第三五七話、戦闘配置
大樹の森の深部に進むウェントゥス・獣人同盟軍。ウェントゥス軍二五〇名。獣人同盟およそ六〇が、その戦力だ。
『森というには、少々地形が開けていますな』
ガーズィが行軍しながら森を眺める。慧太は頷く。
「ああ、大樹と大樹の間の間隔が広いから、多少の茂みと地形の高低差があるくらいで、平地で戦うのと変わらないな」
やや遠くが見え難い程度で、陣形を組みながらの運動でも特に問題としない広さが無数にある。要するに、守りには不向きということだ。
「せめて、塹壕とか防御用の陣地があればな」
これから行く場所に、その手の防衛陣地はない。聖域の守りは、四方に置かれた森の砦が担っていたのだから。西にある砦が突破された以上、そこから聖域までの間にあるのはただの森だけである。
『いまから陣地を構築している余裕は……ないでしょうな』
魔人軍が聖域に移動しているという情報がある。それを迎撃する形で進むウェントゥス・獣人同盟軍だが、現地に着く頃には即、交戦になると思われる。
地形効果はさほど見込めず、セラの聖天やユウラやアスモディアの一部大魔法は、森への被害と獣人たちの心象を考えれば使えない。
「……まあ、それでも正面からぶつかるしかないんだがな」
シェイプシフターと魔人兵。正面からの殴り合いになれば、早々負けないと思うが、何か想定外の手違いがあると、数の差は露骨に戦況に影響する可能性がある。慢心、ダメ、絶対。
ユウラが口を開いた。
「いちおう背の高い草や茂みがありますから、隠れる場所もそこそこありますよ」
「それはそうだが」
『隠れて撃つにはいいですが、待ち伏せ地点としては弱いですな』
ガーズィが指摘する。茂みに隠れて一撃はできる。だがその直後、弓などの応射を受けるか、距離を詰められ近接戦に持ち込まれるのがオチだ。
もっと起伏が激しかったり、障害物がいっぱいあれば、一撃といわず、隠れている場所に迫られるまでにしつこつ攻撃を繰り返せただろうが……。
「それなら、地形を変えてしまえばいいんじゃないかしら?」
サターナである。こんな森でもいつものドレス姿の彼女。慧太は振り返る。
「地形を変えるとは?」
「気づいてる? この森、魔力が濃いのよ」
両手を広げ、そびえたつ大樹を見上げるサターナ。……そういえば森に入った時、ユウラがそんなようなことを言っていた。
「であるなら、魔法で地形に少し手を加えることで、即席の防御陣地を構築できるわ」
「魔法で穴でも掘るのか?」
「違うわよ、お父様。たとえば、地面の構成を操作して岩の壁やスパイクを生成するのよ。……ユウラ、あなた、そういう魔法あるのではなくて?」
「ああ、なるほど」
青髪の魔術師は相好を崩した。
「その手がありましたね。……キアハさん?」
彼は振り返ると、リアナと一緒に歩いていたキアハは、「はい?」と小首をかしげた。
「あなたは、岩壁を作れるようになりましたよね? ちょっと陣地構築を手伝ってもらいましょうか」
「あ、わ、私がですか!?」
ええ、と頷くユウラ。慧太もサターナも驚いた。
「キアハ、あなた魔法、使えたの?」
「あ……その、ユウラさんに教えてもらっていたんです」
少し恥ずかしげに顔を赤らめるキアハ。別に秘密にしていたわけではないが、黙っていたのだ。
「知らない間に、キアハが魔法か」
慧太は、思わず顔をほころばせる。
「いいんじゃないか、そういうの」
向上心があって。その言葉に、キアハははにかんだ。慧太は、ユウラに視線を向ける。
「地形に合わせて、岩壁などで即席のバリケードを作るとして……間に合うかな?」
「ええ、僕もそれが気がかりです」
魔人軍の進軍速度にもよるが、現状でも割とギリギリだ。防衛体制を構築する余裕はあまりないと思われる。
すると、サターナが唇の端を吊り上げた。
「そこはワタシも手伝うわよ。いたるところに氷柱を立ててやるわ。……この森の気温なら、一、二時間程度は余裕で保つでしょう」
「……お前、頭いいな」
素直に慧太は感心してしまった。サターナは、ふふ、と茶目っ気たっぷりに笑った。
「いまごろ気づいたの、お父様?」
