第三四五話、北部への道
ウェントゥス傭兵軍は、グスダブ城を発ち、一路オストクリンゲ地方の入り口たるザームトーアへ向かった。
よく晴れた空、雪残る東西ブローンセの山々を左右に眺めつつ、飛竜の集団は冬の空を北上。数時間の飛行ののち、ザームトーア城に到達すると、冷え切った身体を温めながらの大休止。今度は北西のハイデン村へと飛び、夕方には現地に到着すると、その日はそのまま一泊した。
翌日は、リッケンシルト国北部地域へ進出するためのルート、敵情などの確認に費やし、準備を行った。さらに次の日、ウェントゥス軍は、北部地域攻略のために進軍を開始した。
ハイデン村より西へと伸びる街道をシェイプシフターの化ける馬車が進む。のんびりとした移動だが、鷹型が哨戒を行い、万事目を光らせているので、敵の襲撃の可能性はほぼない。
先頭の馬車、その客車に乗るは慧太、セラ、サターナ、リアナ、ティシア、アウロラである。ちなみにキアハは、ユウラに魔法を教わるとかで、続く二台目の馬車に乗っている。
「国境線にいる魔人軍はしばらく放置する」
慧太は、アウロラへそう告げた。
リッケンシルト国へ入った際、ハイド川下流域を制圧したウェントゥス傭兵軍だが、それより北に位置する魔人軍の国境警備部隊については、まったくの手付かずだった。
「いいのかね……。たしか二個連隊規模の敵が国境に張り付いているんじゃなかったけ?」
「ハイデン村近辺を押さえた際、一個大隊と少しを排除したから、一個連隊と三分の二くらい残ってるな」
およそ三千くらいか。慧太の言葉に、アウロラは首を捻った。
「それだけの戦力が南下して、アタシらの押さえるハイデン村周辺に攻めてきたら、アルトヴューへの退路を断たれちまうよな? 大丈夫かよ?」
「連中は、オレたちがハイデン村周囲を押さえていることに気づいていない。北にあるミューレ古城が防壁になっている限り、気づかれる可能性も極低い」
魔人兵になりすました兵が駐屯しているのだ。ミューレ古城より南へ行こうとする者は、味方のふりをした彼らによって襲撃される。
それでも、うーんと腕を組んで難しい顔をする褐色肌の魔鎧騎士。
「心配か?」
「まあ、そうかな……。ハヅチ将軍のように、絶対大丈夫って気にはなれねえわな」
否定的な見方であるが、かつてのような悪意などは欠片もないアウロラである。同じ戦場に立ったことで、少し角が取れたのか。……いや、心変わりは、それよりもう少し前だったか。
ティシアが口を開いた。
「私も国境線の敵を放置することには不安があります。後顧の憂いを断つ、という意味でも、先に叩いておくべきではありませんか?」
「そうしたいのは山々だが、東部国境線の掃討をやっていると、北部域――獣人たちへの救援が間に合わないかもしれないんだ」
「今回の北部遠征は、獣人を助けるためなんだっけ?」
アウロラが言えば、慧太は「まあな」と答えた。
「うちの諜報員の報告だと、北部域には獣人のほかにも、魔人に捕らわれた人間たちがそれなりに残っているという。彼らを救出するのも計画のうちだ」
諜報員とは、はじまりの六人のひとり、ゼーエンとその分身体たちのことだ。
「魔人軍が不活発な時期であるから、オレたちが動くには都合がいいが、エサ箱作戦をはじめ、魔人軍の兵站を攻撃しているわけだから、その勢力下にいる人間たちにも影響が出る。最悪、魔人軍はそれら人間たちの食料をカットして自分たちの生存を優先させる可能性は高い」
その言葉に、セラは憂いのこもった視線を向ける。
「そうなったら……リッケンシルトの人たちは餓死してしまう」
「そういうこと」
慧太は嘆息した。
「魔人軍はオストクリンゲ攻略に失敗した。グスダブ城で確保できると踏んだ食糧備蓄を得られなかったから、冬の備蓄について節約できるところは節約すると思う。となると、優先度の低い場所へは補給を抑えるだろうから、そういう場所にいる人間たちを助け出す必要があるんだ」
そういうことなら――と、ティシアが背筋を伸ばした。
「一刻も早く救出する必要がありますね」
「ただでさえ、食糧備蓄が限られている冬だからな」
慧太は眉をひそめる。
「ただ気がかりはある。例えば大胆に物資を割り振ることで、こちらの想定以上の大兵力を動かすとか、な。一撃破壊論というか、戦力の集中だな。オレたちウェントゥス軍に決戦を挑むなら、まだかわしようがあるが、グスダブ城にこもっているリッケンシルト軍にそれをやられると面倒だ」
リッケンシルト国との取り決めで、窮地の際は必ず救援に赴く、という約束を交わしている。戦場をこちらが選ぶことでイニシアティブをとっているウェントゥス軍にとって、敵の作った戦場に駆けつけるのは面白くない。
