第三五一話、移動の合間
翌日、コシネルやリヨンといった周辺の村々から避難する村人のグループは、ユウラたちが警護する避難民グループとの合流を果たした。
ここから先は、ダシューの部隊がハイデン村まで護衛につく。慧太たちは引き返し、リッケンシルト国北方の獣人たちのテリトリーを目指す。
だがその前に、慧太は、ウェントゥス軍の主な面々に説明しなければならないことがあった。ヴルトら狼人グループ、二十二名の加入である。
天幕内に、アウロラの声が響いた。
「狼人だと!? なに勝手に仲間に加えてんだ!」
案の定というか、獣人に否定的な褐色肌の女騎士は真っ向から反対の声を上げた。
「ティシア嬢さまも、一緒にいたのに反対しなかったんですか!?」
「ウェントゥス軍の指揮官は、ハヅチ将軍ですもの」
しれっと、ティシアは言った。
「私がどうこういう問題ではないわ。というか、そもそも反対する理由はないでしょう」
「ウェントゥス軍は、セラフィナ様が総大将じゃないんですか?」
アウロラの視線が、銀髪の姫に向く。
「セラフィナ様は? いいんですか?」
「うん、まあ……ケイタが決めたことだから」
セラは控えめな調子で言った。その表情を見るに、少しぎこちない。
内心、狼人を味方に加えたことに諸手を挙げて歓迎したわけではない。が、受け入れ難い原因というのが、かつて狼人にさらわれて怖い目にあったから。それは自身の感情面からのものであって、反対する理由としては大変弱かった。
話を聞いていたユウラが口を開いた。
「まあ、これから獣人たちと共同戦線を張ろうというわけですから、狼人も味方に引き入れられたのなら、幸先がいいのではないですか?」
アスモディアも同意した。
「彼らは人間よりも嗅覚、聴覚に勝ります。必ず役に立つでしょう」
賛成派が意見を言ったところで、サターナが視線を天幕入り口へと向けた。
「あなたは、どうリアナ? 狐人は、狼人と仲が悪いって聞くけれど」
「どうもこうもない」
リアナは相変わらず、淡々と言った。
「ケイタがそう決めたなら、従うだけ」
「一番反対しそうだと思ったのに、クールよねあなたは」
サターナは視線を、アウロラに向けた。
「ユウラが言ったとおり、獣人たちと協力していく方向なのは、この遠征始まる前からわかっていたことでしょう? いまさら反対するのは、みっともないわよ」
諭すように言われて、アウロラは口をへの字に曲げる。彼女は慧太に向き直ると、頭を下げた。
「感情論で反対言ってすみませんでしたっ」
「お、おう……」
若干拗ねたような声ではあるが、プライドの高い騎士がきちんと頭を下げるさまに、慧太は少し驚いた。……やはり、性格が丸くなったのかなと思う。
とりあえず、話がまとまったようなので、慧太はガーズィに、ヴルトを呼んでくるように伝令を出させる。自己紹介が必要だ。
「あー、実は、もう待ってました」
そう言って、天幕に青灰色の毛の狼人が入ってきた。話がまる聞こえだったことを察し、アウロラやセラが気まずい表情を浮かべた。一方でユウラやアスモディアは好意的な表情を、ヴルトに向けた。
これらの対比は何なんだろう、と慧太は思う。
セラは、過去の狼人とのトラウマ。アウロラは獣人に対して元から苦手意識がある。一方、ユウラは慧太と同じく獣人傭兵団にいた、よく考えたら物好き。アスモディアは魔人で人間ではないから、獣人はまだ接しやすいのかもしれない。
リアナは――特に関心がなさそうだった。むしろ、ヴルトのほうが気になっているのか、彼女のほうへちらちらと視線をやっている。
狐人と狼人。過去に色々あったらしい両種族ではあるが、これから獣人たちのもとへ向かえば、それぞれの種族が抱えている大なり小なりの感情や問題と接することにもなるだろう。
そう、こんなものは、始まりに過ぎない。ただ、それらは些細では片付けられないデリケートなものではあるのだが。
・ ・ ・
村人たち避難民は、ダシュー隊に護衛されて東南地方にあるハイデン村へと出発した。
慧太たち北方遠征隊は、北西方向へ進撃。当面の目的地としてアイレスの町を目指す。以前、チーズ祭りと、トラハダスの廃教会アジトがあったあの町である。現在は、魔人軍の駐屯部隊がいる。
夜、野営を行うウェントゥス軍。このところこの辺りは雪が降らなかったようで、積雪はほどんとなかったが、あいも変わらず冬真っ盛りで寒々とした空気に満たされている。
そんな中、キアハは天幕が無数に張られた野営地を歩いていた。目指す先は、ユウラが使っている天幕。少し魔法のことで聞きたいことがあったのだ。
ウェントゥス兵や、最近加わった狼人の姿が見える。キアハの夜の鬼の姿を見て、狼人たちはびっくりしていた。もとより身体が大きい上に、鬼型であることもあって、今のところ絡まれることはなかった。……見た目で言ったら、狼人もそれなりに怖いと思うのが――絡まれたらどうしよう?
