第三六四話、狼と狐
『つか、あの狐ヤロウ、俺を狙いやがったんだ。間違いねえよ』
狼人小隊のサブリーダーであるエシーは不満を漏らした。
占領した魔人軍野戦陣地、仮設の野外食堂の一角にいるのは狼人のグループ。
『後ろからチクチク撃つだけの小ズルイ奴らだとは思っていたが、狙うなら敵を狙えってんだ』
戦闘の最中、危うく味方の矢にやられるところだったエシーの鼻息は荒い。しかもその矢は、狼人らには因縁深い、狐人の弓兵の放ったものである。
狼人のひとりは言った。
『あいつら、ちょっと手先が器用だからって――』
『おい――!』
エシーは、その狼人を睨む。
『それは言うな』
『すんません……』
器用さの話、特に狐人との比較は狼人にはタブーである。
『弓の腕どうこう言っているけど、連中、案外大したことないんじゃないっスか?』
『魔人とおれたちの区別もつかねえ……! ってか?』
おどけて言う同僚の姿に、『がっははっ』と狼人たちは大笑いした。勝ち戦の後である。
『おい、見ろよ。……狐の奴らがこっちを見てやがるぜ』
一人が気づいた。野外食堂のちょうど反対側に、白と緑色の外套をまとう狐人の戦士団が食事を摂っていた。
小奇麗でお揃いの格好の狐人たち。
それに比べると、革鎧や手甲をつけているものの、その下は薄着ないし、上半身裸の狼人は、粗野で薄汚れたアウトローな空気をまとっている。
ふん、とエシーは唸った。
『すました顔しやがって。……あいつら、おれたちを蛮族か何かだと思ってやがる』
『気にいらねえな』
『つーか、あいつら、何でこっち見てるんだ?』
『さあ、知るかよ。どうせ、俺たちの言葉、奴らはわかんないべ』
それもそうだ――グヘヘ、と忍び笑いをする狼人たち。
一方、狐人たちは不快感を隠そうともせず、狼人らを睨む。
狐人弓兵隊リーダーのボーゲンは吐き捨てるように言った。
『なんで、あいつらは、獣人の死体が吊るされていた直後にも関わらず、平然と肉を喰らって笑っているのだ?』
長身の狐人である。二十代後半、細めな顔立ちの多い狐人にしては無骨な男である。細身だが、その服の下は鍛えられた肉体。貧弱な者にロングボウは扱えない。またその身体つきは、右と左で異なるという熟練のロングボウ使い特有の体型をしていた。
ボーゲン率いるロングボウ部隊は後方からの援護射撃に徹し、陣地攻略を助けた。
前には出なかったが、魔人軍の野営陣地内に獣人屠殺場があった話は聞いていた。狐人も肉は食べるが、獣人が食用肉として加工されている話を聞いた今となっては、しばらく肉は食べる気になれなかった。
だからこそ、そんな光景を目にした直後にも関わらず、暢気に肉が食べられる狼人の神経を疑うのだ。
『というか、あいつらの声、耳障りですな』
部下の一人が言った。
『犬みたいにわんわん吠えて――』
別の弓使いの部下が、眉をひそめた。
『こっち見ながら何を言ってるんだが。……まあ、どうせ悪口だろうってのは見当がつきますがね』
狼人の言葉はわからずとも、その声に嘲りにも似た響きが含まれているのは、感じている。
お互いに悪態をついているだろうと思うのだが、今のところ喧嘩に発展しないのは、双方の距離が離れていること。何より、相手が何を言っているのかわからないので、因縁ふっかけるだけの動機がやや弱いことだ。
直接罵倒されたり、暴力を振るわれれば大儀も立つが、自分たちから突っかかると、上司――狐人たちは姫巫女のラウラ、狼人はヴルトやウェントゥスのリーダーたちに申し開きができなかったのである。
『野獣どもめ』
ボーゲンは口もとを引きつらせると、酒を呷った。
・ ・ ・
野営地の一角、狐人らに割り当てられた天幕を、セラは訪れていた。狐人グループの代表としてウェントゥス軍と行動を共にしているラウラと話をするためだ。
「ほうほう、狐と狼の関係とな?」
狐人の少女は、机の上に出されたヘルバ茶の入ったカップをとり、口元をほころばせた。
大樹の森でとれる葉から作られたお茶は薄い緑色。セラもカップのお茶を見やり、変わった色だな、と思いつつ口に運ぶ。……少し苦い。
ヘルバ茶を嬉々として飲むラウラ。十二、三程度と思われる銀髪の狐少女がやや苦味のお茶を嗜むさまを見ていると、どうにも年下に見えなくなる。……ひょっとしたら、ラウラはかなり高齢なのではないか――セラは勘ぐってしまう。狐は化かす、というし。
「……獣人に興味を持ってもらえるのはとても嬉しいぞ、セラ姫。人間と話をするために覚えた言葉なのに、案外話したことがないというも皮肉なものだからなー」
「そうなの?」
「うむ。実は、わらわが喋ったことがある人間というのは、セラ姫とケイタくらいしかいないのだ」
そんなものなのだろうか。セラは思う。その割にはしっかりとした西方語――いや、少し古風な言い回しではあるが、会話するには問題はない。
「でも、それを言ったら、私も狐人をお話したのは、リアナとあなたくらいしかないわ」
「存外、異種族と会話する機会は多くないからのぅ。いや、わらわは姫巫女などやっておるから、他の獣人種族とは話すほうなのだが」
ラウラは目を細める。
「それでもまあ、狼人とはないのぅ。知っておるとは思うが、狐人と狼人は不仲――を通り越して互いに敵視している関係だ。うぇんとぅす軍と合流したとはいえ、同じ場所にいるのが不思議なくらいよく思ってはおらん」
「敵視……」
セラは唇が渇くのを感じた。ラウラは片目をつぶった。
「お互い、奴らにさらわれた身。そちも狼にはよい感情を抱いてはおらんだろう?」
「私の立場で言うべきことではないのだけど」
セラは頷いた。
「あまり。初遭遇が最悪だったのは否定できない」
「……ここでのことは、わらわとそちだけの秘密だ。本音を申してもよい」
机の上のポットから、ヘルバ茶のおかわりを注ぐ。
「狼人はわらわたちから見れば『敵』も同然。獲物を掻っ攫い、集団でよってたかって襲い――」
すっと、ラウラの目が刃物のような冷たさを帯びる。
「我が同族を殺す。狡猾で、残忍な、血に飢えた人殺しどもよ」
「……」
これまで銀髪の狐少女が見せたことのない表情に、セラは顔を強張らせた。
恨み、憎悪――狐人と狼人の関係を何も知らない人間から見ても、両者の間に埋めがたい溝があることを窺わせる顔だ。
背筋に冷たいものがよぎるのを、セラは感じた。
ウェントゥス傭兵軍にいま、狼人と狐人がいる。ケイタは狼人の言葉を解して、彼らを迎え入れた。だがラウラを見ていると、その関係すら危ぶまれるほどの緊張感を感じずにはいられなかった。
何も起こらないはずがない。はっきりと嫌な予感がした。
「姫巫女さま!」
天幕に狐人の神官――ラウラの従者をやっている二十手前くらいの少女が飛び込んできた。あどけなさの残る顔立ちの彼女は、しかし切羽詰った声で言った。
「大変です! 食堂で喧嘩が! 同族とヴォールが!」




