第三四九話、狼人の言葉
不意を突かれた狼人たちの動揺は大きかった。
嗅覚、聴覚に優れ、人間に不意打ちされるなど微塵も思っていなかった彼ら。しかし、ウェントゥス兵――シェイプシフターには生物固有の臭いが存在しない。さらに音を立てないように変化させて忍び寄られると、いかに気配に敏感な獣人といえども察知するのは困難だった。
獣人に近い身体特徴を持つ獣系魔人も、熟練の暗殺者であるリアナでさえ、それなのだ。もし、シェイプシフターの分身体たちに『敵』と認識されていたら、気づいた時にはすでに命はなかっただろう。
『動くな!』
『武器をおろせ!』
白い甲冑をまとう兵士たちにクロスボウを突きつけられ、身動きとれない狼人たち。
慧太は、回り込ませた襲撃隊からの合図を受け、セラ、リアナたちと狼人たちの潜んでいる森へと歩いた。
「ガストン軍曹!」
『全員、抑えました!』
襲撃隊を率いたウェントゥス兵が答えた。広く展開していた狼人らは、クロスボウを突きつけられ、一箇所に集められていく。
よしよし、上出来だ――慧太は満足げに頷くと、狼人らを見渡した。
「この中で、西方語を話せる者はいるか!?」
声を張り上げる。狼人らは、慧太を睨みつけ――狼顔という特徴からそう見えるだけで、何人かは不安げに視線を泳がせているのがわかる。
『……』
しかし返事はない。
ざっと見渡したところ、慧太らの正面に伏せたまま身動きが取れない狼人二人が、他に比べて身体つきがたくましく、どちらかがグループのリーダーだと思われた。青灰色と、見事なまでに灰色の毛並の、どちらかだ。
さて、西方語を理解していないとなると――慧太は眉をひそめる。そして自身の喉もとを少し揉んで、小さく咳払い。
『あー、これならわかるか? お前たちは盗賊か? それとも脱走兵か?』
セラやティシアは目を丸くした。慧太が、何か獣が唸るような声を連続させたのだ。リアナは無言。
驚いたのは狼人たちのほうだった。
『あんた、おれたちの言葉が喋れるのか?』
『……このイントネーションで合っているようだな』
慧太の獣声は、狼人らの言葉だ。頭で理解はしていても、実際に会話で使ったことがなかったので少し緊張したが、それは内緒だ。ちょっと喉の形をいじってはみたが、ちゃんと通じる声になっていたようだ。
『オレたちはウェントゥス傭兵軍だ。聖アルゲナムを解放するために魔人軍と戦っている』
『ウェントゥス……』
『魔人軍と戦ってる――』
狼人らは顔を見合わせる。手前の青灰色と灰色の狼人も。慧太は二人を見た。
『どっちが、リーダーだ?』
『おれだ。ヴルト』
青灰色の毛並の狼人が唸るように答えた。慧太は、ヴルトと名乗った狼人を狙うウェントゥス兵のクロスボウを下げさせる。
『ヴルト、さっきの質問だ。お前たちは何者だ? オレたちの敵か?』
『……敵かと言われれば、たぶん違う』
ヴルトは立ち上がると、慧太より上背で勝り、見おろしてきた。
『ハント族リーダー。集落では自警もやってた』
『集落とは?』
『魔人軍に滅ぼされた』
敵意のこもった声だった。狼人の言葉で話しているので、セラたちにはヴルトが何を言っているのかわからなかったが、攻撃的なことを言ったように感じられた。
「ケイタ」
だからセラやティシアは剣の柄に手をかけ――慧太は仕草だけで、やめろと落ち着かせる。一方で視線はヴルトへと注がれる。
『すると、我々と境遇は似ているわけだな。……見たところ、武器も足りてなさそうだが、オレたちの列を監視していた理由は?』
『……』
ヴルトは押し黙る。じっと慧太を睨む。傍から見ると、獲物を前にどう喰らおうか見定めているように映る。だからセラたちも気が気ではない。
