第三四六話、傭兵軍と集落
寒々とした朝の空気が、森に満ちていた。
立ち並ぶ針葉樹に、粉をまぶしたように乗る雪が、森を白く染めている。
リッケンシルト国北東部ピナカの森、その中に、コシネルという小さな村があった。
『……いるな、魔人兵』
茂みの裏に身を低くして、呟いたのは、ウェントゥス傭兵軍第一突撃大隊を任されたガーズィだった。
二本の角がついた兜、白い軽甲冑のいつもの姿だが、彼のアーマーには個人識別用に緑色のラインが入っている。
森に伏せるは、ウェントゥス兵の先遣部隊。ガーズィとその部隊に与えられた任務は、コシネル村の解放である。
『魔人兵と……人間がいるな』
携帯式の望遠鏡で、村の様子を見る。村の周囲には木で作られた獣避けの柵。村に入ってすぐのところに、櫓が立ててあり、森の中の街道が見渡せるようになっている。いまは魔人兵が村人の監視を行い、睨みを効かせている。
村の北側に、魔人兵と複数の村人の姿がある。斧を担いだ村人たちは村に隣接する森の木のまわりに集まり――
『何をしているんでしょう?』
傍らの兵が声を上げれば、ガーズィは望遠鏡をそちらに向ける。
『薪集めだろう。冬の暖房には欠かせない――』
ガッ、と音が、ひんやりと冷えた森の中に反響した。村人らが斧で木を切りはじめたのだ。
『訂正だ。建材か何かのために木を切り倒そうとしているのだろう』
魔人軍が現地の人間を労働力として使っているのだろう。強制労働の類かもしれない。
『人間がいるのは厄介ですね。人質にされると面倒だ』
『まあ、静かにやるさ』
ガーズィは望遠鏡を腰のベルトに引っ掛けた。
『まず門番と櫓の上の見張りを倒そう』
第二分隊を左、第三分隊を右に――ガーズィは部隊を村の周囲へ展開するようハンドシグナルを送る。
待機していたウェントゥス兵は、茂みや木などを遮蔽として利用しながら縦列で素早く移動する。
一方で、第一分隊は村正面の門へと隠れながら近づいていく。のんびりと立っているのは魔人軍の歩哨。……ニワトリ頭のプレ人だ。またうるさそうな奴が見張りに立っている。
木を盾にするように隠れるウェントゥス兵――そのひとりが、そっとクロスボウを歩哨に向けた。
『やれ』
合図を送れば、狙撃手の傍らの同僚が知らせ、クロスボウを構えた兵は矢を放った。
ドス、とニワトリ頭に矢が刺さり、衝撃で魔人兵の身体が門の柱にぶつかり、反動で雪の上に倒れた。
ガーズィは、櫓の見張りを見やる。……気づかれていないようだ。視線が南側へ向いている間に、第一分隊に前進を命じる。
素早く、身を低くするように門へと走るウェントゥス兵。雪に足跡を刻みながら、門を形成する柱の裏へ。狙撃手は、柱の影から村の中に立つ櫓を見上げ、再びクロスボウで狙いをつける。
あくびを噛み殺す魔人の見張り兵。その顔が南から東――つまり門のほうへ向いたその時、狙撃手は引き金を引いた。
矢は一直線に魔人兵の喉元を打ち抜き、その見張り兵は苦しみもがきながら櫓の上で息絶えた。
『……ビューティフォー』
見ていたウェントゥス兵のひとりが思わず呟いた。村の門から中へ兵たちが侵入を果たす中、側面から村のまわりを進んでいた兵たちも行動を開始した。
木を切る村人たちと、それを監視する魔人兵。何事か怒鳴りつける魔人兵の背後に、忍び寄ったウェントゥス兵がナイフを突き立て、一撃のもとに喉を掻っ切った。
村人たちは吃驚した。
「ひぇ、なんじゃぁ……!」
鬼のような面に一対の角がついた兜に、白い軽甲冑姿の戦士の姿に、初めて遭遇した村人たちは困惑する。
『しっ! 静かに』
ウェントゥス兵は、指を口の前で立てて、黙るように仕草で示す。
『助けにきた。心配いらない』
森から白い甲冑をまとう兵たちが次々に現れ、村のほうへと武器を手に向かう。それを見て、村人たちは、ウェントゥス兵らが人間かどうかすらわからず動揺してしまう。
「あ、あんたたちは……?」
『ウェントゥス傭兵軍だ』