無数にそびえる大樹の森は、やがて奥に靄に包まれた一角が見えて来る。
「あれが聖域だ」
ラウラが、靄に包まれた辺りを指し示す。熊人の肩に乗っている銀髪の少女姫は、自身の近衛とも言える狐人の部隊を率いている。
「靄に見えるが、魔力が可視化するほど濃厚なのだ」
「……これはまた」
ユウラが目を細めた。
「すごい魔力の層だ。溺れそうなくらいですね」
彼が言うのならそうだろうが……。慧太には、あいにくと自然現象のそれにしか見えない。だが、昼間にもかかわらず、靄がかかっている一帯は、そびえ立つ巨木の迫力もあって、より神秘的な空気を漂わせている。
そんな慧太のもとに、偵察体のムササビが大樹の間を滑空しながら飛んできた。
――魔人軍の歩兵と魔獣の戦闘部隊が、森を進軍中。
規模は一個大隊。ただし魔人軍の歩兵大隊は六〇〇人前後なので、ウェントゥス軍基準の大隊のおよそ二倍の兵力差がある。魔人軍部隊には一般的な歩兵のほかに、魔獣や巨人兵も加わっており、それぞれ百を超えているとようだ。
あと、三十分ほどで聖域到達……つまり、ウェントゥス軍の正面に現れる。
「進軍停止」
慧太はウェントゥス軍の移動を停止させた。
ラウラもまた、足として利用した熊人を止め、その肩から降りると、近衛である狐人のリーダーを呼んだ。
さらに他の種族の獣人の分隊リーダーたちも集まってくる。ラウラは、ウェントゥス側の慧太、セラ、ユウラと、それらリーダーたちを見回した。
「神樹はもちろん、聖域内の大樹は傷つけずに戦ってもらいたい」
十代前半の外見である銀髪の狐人は、おごそかに告げる。
「姫巫女に伝わる伝承によれば、かつて聖域と呼ばれた範囲は今よりもっと広かった。しかし争いや負の力が干渉することで、聖域は力を弱め、その範囲を狭めた。本当なら、こんな聖域の近くで、魔人どもとやりあいたくはないが……かといって奴らの行動を座視しているわけにもいかん。各々、その旨、忘れることなきよう」
それでは幸運を――ラウラが頷けば、それぞれのリーダーたちは動き始めた。
狐人の近衛を中心とする猫人や兎人の弓兵が、遊撃隊として森へと消えていく。熊人や猪人といった重量級の獣人たちが、聖域手前で敵を待ち伏せるべく配置に向かう。いずれも兵力で劣っているのを自覚しているためか、緊張した面持ちである。
ラウラは慧太へと視線を向けた。
「うぇんとぅす軍には、聖域前で防衛線を形成するほうにまわってもらいたい」
人数で言えばウェントゥス・獣人同盟軍の中軸を担っているウェントゥス軍である。
「了解した。……確認しておくが、オレたちの目的は、魔人軍の聖域侵入阻止でいいな?」
「ふむ。向かってくる魔人どもを退けることでよしとする」
「わかった。こちらは魔人を撃退するために全力を尽くそう」
「頼む」
ラウラは頭を下げると、慧太はやや戸惑い、しかし苦笑した。
「何とかするよ。……姫巫女殿は、後ろに下がってていただけると助かる。流れ矢にでも当たったら洒落にもならない」
「わらわは、聖域のほうで控えておる。いざとなったら……いや、その時はそちたちが敗れた時であろうが、わらわの術で最期まで抵抗してみせよう」
では――立ち去るラウラ。その背中を見送り、慧太は待機しているウェントゥス側の面々へと向き直った。
「我々も配置につこう。中央は獣人同盟の兵たちがいるがいる。我々はその左右両側に展開する形となる。……ガーズィ」
『第一中隊を北側右翼、第二中隊を南側左翼へ展開させます』
第一突撃兵大隊の指揮官であるガーズィは即答した。
『第三中隊は予備として、敵が突破しそうな防衛線の隙間を埋めさせます』
一個小隊を森の砦に置いてきた第三中隊は、他の中隊に比べて人数が少ないのだ。
『まあ、おそらく中央の補強が主だと思われますが』
中央を担当する獣人同盟の兵たち――そこを守っているのが遊撃隊を除く四十名程度の獣人である。両翼が百人以上いるのに対して、明らかに真ん中の人員が少ない。
「それでも少なすぎるな。ヴルト、君の小隊で中央の補強を頼めるか?」
「了解、ボス。魔人をぶっ殺せるなら、どこでもいいですぜ」
青灰色の毛並を持つ狼人の戦士は答えた。