避難民と別れた後はないが、それ以前は、狼人たちを見る人間たちの目が冷ややかというか、怖がっているのように見えた。こういう視線について、キアハにも覚えがあるので、自分からとやかく言うつもりはないが、一応同情はしていた。
ただレーヴァも含めて、ウェントゥス兵が、避難民たちの白眼視も無視して、狼人たちに武器の使い方を教えたり、一緒に食事をしてなにやら話し込んでいるのを見た。だからまったく肩身が狭い思いはしていないように、キアハの目には映った。そのあたりのフォローは、ケイタさんはさすがだな、と思う。
――でも狼人の言葉って難しそう……。
ウェントゥス兵たちが、当たり前のように狼人たちと会話しているので、少し考えてしまう。獣人言語って、結構常識だったりする?
そんなことはないのだが、世間一般に疎いキアハは悩むのである。
やがて、目的のユウラの天幕前に到着した。あー、けほん、と小さく咳払い。
「先生ー、いまよろしいですか?」
ユウラのことを『先生』と呼ぶようになったキアハである。天幕内に明かりが灯っているのが見えるので、留守ではないだろうが――
『……んあ?』
聞こえたのは、何故かアスモディアの声だった。天幕を間違えたかしら、ときょろきょろとキアハは確認する。
間違いはない。まあ、アスモディアはユウラ先生とよく一緒にいるから――キアハは構わず声をかけた。
「昼間の魔法のことで、先生に聞きたいことがあったのですが……いまよろしいですか?」
『んんっ……いまぁ?』
天幕内からのアスモディアのくぐもった声。
『い、今は遠慮……して、あっ――くれないかしら?』
先ほどからアスモディアの声しか返って来ないのだが……何か様子がおかしい。
「大丈夫ですか? どこかお具合が――」
『あんっ、って、入らないでよね……! いま、わたくしとあんたの先生はお楽しみ中なんだから……ぁぁ……』
お楽しみ中? 何が? キアハはキョトンとしてしまう。先ほどからアスモディアの声は、妙に艶めかしい。
「!」
何か覚えがあるぞ――キアハは考える。たしかあれだ、アスモディアがあの大きな胸を触ったり、人の胸揉んでくる時の、あのエロ妖しい声と息継ぎ!
『あ、マスター、そこは……!』
「……出直します」
キアハは回れ右をした。正直よくわからないけど、ああいう声のときのアスモディアに近づくと、胸を触られたりして、キアハはあまり好きではない。
ゆっくりと歩くキアハは、腕を組んで考え込む。よくわからないが、魔法の講義については明日のほうがいいか。
しかし、お楽しみって何をしているのだろうか? 何となく、入ったらいけないような響きに受け取ったが……。
誰かに聞くべきか。誰ならわかるだろうか? リアナは狐人だから、わからないかもしれない。人間か魔人のお楽しみ……うーん。
――サターナさんは、ちょっと苦手なんだですよね……。ケイタさんは忙しそうだし。……やっぱりセラさんに聞くのが一番かな……。
キアハが一人、もやもやしている頃、ユウラの天幕内では――
「ふう、行ったわね。……マスターのお留守を守るのも楽じゃないわ」
簡易ながら、わらを敷き詰めた上にシーツをかけたベッドに、アスモディアは色欲をもよおす美しい裸体をさらしていた。
「まあ、仕方ないわね。……いちおう、ここにいることにしておけって言うのだから……」
あ、と思わず声が漏れた。留守番を仰せつかりながら、自身の豊かな胸に片手を添え、艶やかな吐息をつくアスモディア。ひとりお楽しみの真っ最中だった。




