第三七七話、雪降る土地で
リッケンシルト国は冬真っ盛りだった。
慧太がこの世界にきて、一年と三ヶ月ほど。季節の移ろいは感じても、細かな祭事には疎い。
サターナやアスモディアが言っていたが、魔人の国レリエンディールでは新年を迎えたらしい。一方で人間たちはというと、新年はもう少し温かくなり、春の訪れを感じさせる頃になるという。
春――魔人軍は暖かくなれば、リッケンシルト国の東方にあるアルトヴュー王国への侵攻を開始するだろう。
そのアルトヴュー王国は、異界の怪獣侵攻騒動で王都をやられ、復興にむけて注力している。季節が冬であることを考え合わせても、その復興の進捗もあまり捗っていないようだ。魔人軍に攻められればひとたまりもない。
魔人軍にとって、アルトヴュー王国が防衛体制を整えられない状況は好機である。もし今が『冬』でなければ、当に進撃し、同国を蹂躙・制圧していただろう。
食糧確保の難しい冬は、耐え忍ぶもの。それが現在のこの世界の常識であり、人間、魔人問わず、軍隊を活発に動かすことはない。
だが、現在のリッケンシルト国で起きている戦闘を考えると、必ずしも常識どおりではなかった。
リッケンシルトに駐留する魔人軍は第一軍と第四軍。春以降の侵攻作戦における主力である第一軍と、駐留軍主力である第四軍の二つの軍である。
レリエンディール七軍における軍司令官は同格の存在であるが、第一軍シフェル・リオーネと、第四軍ベルフェ・ド・ゴールの間には個人的に姉妹のような関係があり、実質、第一軍シフェルが、リッケンシルト国内における魔人軍の方針を決めていた。
彼女は、春の大攻勢の前に、リッケンシルト国における抵抗勢力の排除を第四軍に要請した。冬は耐え忍ぶもの――その常識を曲げて、軍を動かしたのである。もちろん、食糧備蓄を考え、全軍を動かすことは不可能だったが。
一方、冬にも関わらず、魔人軍に積極的に攻撃を行っていたのが、ウェントゥス傭兵軍である。
東南地方に押し込められていたリッケンシルト残党軍を救援し、次いで北部地域における獣人の森の防衛戦、フォルトガング城を攻略を成し遂げた。
そして今も北部では、冬にも関わらず活発に行動し魔人軍の制圧集落を次々と奪回していた。
疾風迅雷。
その動きは、魔人軍第二軍を率いる、ベルゼ・シヴューニャを思わせる身の軽さと機動力だった。
慧太たち、ウェントゥス・獣人同盟軍はヴィッダー村を解放した。
雪はやや強く、村は一面真っ白だった。魔人軍駐留部隊は、一個小隊、約四十名程度しかおらず、ウェントゥス軍の一個突撃中隊で圧倒、同村を制圧した。
「村人の保護と、残敵の捜索を行う」
慧太は集まった部隊幹部に指示を出す。
「ガーズィ、村人を集めろ。ヴルト、敵兵の生き残りがいないか探し出してくれ。残りは周辺警戒――」
命令を受け、それぞれの役割を果たすべく走る。凍てつくような寒さ。だが寒さを物ともしないシェイプシフターの分身体や、全身毛で覆われた狼人らは元気だった。
慧太自身も寒さを遮断することができる身だが、人間だった頃の記憶からか、雪に覆われた村を見ていると、心の底から凍るような寒さを連想してしまう。
「……セラ、大丈夫?」
サターナの声に、慧太は振り返る。防寒着に身を包んでいるセラは、同じく防寒着姿のサターナに顔を向けると、小さく笑んだ。
「うん……大丈夫」
吐く息は白い。もとより綺麗な白い肌の持ち主であるセラであるが、まるでりんごのように赤みが差している。
「いや、ちょっと大丈夫じゃないんじゃない?」
サターナが気づいて近づけば、セラはふっと力が抜けたように倒れ――サターナに抱きとめられた。
「セラ!」
慧太は駆け寄る。サターナが雪の上に膝をつき、セラを膝枕しながら、その顔を覗き込む。
「熱があるんじゃない、セラ」
「……大丈夫。……大丈夫」
力なくセラは返事した。覗き込む慧太に、サターナは顔を上げた。
