第三五五話、会談
案内の兵によって導かれたのは、森の砦の会議室。
木製の長テーブルに、その周りには切り株を模した椅子が配置されている。
「ようこそ、人間たち」
犬顔――ドーベルマンのような顔に、もっさりとした髭を生やした老人が西方語で言った。慧太たちに席に着くように手振りで示す。
「先の貴殿らの参戦で魔人どもを追い払うことができた。それについては、礼を言おう」
――歓迎されていないな、これは。
慧太は思う。
犬顔獣人は自らの胸に手を当てた。
「私は、聖域を守護する獣人連合代表のダルボだ。こちらは、戦闘隊長のマソン殿」
ダルボと名乗った代表は、隣にいる猪顔の獣人を指し示した。小太りと言っていいかもしれないがマソンは、かなり大柄な人物だ。表情が厳しいのはもとからかもしれないが、かなり威圧感がある。
慧太は口を開いた。
「はじめまして、ダルボ。ウェントゥス軍を率いる羽土慧太です。こちらは副将のユウラ・ワーベルタ。そちらの狼人は、ハント族のヴルト。そして――」
銀髪の少女に身体を向ける。
「こちらの方が、リッケンシルトの隣国、聖アルゲナムのセラフィナ・アルゲナム王女殿下」
「アルゲナムの……」
一度座ったダルボが、再度立ち上がった。
「聖アルゲナムといえば、獣人に寛容な国と聞いております。……しかし、今は魔人に――」
「はい、国は……魔人の手に落ちています」
セラは心持ち沈んだ表情で頷いた。だがすぐにその瞳に光がよぎる。
「ですが、必ず魔人たちから国を取り戻します! そのために今戦っているのですから」
そうですか――ダルボは首肯した。
「ろくなもてなしもできぬことを、お許しいただきたい。それと姫君、我らは獣人。人間の王族に対する礼儀作法には疎いゆえ、おそらく非礼な振る舞いを見せることになろうが、先に謝っておく」
「構いません、ダルボ代表」
セラは、外交的な笑みを浮かべた。人間のルールを獣人たちに押しつけるつもりはない。
「それで、我らが聖なる森に何用で参られた?」
席につきながら、ダルボが問うた。慧太はセラを顔を見合わせる。
――どちらが話す? ……ああ、オレ。
慧太は、ダルボに視線を向けた。
「魔人に対する共同戦線を提案しに参りました。我々はリッケンシルトにいる魔人軍を駆逐して、アルゲナムを奴らから奪回するために戦っています。……同じ敵を持つ者同士、協力できるなら協力すべきかと」
現状、魔人軍の勢力に対し、リッケンシルトにいる対抗勢力は兵力において圧倒的に劣勢。ウェントゥス軍のシェイプシフターはその数を増やしてはいるものの、リッケンシルト軍はしばらく弱体。北部の獣人勢力も、偵察情報の上では苦戦を強いられていると聞く。
そうした勢力が同盟を組めば、兵力は倍増。個々に戦うよりも、おそらく魔人軍により打撃を与える作戦が可能になるだろう。
「人間と同盟!」
マソン隊長が大声を出した。
「私は反対です! 人間は信用できない……」
「……」
ダルボは机の腕で手を組んで黙り込んでいる。
信用できない――まあ、そうだよな。慧太は心の中で呟く。人間たちが獣人に差別的であるように、彼らもまた人間を信じていない。
「不信感を抱いているのはわかります」
慧太は、世間話をするような調子で言った。
「実は、ウェントゥス傭兵団というのは、ハイマトと言う名の獣人傭兵団が前身でして、オレもユウラも、その獣人たちと一緒にいました」
「獣人傭兵団……?」
「聞いたことがあります」
マソンが、ダルボに言った。
「たしか、熊人がリーダーをしていた小さな組織です」
そういった猪人の隊長は、慧太を見た。
「何故、人間が獣人の傭兵団に?」
「拾われたんです。放浪の傭兵だったのですが、彼らに迎えられたのでそこに」
熊人のドラウト団長。逞しく、頼りがいのあったタフガイ。口は悪いが面倒見のいい獣人だった。魔人との戦いの中で命を落としたが……。
「オレ個人で言えば、獣人だからどうこうという感情はないんです」
なるほど、とダルボが軽く手を打った。
「それで、狼人が、そちらに加わっているのだね?」