村に警戒の視線を寄越す兵が答える。村人の顔は青ざめる。
「よ、傭兵……!」
『心配するな。悪いようにはしない』
傭兵と聞いて、素行の悪い連中を連想したのだろう。規模の小さい集落などにとって、傭兵は獣人や盗賊同様、乱暴者で略奪者という認識が強い。
『よし、村の敵兵を掃討するぞ』
ウェントゥス兵は、三方向からコシネル村に侵入を果たすと、日常の中にいた魔人兵らを次々に倒していった。
・ ・ ・
コシネル村は解放された。およそ二〇名と、魔人軍における一個小隊の半分にも満たない駐屯部隊は全滅。
ウェントゥス兵は村の周囲を警戒、ガーズィは村の責任者らに会って、『今後について』の話をした。
「避難、ですか……?」
村長だという老人に、ガーズィは兜を小脇に抱え、素顔をさらして頷いた。
「そうです。我々は、この国の北部を西へと向かいます」
魔人軍と交戦する。リッケンシルト国から敵を駆逐するために。
「ですが、我々も戦力が充分とはいえない。我々は立ち去りますから、魔人軍が再度現れたら、あなた方を守ることができません。ですので、皆さんには避難していただきたい」
我々を守る――村長の背後にいた村の男衆が顔を見合わせる。
信じていいのか、いや村から人が追い出してから略奪するつもりでは――声を落としているが、ガーズィには、村人たちの懸念の声を聞き逃さなかった。傭兵に対する信用というのを彼らが持っていないのがありありと見て取れる。
「もちろん、強制はしません。……ただ、先にも申したとおり、その際は自己責任でお願いします」
ガーズィの言葉に、男衆は黙り込む。村長は口を開いた。
「しかし、避難と言われましても、当てがありません。いまは冬ですし、食糧も乏しく、村を出ても生き残れる可能性は――」
「魔人軍の駐屯部隊向けの食糧が村にはありますね?」
ガーズィは事務的な調子で言った。
「あれをそのまま、あなた方に割り当てます。あと避難先ですが、アルトヴューとの国境近くにあるハイデン村の周囲を開放しています」
男衆が、ざわざわとざわめく。
「魔人軍の攻勢で無人となっていた村ですが、あなた方同様、他から避難してくる者たちが集まる予定です。こちらとしても橋頭堡としているので、あまり多くはありませんが、生活に必要な物資を融通できるかもしれません」
「……何だかよいお話に聞こえますな」
嫌味ではないが、村長の口からそのような言葉が漏れた。
「避難先まで用意されているとは……」
話がうますぎる――男衆からそんな声が聞こえる。村長は硬い表情で言った。
「それで、我々は、あなた方に何を差し出せばいいですか?」
「……何も」
ガーズィは淡々と告げた。
「傭兵軍という名前のせいで警戒されているようですが、我々はアルゲナム国のセラフィナ姫殿下をお助けするために遠い異国の地より来ました。あなた方から略奪するつもりはありません」
「見返りを求めない、と……?」
村長は口をあんぐりと開け、男衆たちも呆然としてする。
傭兵だろうと戦争中の軍隊だろうと、戦場に向かう連中は現地調達をするのがほとんどだ。
これは食糧の保存技術が未熟で、長持ちさせられるものが限られていることがひとつ。長期の遠征ともなると、食料の輸送だけで膨大な量になってしまうから、現地で不足を補うほうが輸送の手間とコストを削減できる、というのがもうひとつの理由だ。
ゆえに戦時中は、傭兵だけではなく軍隊の通行も現地の集落などでは迷惑この上ない。武力を持っている彼らの要請を断ることなど、現地の人間にできるはずもなく、軍隊が通過した後は大抵荒らされてしまうのだ。
村長らは、このウェントゥスという傭兵軍が、村の食糧を徴発していくものだと思っていた。だが彼らはそれをしないどころか、その食糧をもって避難しろという。避難先を用意した上で。この時代の一般的な認識からすれば、破格といってもよい。
これはどうしたものか――村長は考え込んだ。




