第三五九話、シールドウォール
聖域前防衛線、中央陣地。サターナは苛立ちを露にした。
獣人同盟の歩兵たちは、ウェントゥス側の援軍をまったく当てにしていなかった。
特に猪人のリーダーは、体格で劣る人間やサターナ――彼女は少女の姿ゆえに仕方ないが――をあからさまに弱者と決め付け、邪魔だけはしてくれるなと言い放ったのだ。
これにはサターナはカチンときた。猪人の種族思考――大きい者の言うことが正しい、という価値観のせいだったとしても、不愉快な態度に目をつぶってやるほどお人よしでもなかったのだ。
当然ながら、ヴルトら狼人らも、大きさで言えば猪人に劣るので、勝手にやれと言われた。
結果、協力すべきウェントゥス軍と獣人同盟は、戦闘前からすでに連係を失っていた。サターナは予備の第三中隊と共に待機しながら、独自の戦闘計画を立て始めた。
同じく第三中隊に配置されていた魔鎧騎士のティシアは、見かねて声をかけた。
「サターナ殿、さすがに同盟関係にある彼らを無視するのは如何なものかと……」
もとより温厚なティシアである。政治的な配慮にも気を配るのだが、当のサターナは完全に拗ねていた。
「何故、ワタシが奴らのご機嫌とりをしなくてはならないのかしら?」
このあたり、腐っても魔人国の筆頭貴族だったプライドがあった。
「そもそも無視されたのはワタシたちのほうよ、ティシア。……獣人同盟、せいぜい聖域を守る盾として、魔人軍の注意を引いていればいいわ!」
「お嬢、作戦は?」
中央隊のアウロラが、サターナに聞いた。お、お嬢? ――思わず表情が引きつるティシアを無視して、サターナは告げた。
「防衛戦ではあるけれど、こっちも積極的な機動打撃に出るべきだと思うわ。獣人同盟の兵士は数が少なすぎて、守りに徹しているとジリ貧は確定」
まったく容赦のない黒髪の少女である。
「連中が魔人軍とぶつかっている間に、こちらはあなたたちの魔鎧機で逆襲に出て、敵の前線を突破。そこから側面や後方に回り込んでの迂回、包囲戦術で、敵を撃滅する……というのはどうかしら?」
「おもしれぇ。アタシは乗ったぜ、お嬢!」
褐色肌の魔鎧騎士は、すっかりその気になっていた。何より攻撃に出るというのが気に入った。どうせ聖域前で立って、やってきた敵と戦うだけだと思っていたからだ。
森の中とはいえ、大樹同士の間隔が広いので、魔鎧機の通行や戦闘も問題なくこなせる。そうであるならば、その機動力を積極的に用いるべきだ。
アウロラの認識とサターナの思惑が一致した瞬間だった。
だが、いざ戦闘が始まった時、サターナの獣人同盟への怒りは呆れに変わった。
魔人軍は、両翼に突っ込んできた部隊同様、魔獣を前面に押し出したが、ろくな防衛陣地のない中央隊の獣人たちは、そのまま近接戦に移行して、馬鹿正直に格闘戦をはじめた。
その結果、先鋒戦だけで、約四分の一に当たる十一名が死亡ないし負傷して、戦力外になる始末。さらに後続の魔人兵らの中隊が進撃してくるのを見やると、獣人兵らは獣らしく咆哮を上げながら、数倍にもおよぶ敵に『突撃』をかましたのだ。
待ち受けるとは何だったのか……?
