第三六〇話、石の雨 時々 痴女
左翼陣地の抵抗はなくなった。
巨人兵の投石攻撃によって壊滅したか、恐れをなして逃げたのだろう。反撃のない岩壁陣地に魔人兵たちが乗り込む。敵兵の姿……なし!
オオッ――狼魔人が雄叫びを上げる。
岩壁のひとつに登った旗持ちの兵が軍旗を振り、制圧の合図を後続部隊に送る。巨人兵の小隊や歩兵部隊の残りも、前衛に合流すべく前進を開始する。
岩壁が立ち並ぶ、仮の陣地内。魔人兵らは、生き残りや敵が残していったものがないか探る。――やけに岩だらけだな……。
巨人兵が投石しまくったから、岩が散乱していてもおかしくはないが、それにしても……。
魔人兵らが違和感をおぼえる。そしてふと、一人の魔人兵が奇妙な大岩を見つけた。
それは、岩なのに人型をしていた。石像というほうが正しいか。
髪の長い女――胸が大きく、それでいてスタイルがよい。……魔人兵の中の一部種族に対して色情を催すに足る魅力を発散している。石のくせに生々しい。まるで生きたそれをそのまま石にしたような――
その瞬間、どこからともなく矢が飛んできた。どさりと一人の魔人兵が地面に倒れたのを合図に、陣地内にいた兵らの四方八方から矢が放たれ、次々に打ち倒されていく。
岩壁陣地の裏に入った三〇名ほどの魔人兵が、最初の一人が撃たれてから十秒以内に屍となった。
岩に化けていたウェントゥス兵が姿を現す中、すっと空間が歪み、そこからユウラとキアハが出てきた。
「……凄いですねこの魔法。魔人たち、まったく気づきませんでした」
感嘆を漏らすキアハ。ユウラは歩き出す。
「まあ、姿だけでなく音や臭いも遮断しましたからね。……と、あまりのんびりしていられませんね」
岩壁陣地に、魔人軍の本隊が近づきつつある。後続の歩兵と巨人兵部隊。陣地を陥としたことで警戒感が薄くなっている連中が。
爆砕や稲妻は威力があり過ぎて、ここでは不可――狐人の姫巫女の言葉を守って、大規模魔法は控えているユウラである。
だが、手がないわけではない。
自らが陣地構築のために作り出した岩や、巨人兵が投げてきた大岩などが無数に散らばっている。大樹の森に漂う濃厚な魔力をもってすれば、これら全てを動かすことは造作もない。
ふわりと浮かびだす岩。左翼陣地付近に散乱する数十を超える岩が、見えない手で持ち上げられるように浮遊しだす。
その光景を、キアハやウェントゥス兵らは驚きの目で見ていた。複数、十を超えるだけでも充分多いというのに、三十、四十を超え、それ以上ともなると、いくら魔術師と言えど人間業の範囲を超過している。
それを涼しい顔でやってのけるのが、ユウラ・ワーベルタ。魔法の天才たる所以。
魔人兵らも、突然、浮遊し始めた岩の大群を前に、思わず足を止められた。大樹の森という神秘の力が働いている場所で遭遇した、未知の光景。岩の数があまりに多すぎて、それが人為的に行われていると思った者は皆無だった。
自然現象、いや、超常現象。
魔人兵はそれ以上進むことに抵抗を覚えた。だが、その浮かんだ岩が、どうなるのか予想がつかないために、固唾を呑んで様子を見ている。
――投擲。
浮遊した岩が、一斉に魔人軍の隊列に襲い掛かった。五十を超える岩の雨が、魔人兵らを押し潰し、引き裂き、悲鳴と怒号を森に響かせた。
自分に向かっている、と自覚した時点で多くの魔人兵は回避する間もなく、岩の下敷きになった。
恐るべき岩の雨は、魔人部隊の半数以上を血の海に沈める。巨人兵や歩兵中隊本部の兵らにも犠牲が出る。彼らは、目の前で起きた惨劇が、敵の攻撃ではなく天災によるものだと考えた。どこの世界に、数十もの岩を同時に攻撃に使う者がいるのか――いや、いるはずがない。ありえないことが起こると、事実でも頭で理解するのを拒否するのだ。
