第三六八話、騒動の結末
ウェントゥス傭兵軍のもとで、狼人グループと狐人グループは歩み寄りを見せた。
そのきっかけとなったのは、ヴルトとラウラの間での協力体制の確認と良好な関係を築くための一歩だったが、その際にひとつトラブルが発生した。
過去を乗り越え、手を取り合おうと告げ、ラウラはヴルトに握手を求めたが、彼は頷きながら、その手を払うようにタッチした。
え?
ラウラが呆然としたのは言うまでも無い。握手を拒否されたのだから。
わなわなと震えだし、その表情がみるみる赤く染まっていくラウラの様子を、不思議そうな目で見ていたヴルト。
そこで慧太は横から口を挟んだ。
「ラウラ、それ、狼人の友好の挨拶だから」
「はぁ!?」
狐の少女は目の端に涙を浮かべて声を荒げる。
「ゆ、友好の挨拶だと!? 手を払いのけたのだぞ、この狼はッ!」
「違う違う、そうじゃない」
慧太は、両者に歩み寄ると、ヴルトに右手を軽く差し出しながら、「ほら、挨拶」と促した。彼は言われるまま、慧太の右手を払うように手のひらを軽く叩きつけ、パンと乾いた音が天幕に響く。そして今度は慧太がヴルトの手のひらに同じく手を打ち付けてやった。
「狼人は握手しないんだ」
「握手しない……だと?」
「あくしゅって何です?」
ヴルトが聞いた。ラウラは目を剥く。
「握手を知らんと言うのか?」
「知らん。……知らないとまずいんですか、ボス?」
「……狼人と握手しようという人は、早々いないからな多分」
手を出せ――と、慧太はヴルトに言うと、軽く出されたその手を握ってやった。
「おぅ……」
「これが握手だ。まあ、挨拶の一種だよ。好意の表れでもあるから、さっきみたいに跳ね除けたりすると、仲良くする気がないとか思われる」
「……」
ヴルトは固まった。しばし、握手している手を見つめ、彼は言った。
「ひょっとして、いままで手を出されたのは、『あくしゅ』を求めていた?」
「多分そうだろう」
「払いのけたと思われた?」
「……」
「よろしく、と言う意味でタッチしているのに、相手はわかっていなかった?」
「そうなるな」
慧太は、気の毒なものを見る目になった。
「お互いに、自分の種族の常識で物を測っていたということだな。常識だと思いこんで、まさか相手が知らないとは思わなかった。……まあ、普通は知らないよな」
「……」
手を離したヴルトは、その場でうずくまった。大の大人の狼人が、頭を抱えている。慧太は、ポンとその肩に手を置いた。
「何と言うか、お互いのことを理解しなかったのがな。……互いに知っていれば、避けられたこともあっただろうとは思う」
「……ひょっとして、たったこれだけのことで、おれたちと狐人は長年血みどろの争いを続けてきたのか……」
ああ、そんな――ヴルトはがっくりと肩を落とした。
いや、握手うんぬんは原因のひとつかもしれないが、他にも理由はあったと思う。が、具体的には何が、とは当事者でもないので慧太も答えようがなかった。
ただ、その原因のひとつかもしれないそれは、単純きわまるもので、何故気づかなかったのか、という思いがヴルトの中にあった。
そしてそれは、ラウラも同じだった。
「……ケイタよ。そちが、その昔、両種族の会合におれば、きっとわらわたち狐と狼は、ここまでこじらせることはなかったやもしれんな」
「いや、無茶言うなよ」
慧太は言ったが、当のラウラはまるで聞いていないように深々とため息をついた。
「ほんと、わかってしまえば、つまらぬ理由であったのぅ」
・ ・ ・
翌日、慧太は陣地内にいる狐人と狼人の全員に会いに行き、それぞれ個別に話をした。
ひとりひとりと話すと、考え方というか種族間争いに対する捉え方もそれぞれ違うのがわかって面白い。狐と狼、相手種族に対する敵意のレベルも違う。ほとんど他人事で何となく嫌い、という者もいれば、身内に相手種族を殺されて、憎んでいる者もいた。
慧太は、互いに仲良くしろとは言わなかった。ただ少し雑談して、狐なら狼の、狼なら狐の習慣を吹き込んでまわった。
握手の話は最たるものだが、他にも狼人の恨みの話や、狼の言葉とか、ラウラが狼人に誘拐された当事者であるとか、リアナという狐人の話とか――
だがこれが思わぬ方向に飛び火した。
リアナだった。
慧太の話の影響か、一時的に、ウェントゥス軍にいるリアナという存在が両種族から注目されることになった。
「ケイタ……彼らに何を吹き込んだの?」
無表情なリアナにしては珍しく、どこか迷惑そうだった。
まず、狼、狐双方の腕に覚えのある戦士たちから、勝負を挑まれるようになった。はじめは腕試しのつもりだったのかもしれない。慧太が、武器を使った戦いならウェントゥス軍で最強と触れ回ったのが原因だろう。
何人かそういう輩が出るのではないかとは思った。彼女にはいい暇つぶしになるのではないかとも。
だが、何度かその勝負の光景を見たが、そこでのリアナは輝くどころか、退屈さと面倒さがにじみ出ているかのようだった。
格闘を挑めばあっさり捻り、弓で勝負すれば彼女はミスをしなかった。
狐人でも技量に優れたロングボウ使いたちも、リアナには敵わなかった。的との距離を伸ばしながら、正確さを競う勝負においても、彼女は借り物のロングボウを二度試射した後、まるで最初から自分のものだったように使いこなし、部隊一の射手だったボーゲンに勝利を収めたのである。
……達人とはどんな道具でも扱いこなすものなのだろうか。
近接戦で体格に勝る狼人ら――実は猪人、熊人も挑んでいた――を苦もなく倒すことで、一時期、リアナが通ると狼人を筆頭に獣人たちは道を開けて頭を下げた。狐人の兵からは、熱心な信奉者を生んだようで、弟子入りを志願する者が何人かいたようだった。……もちろん、リアナはそれを相手にしなかったが。
「師匠! 弟子にしてください!」
「……何やってるの、キアハ?」
獣人たちに混じって、キアハが弟子入り志願に混じっていたのは微笑ましかったが、当のリアナは呆れ顔である。
キアハはキアハで、ユウラやアスモディアから魔法を教えてもらっているようで、実に勉強熱心である。……なお、彼女には熊人や猪人といった重量級獣人らとよく格闘訓練をやっていた。何でも獣人たちから練習相手に乞われているらしい。
獣人らからのウェントゥス軍という人間の傭兵集団に対する心象が、少し変わったように思える。狐や狼の争いほどではないが、人間ということで敵視にも似た感情を抱いていた獣人が少なからずいたのだろう。
リアナという最強の獣人が、ウェントゥス軍の一員にいるという事実が、そうさせるのかもしれない。
そんな彼女に、とある獣人は聞いた。
『何故、そんなに強いのに人間の傭兵団に?』
獣人たちの間でも、その力ならば引く手あまただろうに――
「ケイタがいないところなどありえない」
彼女は真顔で言ったという。
「それに、私よりケイタのほうが強い。わたしは彼に一度も勝ったことがないから」
え――? その獣人は目を丸くした。
あの年若い人間が、リアナよりも強い――?
それからしばらくの間、獣人たちから奇妙な視線にさらされたり、腕試しを挑まれたりすることになる慧太だった。
どうしてこうなったのか……?