人間の騎士たちが正々堂々を謳い、とりあえず騎兵突撃を行う様を思い出した。時と状況くらいは読むべきだと思うが、愚かさでいえば、どっちもどっちな気がする。
あの猪人リーダーに引っ張られる形で、獣人たちは敵部隊へ切り込み、まあ十数人を血祭りに上げたのは、さすがに身体が大きいだけのことはあると認めよう。
だが、それだけだ。体格だって獣人には負けていない魔人兵らが、数で押してタコ殴りを行えば獣人兵らは次々に屍と化していった。
客観的に見て、突っ込んだ獣人と同じだけの魔人兵を仕留めることすらできなかった事実は、勇壮に見えた突撃も、犠牲に見合う戦果がなかった時点で愚策としか言いようがなかった。
あってよかった予備隊……いや、最初から獣人たちなどいなかったのだ――サターナの獣人同盟の兵たちに下した評価は、とことん低かった。
「盾にすらならなかったのではね……まったく」
サターナは押し寄せる魔人兵部隊に対し、ウェントゥス兵らによるクロスボウ射撃を命じつつ、矢をかいぐぐって迫る敵兵に魔法攻撃を実施した。
獣人への怒りと、聖域近くで魔力が多かったことが相まって、氷柱の生成量は、ふだんのそれをはるかに上回った。
無数の氷のスパイクで、魔人兵らは盾や鎧もろとも身体を引き裂かれる。攻撃と同時に、即席の防御陣地の構築を、たった一撃で行うサターナ。
獣人たちの無策、失態を、わずか数秒で振り出しに戻した中央隊であるが、魔人軍の主力は中央を目指していた。
・ ・ ・
右翼隊。獣人弓兵らが放つ矢を、盾の壁『シールドウォール』隊形で防ぎつつ、魔人歩兵部隊は着実に陣地へと迫っていた。
巨人兵による投げ槍で、即席バリケードはすでに無きに等しい。固まっているとそちらが狙われるので、ウェントゥス兵のクロスボウによる集中射撃は困難を極めた。大砲でもあれば、盾の壁を砕けるだろうがそんなものはないし、仮にあっても後ろの巨人兵の援護攻撃で阻止されるだろう。
このままでは物量差で押し切られる――普通の軍勢なら、迫る敵兵の足音に絶望を感じるところだろうが……だが、慧太はすでに反撃の手を打っていた。
大樹の間を飛翔するは翼を持った白銀の騎士。青い燐光を噴き出しながら、敵上方へと現れたのは、セラの魔鎧機『スアールカ』。
『当たれ!』
腰部の光槍砲が黄色い光弾を放つ。それは投げ槍を持って前線を睨んでいた巨人兵の胴に突き刺さり、貫いた。
敵!? ――巨人兵らが顔を上げる。スアールカは、白銀の装甲をきらめかせ、銀魔剣を振りかざして突っ込んだ。
一刀のもとに巨人兵を切り捨て、さらに光槍砲を至近で撃つことで、二、三人の巨人をまとめて撃つ。
だが一人で挑むには、巨人兵の数が多い。投げ槍や岩を投げつけることで反撃する彼らに、セラは光の障壁で防ぎ、または飛び上がることで縦横無尽に機動してかわす。
魔人軍右翼隊の後方が滅茶苦茶になる。
だが盾を構えて進む歩兵部隊は、後方のそれに気づかず前進を続けた。強固なシールドウォールは、獣人らの矢を弾く。
兎人の弓兵が唸る。
『ダメだ! ぜんぜん止められない!』
『くそっ』
狐人の弓兵もまた悪態をつく。リアナは、いつもの如く淡々と弓を構え、矢を放つ。
無数の盾を並べて壁とするそれの、わずかな隙間を彼女の矢は射抜く。悲鳴が上がり、一時的に盾の壁に綻びが生じるが、すぐに周りの兵や後ろに控えている兵が、その隙間を埋める。
それでも魔人兵らにとっても、決して余裕があったわけではない。獣人弓兵の恐るべき技量。じりじりと、着実に進みつつも気が抜けない。盾を持つ手を下げれば、その隙間を抜いてくる。
魔人兵らは盾によって正面の視界が利かない状態で前進を続ける。敵の陣地まであとどれくらいあるのか、そればかりが思考にあった。
だから、彼らは気づかなかった。新たな攻撃が迫っていることに。
慧太たちが潜む即席陣地から、二十センチほどの小動物が地面の傾斜に沿って駆ける。
『ムースリーダーより各員、シールドウォールを攻撃するぞ』
それはネズミだった。十を超えるネズミの集団は、魔人歩兵部隊へと一目散に走る。
『敵に踏み潰されるなよ!』
地を這うように向かっていくネズミ型分身体。その大きさからすれば、魔人兵は巨人にも等しい。だが微塵も怯むことなく、ネズミたち走る。飛来する矢から身を守るべく盾を構える敵兵と地面の隙間――十数センチのあいだを一気に飛び込み、隊列を走り抜けた。
魔人兵の靴を避けながら、ネズミの糞ならぬ手榴弾を分離させ、その足元に転がす。
ムースリーダーほか勇敢なる十数匹のネズミ集団が、魔人歩兵部隊を駆け抜けた頃、手榴弾が次々に爆発。爆熱と破片に魔人兵らは跳ね飛び、悲鳴と共にその盾の壁が吹き飛んだ。
「突撃!」
慧太はその瞬間を待っていた。伏せていたウェントゥス兵ら共に、崩れた敵歩兵部隊に突撃を敢行する。
シールドウォールが崩壊し、足元の爆発が何かわからないまま混乱した魔人兵らに右翼隊は切り込んだ。