・ ・ ・
「取り決め、ですか」
キアハは思わず口にしていた。
二台目の馬車、その客車にはユウラとアスモディア、ウェントゥス兵がいる。軽い魔法練習の後の休憩中である。
ユウラが、アスモディアに、ウェントゥス傭兵軍とリッケンシルト国との間に交わした規定の話をした。
「そうです。例えば、対魔人戦において、我々はリッケンシルト側の街道や橋を利用してもよいことになりました」
「……えっと、今までも利用していましたよね?」
「ええ、無許可で」
青髪の魔術師は笑った。
「何か大事があった時に、橋や街道を利用する際の優先度、というのがあります。当然、許可があるほうが、ないほうに対して強気に出れます」
たとえば橋を渡る順番。一度に全員渡れない場合、許可がなければ、どのような非常時であったとしても一番最後にされてしまう。……強引に割り込むことはできるが、当然そんなことをすれば、リッケンシルト国から顰蹙を買うだろう。
「あと、非常時の際、橋や建物、街道などの破壊も許可されました。戦闘時、止むを得ない場合は、ですが」
「壊していい許可?」
つまりね――アスモディアが、座っているキアハを後ろから抱きついた。
「任務や作戦を果たすためなら、建築物を壊しても責任を問われないってことよ。国から弁償しろって請求されないの」
「はぁ……」
要領を得ないキアハ。
「ひょっとして、橋とか壊したら弁償しろって言われてたんですか? 今までは」
「その可能性は大いにありましたね。幸い、今までは訴えられませんでしたが」
ユウラは目を細めた。
「あと、こちらにとってありがたい話ですが、リッケンシルト国内の拠点や集落で、戦闘で消耗するだろう武器や矢弾といった消耗品、食糧、その他生活物資を無償で受けることができます。……まあ、食糧に関しては今の季節、どこも不足気味でしょうから、あまり期待できませんがね」
「その分、働けってことでしょうね」
アスモディアがキアハの耳元で言った。彼女の吐息が耳に吹きかかり、くすぐったい。
「たぶん近いうちに慧太くんが言うでしょうが」
ユウラが振り返り、視線を向ける。
「魔人軍から町や村を解放の際、魔人軍の物資・財産を戦利品として手に入れるのは自由ですが、リッケンシルトの民からは略奪を行わないこと。これは厳重に注意されました」
ウェントゥス傭兵軍は、その名のとおり『傭兵』というくくりである。
傭兵とは、戦場にかこつけて略奪行為を行うことも珍しくない。火事場泥棒。いや、日常的に略奪も仕事と思っている節がある。だから傭兵というのはアウトローであり、基本的には嫌われ者である。
窮地のリッケンシルトを救い、魔人軍を倒そうと言うウェントゥス軍に対し、本来はそういう傭兵業への口出しは、自らの首を絞めるようなものだ。
傭兵たちにとって戦利品や略奪は、自分たちの生活にも直結する問題でもあったりする。略奪を認めないなどという雇い主など敬遠の対象である。
「まあ、うちはそういう略奪はしないんですけどね」
ユウラは、どこか自嘲するように言った。
「その点、慧太くんは生真面目で、世間一般の傭兵らしくないんですが」
「略奪しないことは、いいことだと思います」
キアハは、きっぱりと言った。ここにも真面目なのがひとり。ユウラは笑んだ。
「他には、ウェントゥス軍に独自の行動を認めるが、作戦や大規模な移動などの際は、リッケンシルト側に通告するというのもありましたね。それと、リッケンシルト側の救援要請の際には、速やかに応じること、と決められました」
通告については、作戦やその実行について、ウェントゥス軍に任せるが、どこで何をするかは報せろ、と言うことだ。
救援要請は、リッケンシルト側の危機に際しては、作戦を実行中だろうと、どこにいようともすぐに助けてくれ、という意味である。
「なるほど……って、アスモディアさん! 何触ってるんですか!?」
キアハはぴたりと張り付いているアスモディアに文句を言った。彼女の手が、キアハの大きな胸を鷲づかみにしていたのだ。
「いいじゃない、減るもんじゃないしー」
「や、やめてください! 揉まないでー! って殴りますよ!?」
キアハの肘がアスモディアの腹部に直撃する。ごふっ、と声をあげ、赤毛のシスターは前のめりにうずくまる。
やれやれ、何をやっているんだか――ユウラは視線を転じた。
リッケンシルト側との取り決め。戦略や戦術をこちらに任せてもらえるなら、多少の条件は大目に見れる。リッケンシルト軍の指揮下で戦えとか、こちらの戦略案にいちいち口出しされないだけマシと言えた。




