍を動かすほどの備蓄があるのは驚きです。連中とて冬を越すので精一杯のはず……』
『いや、そうでもない』
第一軍の将校のひとり――青顔のコルドマリン人の騎兵将校、第一騎兵連隊連隊長のサージ・ヴェランスが口を開いた。
『連中はわがほうの占領地を襲撃して、現地徴発を行っているのだろう。つまり、やつらは食料面の補給をわが軍から得ているのだ』
第二軍のベルゼ・シヴューニャお抱えの魔騎兵隊が、現地で食糧や物資を略奪することを常套手段にしていた。もとより機動力の高い部隊だったが、現地で必要物資を強制的に手に入れることで、後方からの補給を待つことなく、迅速な移動を可能としていた。
騎兵将校であるヴェランスが、魔騎兵隊に対するライバル心を持ってしても、覆せない部分はそこにある。
『奴らが補給をわが軍から得ているとすると――』
歩兵連隊指揮官は顔をしかめた。
『連中の進攻を止める手段は皆無では? 北方に最低でも一個連隊以上の増援を送り、かつこれらの拠点を守るべく配置するのは不可能だ』
現在、北方に駐留する魔人軍部隊は多くない。獣人の森攻略とフォルトガング城の戦力が失われた現在、各集落や拠点の戦力を集結させても一個大隊半程度しか残っていない。ウェントゥス軍がそれ以上の戦力を北部地域に展開させているのが確定的な今、速やかな増援の派遣が必要だ。
だが問題は、その戦力を送ることで、春以降の東方進攻作戦に大幅な遅延が予想されることだ。
第一軍司令官のシフェルは、東方進攻作戦を成功させるべく、準備を重ねてきた。ひとたび作戦が始まれば、アルトヴューを蹂躙し、強国ライガネン王国をも一挙に飲み込める……はずだったのだが。
ちら、と第一軍将校らは、上官であるシフェルの顔色を窺う。彼女が、東方進攻作戦の遅れを了承するとは思えない。
レリエンディール内での地盤固めを行い、勢力拡大を狙っているのは第一軍将校なら皆が知っている。そのために大戦果が必要なのだ。
七大貴族筆頭の地位に躍り出たシフェル・リオーネが、他家を押しのけ、名実ともに皇帝に次ぐ第二位にのし上がるためにも。
ヴェランスは口を開いた。
『……敵がわが軍から物資を手に入れているのなら、同時にそれは弱点でもある』
周囲の視線が、美形のコルドマリン人将校へと集まった。
『奴らに、現地徴発をさせなければいいのだ』
魔人たちのセリフでの『 』は魔人語で話しているという設定です(いまさら)




