第三四八話、狼人たちの都合
「……そいつらを始末してくればいい?」
リアナは、いつもの調子で言った。
ハイデン村へと向かう避難民の列を護衛するウェントゥス傭兵軍。その進路上に、狼獣人の集団、およそ十数名が確認された件を、この狐人の少女に告げた時の反応は、いかにも敵対種族に対する『問答無用で撃つ』といった感じだった。
「違う。そいつらが明らかに敵とわかるまで、殺すなと言ったんだ」
慧太は、あまり感情を込めずに言った。狐人と狼人の対立は、獣人傭兵団にいた頃から耳にしている。だから、リアナが無言でいても、かすかに不機嫌になるのを理解したし察してもやった。
が、だからといって、甘やかすつもりはない。
「いいな、向こうが手を出すまでは、たとえ射程内でも撃つな」
「……」
「返事は?」
「わかった」
リアナは頷いた。慧太はガーズィに顔を向けた。
「護衛の兵たちにも、警戒するよう伝えろ。こっちからは撃つなよ」
『承知しました』
ガーズィが慧太の命令を兵たちに伝えに小走りで離れ、リアナもまた踵を返した。
「攻撃してきたら、その時は撃つから」
「当然だ」
撃たれたら撃ち返せ――慧太のその言葉に、リアナは少し溜飲が下がったようだった。立ち去る狐人の暗殺者の背中を見送り、近くで話し込んでいたセラたちのもとへ。
「大丈夫か?」
狼人にさらわれた経験のあるセラである。慧太の声に、セラは青い目を向け、「ええ、大丈夫」と返事した。……心なしか表情が硬いのは気のせいではないだろう。
「セラフィナ様?」
ティシアが訝しげに、銀髪の騎士姫を見つめる。そのセラは、自らの右手をしげしげと見やり、やがてため息をついた。
「見てた? ……狼人と聞いて、手が震えるの」
「セラフィナ様……」
「もうあんなことはないと思うのだけれど……」
気持ちは前向きにしているつもりでも、心に刻まれた傷は、そう簡単に消えない。捕らわれ、何もできなかった無力感に苛まれた記憶は、軽いトラウマになっているようだった。
サターナが、ぽんとセラの肩に手を置いた。
「大丈夫よ、セラ。ワタシたちがいるわ」
「ああ、そうだ。二度と、あんなことはさせない。……必ず君を守る」
そう口に出して、ふと慧太は顔を逸らした。ティシアがぽかんとした表情で見てきたからだ。……ちょっとくさかったか、今のは。
村人たちの移動は、休憩を挟みながら続いた。その村人たちには、狼人の集団のことは伝えなかったが、護衛であるウェントゥス軍は警戒を緩めなかった。
その狼人の集団は、森の中をつかず離れずの距離をとって追尾してきていた。仕掛けるでも接触するでもない。
何とも気味の悪いことだ。狼人は、待ち伏せや集団での戦闘を得意としているから余計にである。何かを待っているのだろう。何を? おそらく夜だろう、と慧太は思う。
結局、半日経って、あたりはどっぷりと日が暮れた。村人たちは、馬車を壁代わりに、焚き火で暖を取る。寒い冬の夜に、自然と彼らは温かな焚き火の周りに固まる。
持ってきた食糧――魔人軍の保存食であるコシ肉の塩づけをスープにして、淡々と食べている。もう塩だか何だかわからない味になっていたが、他に食べるものがないのでは仕方がない。
・ ・ ・
街道わきで、人間たちが野営しているのを見守る目がある。
森の木々や茂みの影に伏せるのは狼人の集団。
彼らはひたすら待っていた。人間たちが寝静まり、起きている人数が少なくなるのを。じっと、その時を――
ぐぅ、とお腹の虫が鳴る。周囲に伏せていた狼人が、腹を鳴らした者を睨む。
『うるせぇ……!』
囁き声での文句に、言われた狼人は小さくなる。……そんなことを言われても、鳴ってしまったのはしょうがないではないか。
『……腹が減ったな』
『もう少しの辛抱だ……』
漏れた言葉に、隣にいた狼人が呟いた。
もうかれこれ一週間ほど、ろくなメシにありついていない。食べたものといえば、ネズミが数匹と、その他小動物――ただし全員でたったそれだけなので、充分な量などとはいえず、皆すきっ腹を抱えていた。
そんな狼人グループを統率しているのは、ヴルトと言う名の狼人。青灰色の毛皮はグループで唯一であり、またその身体つきも一番いい。