『中隊長! ご無事で!?』
副官に助け起こされる魔人軍歩兵部隊指揮官。どうやら驚きのあまり腰を抜かし、地面に座り込んでいたようだった。
『いったい何――』
口からすべての言葉が出る前に、目の前にもう一つ岩が突き刺さった。
『ひぃっ!?』
副官や近くにいた部下たちが悲鳴じみた声をあげる。指揮官は再度、地面にしりもちをついた。
それは石像だった。妙に色っぽい人間の女――いや、人間ではない。どこの世界に背中に竜を思わした羽を生やした人間がいるのか。そしてその顔は……フルフェイス型の兜に覆われている。羊を思わずねじれた角が二本。兜の後ろからは波打つような長い髪が出ている。
すると、石像が動き出した。石でできているはずのそれが、見る見るうちに肌色に変わっていく。
『あぁ……! 嗚呼っ……!』
まるで眠りから覚めたように、伸びをする石像――いや、魔人とおぼしき女。
黒いフルフェイス兜で顔が見えないが、聞こえた声は女のそれ。だがそれ以外は、ほぼ裸だった。たわわに実った大きな胸が艶かしい質感と共に揺れる。胸の先や下腹の大事な部分は何とか隠れているが、傍目で見ればほぼ全裸に見えるほどの肌も露わなその姿。
夢魔がいるとしたら、こんな姿をしているのではないか。人型ならば性欲を感じる一部の魔人たちには、その姿は刺激的過ぎた。
『あはぁ……っ! 見られてるぅ、見られてるわ……!』
その女は身をくねらせる。かと思えば、突然右手に、赤い槍を具現化させる。……はて、その赤い槍、どこかで見かけたような――魔人兵指揮官が思ったその時、その槍の穂先が風を切り、そして首を刎ねた。
『え……?』
『あはぁ~!』
喜びの声をあげ、その女魔人は槍を振るう。魔人兵らは胸を引き裂かれ、首を貫かれ、盛大に血を噴く。
ほぼ同時に、岩壁陣地からウェントゥス兵の反撃が始まった。いまだ混乱から立ち直れない魔人兵部隊に、キアハを先頭に白い角付き兜と軽甲冑をまとう集団が切り込む。
アスモディアは魔槍スコルピオテイルを振り回し、魔人歩兵中隊の本部要員を皆殺しにした。
――あぁ、この感じ……ィ!
びりびりとした刺激が身体を駆け巡る。肌も露わな全身に感じるのは、冷たい空気と生暖かな血と、ねとりとまとわりつくような視線。
――ダメェ、バレちゃうっ! 顔を隠してても、バレてしまうわ……っ!
魔人たちは軍が違えど、第五軍の指揮官であるアスモディアのことを知っている者たちも多いだろう。
レリエンディール軍一の美女。多くの人型種族の性欲を掻き立て、それを自らの快感に変換していたアスモディアである。いくら兜を隠していても、この美しすぎる身体で気づかれてしまうのではないか――身バレしたら、立場上ヤバい。
裏切り者。人間に下った最低の魔人。七大貴族の面汚し――しかもほぼ全裸の痴女スタイル。……ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!
歓喜。
被虐心が大いに刺激され、アスモディアは全身が震えるのを感じた。痺れる。気持ちイイ! イきそう!
ドスドスと巨人兵が鎚や大斧を手に、アスモディアに迫ってくる。……ああ、大きい、大きいわ。あれに潰されたら、どんな痛みを与えてくれるのかしら?
尻尾が疼く。赤く毒々しい色をしたサソリの尻尾。アスモディアは背中の翼を羽ばたかせ飛んだ。
『でも、ダぁメ……』
巨人兵の背後に回りこむと、尻尾の先端、猛毒の針をその背中に打ち込んだ。魔獣を瞬時に殺す猛毒が、巨人兵の血管を汚染し、破壊しながら生命活動を止めた。
溶けるように無残に死んでいく巨人兵。
『次は、だぁれ……? あはっ!』
アスモディアは巨人兵に挑み、槍と尻尾、二つのサソリの尾で血祭りにあげていった。




