第三五〇話、偏見
狼人らに食糧を与えた後、ウェントゥス兵は避難民の野営地周辺の警備に戻った。
慧太は、じっと森の方向を見たまま動かないリアナの隣に立つ。ガーズィもやってきた。
『動きませんな、彼らは』
その視線の先には、輪になってもらった肉を食べている狼人たち。もらうものもらったら、さっさと立ち去って別の場所で食事をするかと思いきや、彼らはその場で肉を喰らい始めた。……相当、腹が減っていたのかもしれない。
「追い払おうか……?」
リアナが弓を手にする。狼人が絡むと妙に積極的だなこの娘は――慧太は首を横に振った。
「飯ぐらい自由にさせてやれよ」
・ ・ ・
『おれは、あのウェントゥス傭兵軍とやらについていこうと思う』
ヴルトは、もらった肉を喰らった後で――味については、はっきりいえば不味かった――皆を見回した。
次席リーダーであるエシーが、小さく唸った。
『いいのか? 人間だぞ?』
人間が狼人を敵対的に見ているように、多くの狼人もまた人間種に対してよい感情を抱いていない。……だからこそだ、とヴルトは思う。
『おれたちにメシを分けた。連中だって、余っているわけじゃないだろうに』
『だが、俺たちと事を構えるのを嫌がったからじゃないか?』
狼人との集団との戦闘、流血を嫌がり食事を出したのかも――狼人らが、リーダーであるヴルトを見やるが、当のヴルトはため息をついた。
『オマエら、あの場で戦闘になってたと思うか? 奴らが自分らの血が流れるのが嫌だったら、おれたち全員をあの場で射殺したほうが早かっただろう?』
実際、そうすれば連中は何も被害なく、狼人グループを全滅させることができたのだ。普通の人間なら、きっとそうしていたはずだ。腹を空かせた狼人など構うことなく、さっさと射殺して、それでおしまい。貴重な食糧も分ける必要すらなかった。
『でも、人間ですよ……?』
グループの一人が、エシーが先ほど言った言葉を繰り返した。人間を信用していいのか、と。
『確かに、あいつは人間だ』
ヴルトは認めた。
『おれも、普通の人間なら、メシをもらってさっさと立ち去ったんだが……他の人間たちとは決定的な違いがある』
違い? ――狼人たちは顔を見合わせた。
『おれたちの言葉を話すことができる人間だ』
あぁ――彼らは一同に頷いた。言われて見ればそうだ。こんな人間、いままで見たことがない。
『あれほどまでおれたちの言葉に堪能な連中だ。狼人に対して偏見はあまりないと思う』
それに――ヴルトの目が光った。
『あのウェントゥス軍は、魔人と戦っている。……おれたちの集落を滅ぼし、女子供を殺した魔人どもとだ!』
エシーら、数名の顔が途端に厳しいものに変わった。狼人たちは忘れていない。自分たちの家族や伴侶を殺した『敵』への恨みを。
『このままメシを求めて彷徨っていても、魔人どもに復讐できない。おれは早く魔人どもを殺したい!』
狼人たちは、低い唸り声を発した。傍からきけば、敵意、怒りを含んだその声は、しかし彼らに言わせれば、戦闘前の戦意高揚の掛け声に近い。……つまり、一同の気持ちは、リーダーのヴルトと同じだということだ。
『……ウェントゥスに協力することが、その近道だとおれは思う』
ヴルトは軽く右手を上げた。エシーも同じ手をあげ、ヴルトの上げた手にぶつけた。いわゆるハイタッチである。
エシーはタッチした手を隣の狼人に。その狼人も同じようにハイタッチを交わし、それは輪になっている狼人たちに順番に交わされていく。
同意を示すサイン。グループの団結力が強い狼人たちは、ハイタッチを交わすことで自らの考えを示す。もしリーダーの考えに反対ならば、手を引っ込め、隣の者にハイタッチを受けないし、回さない。
やがて、同意のサインは、ヴルトの下へ戻ってきた。途切れることなく、ヴルトは最後の者からのハイタッチを受けた。全員の賛成を得たのだ。
・ ・ ・
ヴルトが、慧太のもとへやってきて、ウェントゥス軍に参加したいと言った時、聞いていたセラたち一同は驚いた。
狼人が人間側に協力を申し入れたこともさることながら、一番の驚きは、ヴルトが西方語を話したことだ。……人間の言葉を喋れたのだ。
「おれたちは集落の仇を討ちたい」
ヴルトは低い声で言った。
「もちろん、あんたが狼人を受け入れないと言うのなら、おれたちは黙って立ち去る。だが魔人連中に復讐したいというのはおれたちも同じだ。少なくとも足手まといにはならない」
「……それは全員の意思か?」
慧太は問うた。ヴルトは迷うことなく頷いた。
「全員だ」
彼は真っ直ぐ慧太を見つめた。黙っていると襲い掛かってきそうな迫力がある狼顔――それがいわゆる他の種族から怖がられる一因でもあるが……。
「お前たちの決意はわかった」
慧太はそこで、狼人の言葉に切り替える。
『オレとしては歓迎するが、普通の人間たちは狼人を恐れている。オレたちと一緒にいると、そういう偏見的な目で見られることも多くなる。それでも構わないか?』
『もとより承知』
ヴルトも狼人の言葉で応じた。
『それにそれを言ったら、おれたちも人間に対して偏見を持っている』
『それもそうか』
慧太は小さく笑った。つまり、お互い様ということだ。
狼人に限らず、獣人だからと差別する人間は多い。それを認識してる上での参加表明ならば、加わってから『思っていたのと違う』などといわれることもなるだろう。せっかく戦う決意をしてくれた者たちを、つまらない身内の差別でやる気をなくされても困る。
――とはいえ、たぶん面倒事は増えるんだろうな……。
そんな予感はあった。獣人に対して快く思っていない者もいる。分身体であるウェントゥス兵は問題ないが、それ以外となると……。
――まあ、それでも。
これから獣人らを味方に引き入れようとしているのだ。狼人グループを受け入れられないで、他の獣人たちと共同戦線などとれるはずもない。
ならば答えは決まっている。
『騒動はごめんだが、歩み寄ってくれるなら、オレもウェントゥス兵もお前たちの味方だ』
慧太は、再び西方語に切り替える。
「ようこそ、ウェントゥス傭兵軍へ。オレは羽土慧太。ウェントゥス軍のリーダーだ」
慧太は、右手を差し出した。握手のつもりだったが、ヴルトはしばしその手を見つめ、軽くだが自分の右手で叩いた。
え? ――見守っていたセラ、ティシアが声を上げる。それは握手を払いのけたように見えたからだ。
ヴルトは言った。
「よろしく、ボス」
その言葉に、彼女たちはますます分からないという表情になる。差し伸べられた手を拒みながらよろしくとはどういう意味か、と。思わず身構える女性陣。
――そうだった……。
慧太は思い当たる。以前喰った狼人の記憶によれば、彼らは握手はしないんだった。
「……こっちがヴォールの挨拶だったな」
慧太はお返しに右手を軽く振り上げれば、ヴルトもまた右の手のひらを向けて、タッチに応えた。
「よろしく」




