第三四二話、グスダブ城への凱旋
ザームトーア城の備蓄食糧は、陸路と空路を使ってオストクリンゲ地方、グスダブ城へと運び込まれた。
もって数日と言われた食糧備蓄。その件で、守備隊と避難民たちの間に緊張感が漂っていたが、ウェントゥス傭兵軍が約束どおり食糧を手に入れたことで、最悪の事態は回避された。
むしろ、大歓迎された。
慧太とウェントゥス軍は、二度もグスダブ城の民を救ったのだ。一度目は侵攻間近の魔人軍を撃退。そして二度目は、飢餓の危機から、である。
一般的に冬が過ぎるまで、あとひと月半から二月ほど先になるが、今回の食糧備蓄の調達で、ひとまず避難民たちの寿命を幾ばくか延ばすことに成功した。
もっとも完全な冬越しのための必要量には届いていないため、さらに追加分を調達する必要がある。ドロウス商会から買い付ける食糧や、その他エサ箱作戦で、魔人軍から手に入れる分で、その不足を補う予定だ。
ただ、ひとつだけ気がかりがある。それは魔人軍の保存食――コジ肉というらしいが、それの味が恐ろしく不味いとキアハが言っていたことだ。いくら空腹でも味が最悪では、民も不満を抱くのではないかと、慧太は心配していたのだが……。
魔人軍から調達、というと宗教上やその他の理由から拒絶される恐れがあると思い、黙っていたが、案外すんなり受け入れられた。
先進国出の慧太にはその実感があまりなかったが、人間、飢えに比べれば少々の味には目をつむれるものである。
さらに言えば、元々この世界の肉の保存食が干し肉だったり、塩漬けだったりするのは、人間社会も変わらなかった。もとより美味くないから『冬に食べる保存肉なんてこんなものでしょ』と、味が悪いのは諦め半分、常識として受け入れていたのだ。
一方で、食糧輸送の際に魔人軍からかっぱらってきた輸送用の輓獣は、世話ができないからと『新鮮な肉』に解体された。こちらは、食べた兵や民には大変好評だったようである。……腐りかけではないからだ。
ウェントゥス傭兵軍にも、功労者として新鮮な肉にありつける権利を賜ったが、慧太や分身体兵らは辞退した。
食べなくても生きていける身なれば、少しでも人間のほうへ回したほうがいいというのが一点。
第二点は、味覚がほぼないという、食べても美味しさをあまり実感できないという残念事情にもよる。……せめて味を感じられれば多少は違ったのだろうが。
もっとも、仮に味覚があったとしても、おそらく現代人の感覚では、この世界の料理で唸るようなことは、早々めぐり合えないだろうと思う。
ザームトーア戦でジパングー兵に戦死傷者が出たので葬儀を行うという名目で、シェイプシフターらは離脱した。
戦死者……。もちろん嘘である。だが千人以上の兵が駐留するザームトーア城を攻めて、いくら奇襲だったといえ無傷で勝つというのはさすがにおかしいと思うのだ。
グスダブ城を巡る夜戦においても、一人の戦死者もでなかったこともあり、こんなことが続けば不審に思う者も出てくるだろう。
これからは戦闘によっては、味方の戦死傷者を『演出』する。戦死者だけでなく、負傷者も演じさせる。……何とも奇妙な役回りだが、すでに十名ほどザームトーア戦での負傷者ということで、地味に目に付きやすい場所においてある。
一方、グスダブ城の者たちと共に、セラやユウラたちが、新鮮な肉のご相伴に預かった。先方にあまり失礼はなかったはずである。
そのセラは、慧太が食事会を辞退したことを残念がっていた。アルゲナムとリッケンシルトの有効関係上、先方からの誘いを個人的事情でキャンセルができず、なんとも歯がゆい思いをしたようである。
・ ・ ・
食事会のあと、セラは、サターナとアスモディアに声をかけられた。
「付き合いなさい」
サターナはにこりと笑った。フリルたっぷりの漆黒のドレスをまとう美少女。十代半ばに見えて、しかしその笑みを妖しい魅力に溢れる。
その彼女の手に、どこで手に入れたのか酒の入ったボトル。――まだまだガラスが高価なご時世に、ガラス容器に入っているそれは大変高価な代物だろうことは見当がつく。
グスダブ城本城、セラに宛がわれた部屋――上流貴族などを迎えるための部屋は広く、家具も揃っている。
優美な曲線を抱くそれらの家具は、手間のかかって造りで実用性より見た目を優先しているきらいがあって、セラ本人の本音を言えばあまり好みではない。ただ、アルゲナムにいた頃も、そういう家具に囲まれた生活を送っていたので、気分は落ち着いた。
