第三四一話、キアハ、魔法を学ぶ
ザームトーア城攻略作戦『ホラーハウス』実行の前に、ウェントゥス傭兵軍の一部は『鳥かご』作戦を実施した。
これは、ザームトーア制圧に当たって、逃亡した敵兵が後方の友軍(魔人軍)に通報するのを防ぐのを目的としている。
発案者のアスモディア曰く、城から脱出した兵は闇雲に逃げているように見えて、ひとまず近くの集落や友軍のいる場所を目指す。
事態を通報しなければいけないというのが一つ。食糧や水などを確保しないと結局生きていけないわけだから、それらが受けられる場所を目指すのが生き物として自然なのだという。
そうであるなら、この逃げ込む先で待ち構えればいい。鳥かご作戦とは、ザームトーア近辺の魔人軍が押さえる集落を予め制圧しておく作戦を刺す。
飛竜を使って、それら拠点近くまで前進したウェントゥス兵の部隊は、小隊、多くても一個中隊にも満たない現地魔人軍守備隊を奇襲し、これを制圧。エサ箱作戦同様、魔人兵に成りすまして、待機した。
それにより、ザームトーア城陥落の際に脱出した敵兵を逃がさない『鳥かご』が完成。同城攻略の際、慧太たちは念には念を入れて警戒したが、それでも突破した魔人兵がいたことで、この鳥かごは功を奏したのである。……さすがに千人以上いる拠点を一人残らず始末するのは困難だったのだ。
鳥かご作戦は、そのままエサ箱作戦の最前線拠点として利用されることで、ウェントゥス傭兵軍は、結果的に当面の目的である王都エアリアにまた少し近づいた。
ユウラは、鳥かご作戦を指揮した後、アンメル村にいた。ザームトーアの占領は、慧太の放った鷹型の連絡ですでにわかっている。
落ち延びた敵兵が、罠に掛かるのを待つだけの簡単なお仕事だ。
だが、正直にいえば、ユウラにアスモディア、キアハまでいるのは過剰戦力としか言いようがない。集落を制圧する時はともかく、いまは魔人兵に化けている分隊程度のシェイプシフター兵でも充分だろう。
だがユウラも決して暇だったわけではない。せっかくの空き時間を利用して、考えをめぐらしたり、今後の方針や戦力についての種まきを行っていた。
その一つが――
「いいですか、キアハさん。見えない手で地面を掴み上げるように……」
「……」
アンメル村のとある民家の裏庭。ユウラの監督する前で、キアハが右手を伸ばし、意識を集中していた。
アスモディアがその様子を固唾を呑んで見守る。
「……」
目を閉じ、集中しているキアハの表情がわずかながらに曇る。だが、次の瞬間、彼女の伸ばした右腕、その下の地面がかすかに揺れたかと思うと、めきめきと石が壁のようになってせり上がる。
それは七秒ほどかけて、キアハの背丈ほどまで伸びた。アスモディアが感嘆の声を上げた。
「凄いわ、キアハ! もう石壁を作り出せるようになるなんて!」
確かに成長は著しい――ユウラは思った。
キアハが、『私にも魔法が使えるでしょうか?』と尋ねてきたのが、例のアウロラとキアハが喧嘩をやらかした翌日のことだ。
魔法と魔鎧機の前に負けたことが相当、キアハにとって堪えたようで、あの場を収めたユウラに魔法のことを相談してきた。
アルトヴュー国王都にあったトラハダスの地下神殿から回収した教団の研究資料――半魔人関連のものを目にしていたユウラは、個人的な興味もあって、キアハに魔法を教えてみることにした。
すでに体力、攻撃面では常人を寄せ付けないキアハが戦闘系の魔法を使いこなせるようになれば、ウェントゥス傭兵軍にとっても戦力アップは間違いない。この件で、団長である慧太も反対はしないだろう。……元々、学ぶことに関して貪欲な一面があるキアハである。ろくな教育を受けていないがゆえの知識欲というべきだろうか。
かくて、ユウラはキアハに魔法をレクチャーしたわけだが、グスダブ城の救援やその作戦の実行などで、ユウラ自身も忙しかった。つきっきりのコーチはできず、また時間もそれほど多く割けなかったが、キアハの吸収率は大したものといわざるを得なかった。
――もとから、素直な性格なのが幸いしたのだろうな。
一から魔法を習得する際に障害となるのが、固定観念だ。魔法教育の理想は、物心つく頃には魔法というものに接しておくのがベストだとされる。半端に知識や常識を持ってしまうと、魔法の可能性を制限してしまう。大の大人が、後から魔法を覚えるのが難しいのはそのためだ。
