第三五三話、大樹の森
その森は、冬にも関わらず青々とした葉をつけた木々が、高くそびえていた。一般的な木と比べても桁違いに高く、太い。数十メートル……百には届いていないとは思うが、一般的な城などよりも遙かに高い。
リッケンシルト北部、獣人たちのテリトリーであるその森は、大樹の森と呼ばれていた。
ウェントゥス軍は、アイレスの町の魔人軍駐屯部隊と交戦し、これを制圧すると、続いて西進して獣人テリトリー、そして大樹の森へと到着した。
「ここは、魔力が深く息づいています」
ユウラは高く伸びている森の木を見上げた。
「古より存在するこの森を、獣人たちは神聖視しています。ここに住む動物たちも、他とは少し違う種が多く、またその大きさも大型のものが多い」
周囲を警戒するウェントゥス兵。慧太たちは、森の中を進む。寒くはあるが、雪はさほど積もっていない。ここ数日、雪が降っているところをみていない。
「魔石資源も豊富ですが、それ目当てに来れば、森の守護者を自負する獣人たちに襲われ、追い散らされるでしょう」
それ故に――青髪の魔術師は一同を見渡した。
「魔石泥棒の人間のせいで、森の住人たちの人間に対する認識はよろしくありません。気を抜けば、彼らにあっさり捕まったり、殺されるかもしれません」
「物騒だな、それは」
慧太は皮肉げに言うと、振り返り、ガーズィに言った。
「兵たちに、手ごろな魔石を見つけても回収するなと言っておけ」
『承知しました』
角付き兜と、白い軽甲冑姿のガーズィやウェントゥス兵。一方、森の中にも関わらず、いつものドレス姿のサターナは、興味深げに視線を上げる。
「ずいぶんと高い木ね。どこか、力を感じるわ」
「魔力は強くなるでしょうね」
シスター服であるアスモディアも、高くにある枝葉から漏れる木漏れ日に目を細める。
「濃厚な魔力が満ちているのがわかるわ。身体の隅々まで強く巡っていく感じ……」
魔力の塊であるアスモディアがそういうのなら、そうなのだろう。サターナは、そんな赤毛のシスターを見やる。
「どうでもいいけれど、あなた魔法使う時は気をつけなさいよね。得意の炎魔法で森を燃やしたら、それこそ目も当てられないわ」
「し、しないわよ、そんな自爆みたいなこと……!」
どうだか、と言わんばかりの顔になるサターナ。視線があったセラも肩をすくめた。
慧太は、リアナと狼人のヴルトを呼ぶ。
「どうだ?」
「……すでに見張られてる」
リアナが言えば、ヴルトも鼻をひくつかせた。
「ええ、この狐の言うとおりです。おれたちが何者か見定めているといったところでしょう」
「このまま、森を進むと――待ち伏せ、されるような気がするが」
「おそらく」
ヴルトは頷いた。
「この森の聖域に近づけば、間違いなく」
「その前に、話をつけたいものだが……」
ちら、とリアナを見やる。
「その監視している奴と接触できるか?」
「任せて」
リアナはコクリと頷くと、素早くその場を離れた。慧太はその背中を見送り、ふとヴルトが言った。
「……あの狐は、どういう関係で?」
「というと?」
「他に獣人がいないようなので。どういう経緯で参加したのかと」
「ああ……。オレは以前、ハイマト傭兵団という獣人の傭兵団にいてな。彼女とはそこで」
「……なるほど。ひょっとして、おれたちの言葉もそこで?」
「まあ、な」
本当は、同族を喰らって覚えた……なのだが、さすがに本当のことは言えないと慧太は思った。
・ ・ ・
大樹の森の深部に、獣人たちが『聖域』と呼ぶ場所がある。
その聖域よりやや離れた地点。大樹をくり貫き、または組み合わせて作られた森の砦は、押し寄せる魔人軍と、迎え撃つ獣人たちとの間で激しい戦闘が繰り広げられていた。
草がまばらで、土や石がむき出しになっている大地を踏みしめ、突き進む魔人兵。無骨な鉄の兜と鎧をまとった獣の顔の戦士たちは分厚い盾や斧、黒い槍を手に駆ける。
一方、大樹の中ほどに作られた射撃台や窓から、革鎧やマントを羽織った狐人をはじめとした獣人らが弓矢を構え、矢の雨を降らせる。
