第三五二話、闇を駆ける魔術師
なにやら嫌な予感が一瞬よぎったのは何だったのか。
漆黒のローブをまとい、フードを被ったユウラは先ほど感じた寒気の正体に思いを馳せる。
――アスモディアに留守を任せたが、よかったのだろうか。
不安の正体はたぶんそれだ。
ユウラはいま一人だ。しかも、ウェントゥス軍の誰にも……彼の正体を知るアスモディア以外に知らせず、慧太も知らないまま、野営地を離れて行動している。
風魔法でその身も軽く、跳ねるように地を蹴る。その速度は馬などよりも遙かに速い。南へ数ギラータ、やがて、ユウラは廃墟と化している集落にたどり着いた。
「……ふむ、この辺りでいいか」
魔人軍の襲撃でも受けたのか、家屋はすべて焼け落ち、黒ずんだ柱や家だった名残りが残っているのみ。人の姿はない。
大地の下を流れる魔力の流れは……申し分なし。
ユウラは廃墟の集落の中央で、右手をかざした。
『万物を構成する魔力よ、我が手に集え』
古代魔術の詠唱。それにより彼の視界は、魔力の色である青に満たされる。
大気が、大地が、廃墟が、立っている木々から、青い光がユウラの右手へと集まる。
それは根こそぎといってよかった。木が力を失ったように枯れ始め、一定範囲内の大気中魔力も一点に集中、そしてより強い輝きを放つ物体へと固まる。
それは青く輝く拳ほどの大きさの魔石。大地から、そして大気から魔力を吸い上げ、出来上がった天然の魔石。本来、数年、数十年、数百年の長い時間をかけて生成されるそれを、わずか数分のあいだに一つ作り上げたのだ。
ユウラ・ワーベルタ。古代魔術の知識を得て、用いる魔術師。その知識と力は、すでに大賢者をも凌駕する。
――だが万能ではない。
青髪の魔術師は、そっと視線を地面へと注ぐ。
魔力を見ることができる彼の目を通しても、黒く、精気を失った大地。木は枯れ、生命力を失った地は、おそらく幾度も雨にさらされ、大地を流れる魔力によって回復するまで、ほぼ数年のあいだは草木も生えない不毛の土地となるだろう。
ユウラの半径百メートル範囲の大気中の魔力もまた失われたが、こちらは数分もすれば範囲外の大気が風などに巻かれて循環し、回復する。
つまり、いまユウラが立っている範囲の魔力は、ユウラ自身と右手の魔石にしかないということだ。……自らの魔力ではなく、地や大気などから魔力を拝借しているユウラは、大気の魔力が回復するまでの数分間魔法を使えない。
――まあ、少し歩いている間に、すぐ使えるようになる……が?
ガタ、と近くで木材が地面にぶつかる音がした。よく見れば、廃墟の建物の影から、ぬらりと影が複数現れる。……無人だと思っていたが、盗賊か、あるいは獣の類か。
目を凝らせば、それは魔人兵だった。紫色の肌を持つトカゲ顔――カラドクラン人と、豚顔のセプラン人たち――ざっと見たところ、十人程度だろうか。鉄兜に鉄の鎧、手には槍や斧を持つ、それらが、ユウラを取り囲むように近づいてくる。
『こんなところで、何やってやがんだ人間?』
カラドクラン兵が、舌をちろちろ覗かせながら手の棍棒を振り回しながら歩いてくる。
『さっきの光、オマエの仕業か?』
魔力収集の光を見られたようだ。道理で。ユウラが魔術を行使した時にはいなかったわけだ。
『冬にカラドクランとは珍しいな』
ユウラは、流暢な『魔人語』で言った。
『北のノールゴルドンか』
『オマエは何者だ?』
北方トカゲ族のカラドクラン兵が唸った。
『オレたちの言葉がわかるとは……ただの人間じゃないな?』