犬人の代表は、ウェントゥス側に座る青灰色の狼人を見つめた。
「ハント族ヴルトよ、おぬしに問う。人間と共闘しているのは、ぬしら狼族の総意か?」
「狼人族の総意か、と言われれば答えはノーだ。おれはこのあたりの狼人族の代表じゃないからな。……だがハント族の総意であるかと問われるなら、答えはイエスだ」
「おぬしと、おぬしの一族のみ、ということか?」
ヴルトは頷いた。マソンが口を開いた。
「他の一族は反対したのか」
「違う。おれの故郷と同郷のほかの一族は魔人軍に皆殺しにあったのだ」
皆殺し――場に沈痛な空気が漂った。つい先ほどまで森の砦の前で起きたようなことが他でも行われていたという事実。
ダルボは、小さく息をついた。
「なるほど。……敵討ちか」
狼人は恨みを忘れない――獣人たちの中でも有名な言葉だ。
「共同戦線の提案だが、より具体的に、我ら獣人に何を望む?」
ダルボは言った。一歩前進か――慧太は思った。
「魔人軍と共に戦って欲しい。……要約するとそうなります」
「兵を出せ、ということか」
ダルボは眉間にしわを寄せた。
「魔人軍をリッケンシルト国から駆逐するために、軍を編成し戦おう、と……?」
「そうです」
「話になりませんな!」
マソンが荒々しく鼻息をついた。
「森と聖域を守るための戦いならば、我々は一歩も引かぬ! だが、それはこの森のまわりでのこと。それ以外のところに出張って戦争などするつもりなどない!」
猪人は席から腰を上げた。
「リッケンシルト国というが、それはお前たち人間が引いた縄張りの話であろう! 我ら獣人には関係のない話だ」
それは、この大樹の森近辺の出来事しか関知しないということだ。それ以外のところで何が起きようが、まったく知らないし、見ないということである。
「それは、このあたりの獣人の『総意』ですか?」
慧太が睨むように言えば、マソンは、ちらとダルボを見た。
「……そうだ」
なるほど――慧太は天を仰いだ。いまの発言は、ややマソンの先走りであったが、ダルボが何も言わなかったことからして、獣人たちは大方そのように考えていると見て間違いないだろう。
「……確かに、獣人が自らのテリトリーの外に出るというのは、おかしな話かもしれませんね」
「左様。理解が早いな」
マソンは腕を組んで、少しだけ感心したような声を出した。だがそこへ――
「本当にそれでいいの……?」
セラの硬質な声が、場の空気を凍らせた。
「自分たちのところが無事なら、それで済むと思っているのですか……? リッケンシルトが完全に魔人軍の手に落ちたなら、次に滅ぼされるのはあなたたちですよ」
銀髪の姫君は、感情を削ぎ落としたような声のまま、猪人の戦闘隊長を見やる。
「縄張りがどうとかいう問題じゃない。いま力をあわせなければ、待っているのは破滅だけ! 戦わないと!」
その通りだ、と慧太は思った。魔人軍は春になればさらに東進する。その前に邪魔になるものは排除する。リッケンシルト国の残党軍は、慧太たちが駆けつけなければそうなっていたし、ここ北部での獣人の抵抗も排除の対象だ。
魔人軍が本気になれば、北の森を支配することなど容易い。冬が終われば、もはや獣人たちになす術はない。
「いや、どのような言葉を重ねようとも人間は信用できん!」
マソンが怒鳴った。
「兵を出せ、食糧を出せ、そして大樹を切るとか言い出すのだろう! 協力の名のもとに我らを利用して、搾り尽す魂胆だ! 人間どもはいつもそうだ」
「そんなことはないわ!」
セラも負けじと立ち上がった。こちらを泥棒や強盗まがいの者のような言い方をされて、さすがに気分を害したのだろう。正直、取り付くしまもないマソンの言動には、分からず屋を前にした苛立ちを感じるが、しかし当のマソンも引かない。
「あなたはアルゲナムの姫であろう! この場にリッケンシルトの指導者がいないのに、何故断言できるのかっ!?」
まずい――会議室が熱を帯びて加速をはじめた。それも、決して交わることのない平行線の未来へ。
その時、ふっとわいたような女の声が、会議室に涼風をもたらした。
「そろそろ、話はおわったかのぅ?」