矢を避けるための大型盾も、ほぼ頭上から降ってくるそれを防ぐのは難しい。盾の重さがあって、長時間、上に向けるが困難なのだ。無理にその姿勢を維持しようとして、ひっくりかえる兵が何人もいた。
だが攻撃は上の木だけではない。砦の壁を形成する木の周りには、木製のスパイクが埋め込まれていて、そのまわりに溝が掘られていた。獣人たちは溝に半身を隠しながら、弓矢、クロスボウで低い位置から魔人兵を撃つ。
上と下からの射撃は、魔人兵たちに出血をしいたが、敵の数が多すぎた。盾持ちの兵を前に出して突進する魔人兵。必然的に、どちらかの射撃を無視する形になるが、魔人兵たちの戦意は高かった。
『突っ込んでくる!』
脳天に矢を受けた魔人兵が倒れる。だがすぐ後ろについていた兵はそのまま走り続け、砦周りの溝に先頭きって飛び込んだ。
溝にいた山猫人が、警告の声を上げる。すると隣にいた猪人の戦士が斧を振り上げ、飛び込んできた魔人兵の兜にめり込む一撃を叩き込んだ。
だがそれもつかの間、溝に次々に魔人兵がなだれ込んでくる。
犬人の弓使いが胸を剣で貫かれれば、山猫人の戦士は、豚顔魔人の体当たりで圧し掛かられ、溝の底に倒される。猪人の戦士がそれを助けようと振り向くが、溝のところに達した後続の魔人兵たちが槍を連続して繰り出し、猪人の身体を容赦なく突き刺していく。
悲鳴。怒号。断末魔――それらが上がっては消えた。
『下に取り付かれたッ!』
砦の上から、弓で射撃していた狐人の射手が叫ぶ。真下を狙うことはできないが、極力下の敵を狙い、矢を撃ち続ける。
『……っ! おーい、矢だ! 矢をもってこい!』
空になった矢筒。射手の声に、狐人の少年兵が慌てて、奥へと走る。兎人
の女射手が叫んだ。
『くそっ! アイツら、仲間を……!』
見れば、地上で死んだ獣人の死体を数人がかりで魔人兵が、後方へと運ぼうとしている。
つい先ほど殺し合いをして倒した相手……中には、まだ生きている獣人もいる。抵抗しているようだが、魔人兵らは力づくで連れ去ろうとしているのだ。
『矢を持ってきました!』
狐人の少年が矢筒を複数抱えて戻ってきた。狐人の射手は新たな矢を番えつつ、まだ生きている仲間を連れ去ろうとする魔人兵めがけて射撃する。一人……二人――
その時、突然、下から赤い弾が飛んできて、狐人の胸を焼いた。
『なっ!?』
高熱が革鎧を貫き、胸を穿って心臓を焼いた。真っ逆さまに落下する狐人射手。兎人の女射手は何が起きたかわからず、下方に視線を走らせる。
すると、砦から離れた場所にある木の陰にいる魔人兵が、先端に赤い宝石のようなものがついた筒状のものをクロスボウのように構えている姿を見つけた。先ほどの赤い光弾が放たれるのを見て、それの仕業だと確信する。
その光弾を放つ魔人兵は複数いて、木の上の獣人射手たちを狙い、次々に撃ち倒していった。
『危ない!』
狐人の少年の声に、兎人の女射手は「え?」と声を漏らす。次の瞬間、光弾が顔面に迫るのが見え、思わず身を伏せた。だが、彼女にとって自慢でありチャームポイントである耳がちぎれ飛んだ。
『ギャアアアアアッ! 耳がぁっ!! あああッ!』
激痛にのたうつ兎人。耳は、この種族にとっては急所でもあるのだ。その小柄な身体がゴロゴロと転がり、危うく落下しそうになるのを狐人の少年が何とかひっぱり止めたが、兎人は狂乱状態で悲鳴をあげ続けている。
――駄目だ。このままじゃ……!
狐人の少年は焦燥にかられる。天然の要塞である森の砦だが、魔人兵の数が多すぎた。大樹の森近辺の獣人の連合軍といえど、正規の軍隊ではないし、数だって圧倒的に劣勢だ。
殺される……!
少年は歯を食いしばる。魔人兵が、殺した獣人の死体を持って帰る理由を思い出す。
奴らは、戦利品として獣人の角や牙、耳などを集めたりしているが、このあたりで交戦する魔人兵たちは、多くの場合、獣人を『肉』として喰らうのである。
――嫌だ、そんな死に方!
ガタガタと震えが来る。
その時だった。
森に複数の遠吠えが木霊した。
狐人の少年はビクリとする。思い出しただけで背筋を震わせるそれは、狐人の天敵である狼人の吠える声。
森の砦、東側に、新たな一団が姿を現す。狼人の戦士たちと、白い兜に軽甲冑姿の奇妙な軍らしき戦士団が。