『貴様たち雑兵に名乗る名前はない』
『いけすかねえ、まるで貴族みてぇな口聞きやがって!』
低く吠えるカラドクラン兵。周囲のカラドクラン、セプラン兵が武器を手に距離を詰める。
『捕まえて、吐かせてやるッ!』
『できるものならな……』
ユウラは単詠唱を行おうとして、ふと、まだ大気に魔力が満ちていないことに気づく。
――そうだった。まだ魔法は使えないか。
正面から、斧を振り上げ迫るセプラン兵。……ああ、そうだ。手ごろな魔力があるではないか。
斜め上からの斬撃を、すり抜けるように回避。その際、右手をセプラン兵の腕に触れさせる。
魔力は万物に宿る。それは生き物も同じ。接触した魔人兵にも、ユウラ自身にも魔力が流れている。ただ、ユウラに言わせれば、自分の中の魔力を使って魔法を使うのは三流がやることである。
すれ違いざまの軽いタッチ。ほんの一秒にも満たないそれ。
――ちょっと魔力拝借。
だが触られたセプラン人は、またたく間に全身の魔力を吸い取られ、干物のように肌から生気を失われてしまう。
――そして死ね。
セプラン人の心臓が見えない魔力の手によって潰れた。すれ違ったと思った瞬間、その兵士が地面に倒れ、周囲は驚く。何が起こったのか、当然理解できた者はいない。
――そして……。
奪った魔力を用いて、ユウラは武器を召喚する。闇の波動をほとばしらせ、空間から突如引き抜かれたのは、赤い稲妻をまとった黒々とした刀身を持つ長剣。
『一分だ』
ユウラの魔力を見る目は、大気に混ざりだす魔力をしっかりと捉える。
『貴様らに与えられた時間は、残り一分。その間に私を殺せないなら、貴様たちは死ぬ』
『ぬかせぇ!』
周囲から、魔人兵らが切りかかる。ユウラは剣を振るう。迫る魔人の爪剣、その鉄の刃をバターのように引き裂くと、そのまま魔人兵の胴体を鎧ごと、両断する。
右へ、左へ。ひらりとかわすユウラは、向かってくる魔人兵を悉く引き裂いた。
『これは一分もいらなかったか?』
向かってくる敵兵が全滅するのに二十秒。呆然とし、恐怖の表情を浮かべている魔人兵が五人ほど。
ユウラは犬を散歩するような気楽な足取りで魔人兵の残りへと歩く。フードの奥で、その目は妖しく青く光っている。
『くそぉおっ!』
カラドクランの戦士が槍を突いてくる。ユウラは一歩横に移動して突きを避けながら、剣で槍の穂先を切断。勢い余って突進するトカゲ頭の首から上を跳ね飛ばした。
左手で、首なし魔人兵の身体に触れる。すれ違いざまの魔力吸収。それをすぐさま、足先にまわし、地を蹴る。弾丸のような勢いで加速、棒立ちの魔人兵に肉薄すると、剣をその胴に突き入れた。
『が……ッ! ああっ!』
そのまま剣を上へと持ち上げるように振れば、太いセプラン兵の身体が上下に真っ二つとなる。
『なんなんだ、こいつ……! ば、化け物っ!』
残る魔人兵らが身をひるがえし背中を向けた。逃げたのだ。
『……私が逃がすと思っているのか? 我が剣ピュニシオンを見た貴様らを』
ユウラは剣を構えようとして――やめた。もはや、自ら動くこともないことに気づいたのだ。
『一分経った』
踵を返す。黒剣ピュニシオンをもとの闇空間へ収めつつ、元きた道へと引き返す。
逃げた三人の魔人兵――その末路を見ることもない。
一人は、心臓を握りつぶされ、一人は地面から生えた無数のとげに全身を串刺しにされ、最後の一人は見えない手に首を絞められ、そのまま首をへし折られた。
魔人軍の斥候分隊は、ただの一人も生き残ることなく、廃墟の集落に屍をさらしたのだった。