これまでの常識が、魔法を行使するのに必要なイマジネーションの邪魔となってしまうのだ。
その点、キアハは魔法を習得するに当たって好ましい点が幾つもあった。
第一点は、魔法に関する疑いを持たない素直な性格だったこと。
第二点は、キアハの身体が半魔人に改造されていたこと。身体能力が強化される半魔人化だが、トラハダスの研究資料によると魔力を制御する能力も非常に優れており、半魔人たちを強力な魔道士として運用する計画もあったらしい。
第三点は、キアハに習得させた魔法を、彼女の得意な物理打撃系に絞ったことだ。要するに力を用いてぶん殴る彼女に想像しやすい、実体系が豊富な土や石を操る魔法を覚えさせているのだ。
魔法にはイメージ力の有無が不可欠だと、ユウラは考えている。ただぼんやりと浮かんだイメージよりも、よりはっきり確信を持って浮かんだものでは、やはり効果も異なる。
アスモディアが、キアハに感嘆のまなざしを向ける。
「覚えが早いわね。こんなに早い上達をする人間も早々いないのではなくって?」
「まだまだです」
キアハは首を横に振った。
「これでは戦いでは使えません」
確かに――ユウラは思った。
「前もって準備するのなら今のまま充分ですが、岩壁の生成に十秒以上かかっています。これではとっさの防御には使えない」
小さく笑うキアハだが、自然と俯いてしまう。
「すみません。せっかくユウラさんに教えてもらっているのに、上手くできなくって」
「いえ、アスモディアも言っていますが、この短期間でよくぞここまでできるようになりました」
「マスターの言うとおり。あなたくらいの年の子に初めて魔法教育を施すなら、もっとじっくり時間をかけて実用レベルに上げていくものよ。いまの貴女のレベルは習得にかけた時間を考えても充分すぎるわ」
アスモディアはキアハのそばに歩み寄ると、その肩に手を置いた。その言動は、心から彼女の成長を喜んでいるように見える。
「この分なら、数ヶ月もかからないかもしれませんね、マスター」
「ボクはひと月くらいで実戦レベルにするつもりだったのですが……」
青髪の魔術師が、ちょっと気まずくなって視線を泳がせる。アスモディアは「ひと月!?」と驚いた。
「さすが、マスターです!」
「いえいえ……。キアハさんのイメージしやすい魔法に限定していますから、魔法の数自体は大したことないんですよ」
ひとつの属性を極める、とか魔術師を育成するというのなら、ひと月はいささか短すぎるだろうが、キアハはそういうことを望んでいるわけではない。彼女は、すぐにモノにできる即戦力的な力を欲しているのだ。すべては仲間たちの役に立つために。
そうであるならば、実用的なものを二、三教えるだけでも、彼女の願いは達成される。もっと魔法を覚えたい、と思ったとしても、基本となるそれらを覚えてしまえば、あとは応用力の問題なのだ。
もっとも――
「キアハさんも、投石魔法を直線で飛ばすだけなら、すでに実戦で使えるレベルですし」
「あれは、ただ石を投げているだけでは……」
キアハが苦笑した。ユウラは穏やかに首を振る。
「魔法で飛ばすイメージでやっているわけですから、一見石を投げるだけに見えても立派な魔法ですよ。実際、普通に投げていた時より、飛距離は伸びていますよね」
魔力によるブーストが掛かっている証拠だ。石を投げるその瞬間に魔力を込めるように――そのイメージは確かに伝わり、飛距離や威力を上げている。
「あとは、投げる石の大きさの制限や、空中での方向転換をマスターすれば、石の投射魔法を自分のものにできるでしょう」
正直、そのあたりからモノにするのが難しくなるのだが……。キアハがどこまで正直にやれるか、にかかってくる。
特に力を込めなくても、指を動かしただけで岩を持ち上げたり、先ほどの岩壁を瞬時に形成して盾にしたり――土系統の魔法というのは、攻防一体。近接オンリーのキアハ自身の立ち回りもバリエーションを獲得できるだろう。
戦力アップといえば。
――今後のことを考えるなら、いざという時のために魔石を手に入れておきたい。
魔石があれば、魔法用の触媒としても、強力な魔法武具の構築、果ては魔鎧を作ることも可能なのだ。
……そう、魔鎧すらも、ね。