たっぷり迷ったあと、ヴルトは、幾分か声を落として言った。
『空腹でね。メシを調達しようと思っていたわけだ……』
『なるほど』
慧太は頷いた。つまり、彼らは食事目当てで、こちらの避難民の列を襲撃しようとしていたわけだ。もしそうなっていれば、自己防衛のためにも『敵』として排除するところだった。
ヴルトは正直に白状した。武器を向けられている状況で、もはや自分たちも終わったと判断したのだろう。つまり、戦意はない。……と見るのは早計か。狡猾さに定評がある狼人である。
慧太に今求められている判断は二つに一つ。ここで皆殺しにするか、あるいは見逃すかである。
そして慧太は後者を選んだ。
『全員、武器を降ろせ!』
狼人たちにもわかるように彼らの言葉で言った。ウェントゥス兵らはクロスボウの狙いを狼人らからはずした。
『ガーズィ!』
『イェス、ボス』
ガーズィもまた、狼人の言葉で応じた。
『彼らに食糧を』
『よろしいのですか? 避難民たちの食糧ですが……』
『どうせ足りない分は、調達するつもりだっただろう? 腹を空かせた者たちを見捨てるのも寝覚めが悪い』
『イェス、ボス』
ガーズィは首肯すると、馬車へと駆けて行った。残された形になるヴルトら狼人らは困惑して慧太を見た。
『メシを分けてくれるというのか? おれたちに?』
『そうだ』
慧太は口もとをゆがめた。
『無用な流血は好まない。オレたちの敵は魔人軍だからな』
獣人は敵ではない。もちろん、襲ってくるなら話は別だが。
ウェントゥス兵らが、狼人らにコシ肉の入った包みを運んでくる。棒立ちの狼人らに押し付けるように渡していく。
慧太は、話は終わったとばかりに踵を返す。避難民たちが、不安げにウェントゥス兵と狼人らの行動を見つめていた。……説明が必要だろう。
歩く慧太に、セラとティシアが両側からついてくる。
「ケイタ、あなた、狼人の言葉が話せたの?」
「ああ。……うん、そこそこ」
どこで狼人の言葉を覚えたか? それをセラの前で言うつもりはない。というか言えない。セラが狼人の誘拐団にさらわれた時、彼女を取り戻す過程で、誘拐団のアジトや構成を知るために狼人の下っ端を喰った。
慧太がかつて魔人軍にいた頃のサターナを喰らい、レリエンディールの言語を習得した。それと同じように喰らった狼人から言葉を獲得したのだ。
そしてその時期に慧太が、狼人の言語を覚えたということは、それ以後に作られたガーズィら分身体の兵ら全員も、狼人の言語は普通に話せたりする。
「獣人傭兵団にいたからな。そこで覚えたんだ」
と、表向きは行っておく。獣人ばかりのハイマト傭兵団のアジトに行った事があるセラはそれで納得した。ティシアは、「へぇー」と感心したような声をあげた。
「獣人の言葉を話す人を初めて見ました」
「……そうか。……ああ、そうだな。そういえば、あまり人が獣人の言葉を喋るなんて光景はないかもしれない」
人間と交流がある獣人たちは、その地方の人間の言葉を喋る。片言だったり、発音が変だったりするが、だいたい通じる。リアナも西方語を話し、狐人の言葉だったり獣人共通語を話すことはなかった。
「ケイタ将軍は、お若いのに博識なのですね」
金髪美人の騎士殿に褒められると言うのは、悪いものではない。少し照れてしまう。
「環境がそうさせたんだろうね」
獣人たちと接する機会も多ければ、ティシアだってそうなっただろう――と、決して特別なことではないとにおわせる。……もっともシェイプシフターの能力だから、あまり胸を張れることではないが。