「身体が震えてる」
「ああ、外にいるのはまずいな。家の中に――」
慧太は、セラの身体を抱きかかえる。今日はいやに大人しいなと思ったら……。
ガーズィが村の代表者を連れてきたのとちょうどぶつかり、病人が休める場所をということで、近くの家へと移動した。
石造りの民家。木製の床を靴の音を響かせながら室内へ。ベッドがあったが、シーツに汚れが見えた。とっさにサターナが新しいシーツ――シェイプシフター製のそれを自然に出すふりをして用意すると、ベットにかけなおす。セラの身体を横たえ綺麗な掛け毛布を重ねる。
「さて、困った」
慧太は思わず呟いた。見たところセラは熱があるようだが、これが風邪なのか、あるいはそれ以外の何かの症状なのか、正確な判断がつかない。
「たぶん、風邪でしょうね」
サターナは慧太の隣で言った。
「思えば最近、強行軍だったし。生身の身体では結構ハードだと思うのよね。……それに彼女、アルゲナムの勇者ってことで気を張ってるし」
「ああ」
慧太は言葉少なだ。
サターナの言うとおり、たぶん、風邪だろうとは思う。いや、そうであって欲しい。
生憎とウェントゥス軍に医者はいない。こんな小さな村に医者がいるとは思えないが、仮にいたとしても、この世界、この時代の医療について、あまり信用がおけない。市販の風邪薬なんて、気休めも望むべくもない。
大人しく寝ていれば治る――であって欲しいところだが。心配だ。
『将軍』
ガーズィが遠慮がちに声をかけた。
『村人を待たせていますが……如何いたしますか?』
「……すぐ行く」
そう答えつつ、慧太の視線はセラに向いたまま離れない。発熱時に見られる特有の呼吸。赤みがさした顔色。見ているだけでこちらまで胸が苦しくなってくる。
「代わりに行きましょうか?」
サターナが言った。慧太は視線を動かし、首を振る。
「オレが行く。ここを頼む」
そう告げると、慧太はセラの寝ているベッドから離れ、ガーズィと共に移動する。
いつからだ――?
倒れるまで、彼女の異変に気づかなかった。いつも顔をあわせているはずなのに、そんな些細な変化すら気にしていなかったとでもいうのか。
――ああ、まったく。自分に頭がくるな。
打ち合わせ自体は、さほど時間はかからなかった。
村の代表者と今後の話をした後、ウェントゥス兵らに周囲の警戒を命じ、偵察型を飛ばして、次の攻撃地へと長距離索敵を担った。
現在のところ、魔人軍は駐屯している集落などにこもったまま、越冬に励んでいる。やはりと言うべきか、少ない食料を温存するために無駄な動きを避けて大人しくしているのだ。
だが、王都なり後方からの指示で、配置転換や移動などがないとも言えず、警戒は必要だった。
どうせ動かないだろう、という思い込みが、一番危ない。
それぞれ配置に向かうウェントゥス兵らと入れ代わる形で、残敵掃討を行っていたリアナとキアハがやってきた。二人とも、もこもこの防寒着を着込んでいる。キアハにいたってはフードを被って耳元を寒さから守っていた。
「セラが倒れたと聞いた」
リアナは、いつもの調子だった。キアハは不安げな表情。
「大丈夫なんでしょうか……?」
「医者がいればいいんだが、いないからな」
慧太は二人から視線をはずした。
「二人とも、今日はもう休め。分身体と違って、生身の身体だからな。君らまで倒れたら大変だ」
「わたしは平気」
狐人の少女は真顔だったが、慧太も真剣な顔で念を押した。
「休め。……いいな?」
わかった――リアナが返事すれば、キアハもまた「わかりました」と頷いた。
つい忘れそうになる。人間とはとかく自分基準で物事を考えがちだが、シェイプシフターと生身の人間では、その性能がまるで違うことを。
作戦は上手くいっているが、セラに無理をさせた、あまつさえ倒れさせてしまったことを思うと、少々自分に苛立ちをおぼえる慧太だった。