――何もかも畜生だぜ……。
地面に腹ばいになって伏せ、人間たちの集団を見張る。
魔人軍がリッケンシルト領内に侵攻し、このあたりも彼らのテリトリーと化したことで、もともと田舎や自然の多い地区に住んでいた獣人たちもあおりを食らった。
ヴルトはハント族のリーダーとして、狼人の集落の四つのグループのうちの一つを預かっていた。
だが、魔人軍による侵攻で村は滅び、一族も多くを失った。連中は人間と見れば問答無用で捕まえるが、獣人に対しても好意的ではなく、労働奴隷としてやはり捕まえようとする。当然、抵抗すれば殺される。
ヴルト自身もつがいである幼馴染みの妻を失った。……いま思い出しただけでも腸が煮えくり返る思いだ。狼人は受けた屈辱や恨みを忘れない。
魔人への怒りや殺意を溜め込みつつも、厳重な奴らの拠点を攻め込むなどはしない。……基本的に、狼人は楽なほうへ逃げる性質がある。駄目だと思ったら、案外諦めが早い。
今は機会をうかがい、復讐の時を待つ。ヴルトはそう決めたが、復讐以前に喰わねば生きていけない。かくて現在、ハント族の生き残りの男衆をはじめ、若い連中を束ねて放浪している身だ。
肉食である彼らは、冬でも外を出歩く動物を狩りをする。だが魔人軍も冬の食糧調達で狩りを行った。結果、比較的大型の動物を狩ろうとすると、魔人と遭遇する危険性が高まった。
二、三人程度ならグループで囲って血祭りにあげるが、魔人たちは完全武装で十人以上の分隊で行動し、迂闊に近づこうものなら、逆に連中のエサになりかねない。
そうなると、遭遇率を下げる結果となり、ネズミやその他小動物を狙うとなると……今度は、狼人という種族的問題である、不器用さが障害となった。
一応、罠などを作ることはできるが、狐人のように手先が器用ではないため、小動物を捕らえるのがあまり上手くなかったのだ。
もっと器用だったら――というのは、狼人たちにとって禁句だ。特に狐人どもに馬鹿にされる事柄だから、人前では絶対に言わない。……このあたりも、狐人との仲が悪い要因の一つと言える。
――狐ぇ……!
ヴルトは、人間たちの集団の中に、狐人の女がいるのを見かけていた。小賢しい――と狼人は思っている――弓を背中に背負っているその狐人は、ガキも同然の年頃に見えたが、その身体のこなしは、一流のハンターであると直感した。
ゆえに、ヴルトは皆を人間たちの列から、より遠くに配置させた。……狐に気づかれて、警戒されてはたまらないのだ。
狼人の男たちは、並みの人間より強い。だが、完全武装している護衛の兵がうようよしている場に、力任せに飛び込むほど間抜けではない。
とりあえず、食糧の確保。人間たちが食っている肉は、なんであれこちらの空腹を満たすに充分だろう。
サッと襲撃し、騒ぎになっている間に食糧を掻っ攫い、逃げる――ろくに武器もそろっていない狼人たちに取れる『比較的安全な』作戦となればこんなものだろう。
人間とはもとより関係があまりよくない狼人ではある。しかし、必要以上に喧嘩して報復されるのも面白くない。……まあ、いまこの国の人間たちは、魔人どもに押されて、獣人の略奪行為までに手が回らないだろうが。
ふと、ヴルトの隣で伏せていた男が振り返った。森の中にいるとはいえ、まるで何か危険を察したように耳を上げて見回す彼に、ヴルトは声をかける。
『エシー……?』
『いま、何か、後ろで気配が……』
しばらく背後を見やるエシー。ヴルトも見るが、何も感じない。風の悪戯か、例の木の上を滑空してる変な小動物ではないか。
『気のせいだったか……』
エシーも、特に不審なものが見えなかったのか、再び人間たちの集団を見やる。食事が終わり、ぼちぼち外套に包まり身を寄せ合って横になる者の姿がちらほらと。
――そうだ、さっさと寝ちまえ。
全身に毛が生えている狼人といえど、寒いものは寒い。――その時だった。
『動くな!』
突然、背後から人間の言葉が降りかかる。
『!?』
しまった――そう思い上半身を捻って振り返った時には、すでに手遅れだった。
白い軽甲冑をまとう連中の護衛兵。鬼を思わす二本角の付いた兜が無機的に、狼人たちを見下ろし、手にしたクロスボウを構えていた。