丸みを帯びたテーブルを囲み、美女三人はワインを注いだゴブレットで乾杯を交わした後、一杯目を飲んだ。
「はぁー、美味しいぃ!」
アスモディアが満足げな声を上げた。
いつもはシスター服をまとっている赤毛の美女は、黒い異国風のドレス姿。裾が長い一方、腰近くから入った深き切れ込みにより、彼女の長くて艶やかなふとももから足がのぞいている。……男性を誘惑するやつだ。珍しく胸元は開いていないが、そのたっぷりある大きな胸は服の上からでも盛り上がって強調している。
肝心のワインは、甘くてフルーティーな味わい。これは美味しい。
「お酒が美味しく飲めるのはいいことよね」
サターナは自嘲気味に言った。言葉どおりではあるが、いまいち意味が分からないセラ。アスモディアは「ご愁傷様」と皮肉っぽく呟いた。
「シェイプシフターはね、味覚が信用できないのよ」
茶目っ気たっぷりにサターナは言った。
「それで、セラ。ワタシたちがいない間、ここはどうだった?」
「皆が城を出た後、やっぱり軍と避難民たちのあいだは少しギクシャクしていた」
セラは顔をしかめた。
「本格的に、食糧備蓄が底を尽きかけているのが、避難民たちのあいだにも広がっていたから。軍のほうで本格的な配給制限の話が出て、それがあっという間に伝わって暴動寸前に――」
「え……それヤバかったんじゃないの?」
アスモディアが二杯目を注ぐ。セラはおかわりをもらいながら頷いた。
「まあ、ね。……飛竜による第一陣の輸送が翌日に来てくれたけど、あれがなかったら、たぶん、暴動になってた。ザームトーアの物資がもう半日遅かったら……」
「大惨事だったと?」
「ええ、私たちも無傷で済まなかったかも」
暴動に巻き込まれて――セラは、しんみりとした口調で告げた。あー、とアスモディアは思わず天を仰いだ。
「それを聞いて、間に合ってよかったとつくづく思うわ」
「どういうこと?」
「いやね、魔人軍に気取られないように作戦を完璧にしようってんで、攻撃日時を一日遅らせたのよ」
ザームトーア城攻略の前作戦で実施した『鳥かご作戦』のことである。
「おかげで魔人軍に今のところザームトーアの奪回は気づかれていないと思うけど、それが原因でグスダブ城で流血沙汰になってたら、と思うとね、責任を感じてしまうわ。だって『鳥かご』はわたくしの発案だもの」
そうだったんだ――セラはワインで唇を湿らせる。
責任。アスモディアはそんなことを口にした。かつては魔人軍に所属していた将軍が、人間たちを助けるための作戦に協力し、同族と戦っている。
サターナもそうだ。魔人軍の将軍であったはずの彼女たちがこちら側にいる。アルゲナム解放というセラの目的を助けるために。元々侵略を仕掛けてきたのは魔人軍ではあるのだが、ふと考えると、複雑な気持ちになる。
彼女たちもどうなのだろうか? アスモディアは瀕死のところをユウラの従属魔法によって召喚奴隷という形で甦った。その身体は魔人ではなく、魔力の構成体であり、主人であるユウラに逆らうことができないという。
サターナは、シェイプシフター使いである慧太に倒され、そのシェイプシフター体から彼女の記憶を引き継いで作り出された。
――そう考えると、二人とも、もう純粋な魔人ではないか。
だから、かつての同胞である魔人の軍とも戦い、容赦なくその命を奪えるのだろうか。
本音の部分で、聞いてみたいという気持ちがもたげる。だが聞いてどうなるのか、という気持ちもある。
もし、聞いて二人の心象を悪くしたら、あるいは彼女たちの本音が、セラや人間たちにとって大変不快なものだったとしたら、これまでどおりの関係を維持することはできない。
――私は、この二人に友情を感じている。
仲間、戦友――敵、アルゲナムを滅ぼした軍にいた人間で、実際、アスモディアとは剣を交えている。そんな関係だったのに……。
――でも、上辺だけの友情なのかな……。
セラは悩んでしまうのだ。元魔人である二人と、友だちでいたいと思っている自分。だけど、その本音を聞くこともできない、いや聞くことが怖いと臆病な自分。
自然と気分が滅入るセラ。
その時、唐突にアスモディアが言った。
「ところで、セラ。ケイタとは寝たの?」
爆弾が破裂したにも等しい一言だった。




