第三三七話、ザームトーア城の魔人兵
ウェントゥス軍主力がグスダブ城を離れて二日目。
逃亡した敵兵による通報を阻止するための作戦として、アスモディアの提案による『鳥かご』作戦が実行に移された。
鳥かご作戦実行部隊とハイデン村からの食糧物資輸送部隊、そしてザームトーア城工作部隊に分かれ、それぞれの任務に当たった。
部隊の大半が飛竜と共に飛び立つ中、慧太とサターナが指揮する少数の工作部隊が魔人兵ひしめくザームトーア城への潜入を行う。
翌日の昼。
ザームトーア城の城主の執務室に、守備隊の指揮官、アローガン大佐はいた。
レリエンディール国でも上位種であるディブル人。この種族の基本は人型だが、彼は牛を思わす二本の角が生えていた。また犬歯が牙のように長く鋭く、口を閉じてもその犬歯が覗く。体は太く、中年特有のややお腹が出ている。ちなみに貴族であり、男爵である。
アローガン大佐は歩兵大隊の大隊長であるエパルを呼びつけた。
『……はあ、砲兵部隊が演習でありますか』
岩のような肌をもつヴラオス人。無骨なその顔立ちは表情に乏しいが、大変気性が荒い種族で知られる。
だが同族の中では比較的、知的で自制心があるゆえ、大隊長という身分に上り詰めたのがこのエパルだった。
『しかし、なんでまた夜間に……』
『さあ、私は知らんぞ』
アローガンは、身体を横に向け、エパルを正面から見なかった。
『ゴール伯爵のご指示だとか何とか。……まあ、夜中に砲を撃つなど、迷惑この上ないがな!』
少し声を荒げる。それでエパルには、この司令を務める男爵殿も不満を持っていることを悟った。
ゴール伯爵――第四軍司令官のベルフェ・ド・ゴールの命令であるなら、一介の守備隊司令では、突っぱねることが難しいのだろう。
『まあ、先日、グスダブ城攻略に伯爵殿は失敗しておるからな』
アローガンは唇をゆがめた。
『いまここにいる砲兵は、その攻撃に参加しておった部隊だから、少し士気を締めなおす必要があるのだろう。……迷惑な話だが!』
『……』
『そういうわけだから、今晩、砲兵連中が砲をぶっ放すから、兵どもには演習だから無視しろと伝えておけ』
『わかりました』
『それと、砲兵の指揮官が抜き打ちで演習をやると言っていたから、兵たちにはその演習のことは口に出すなと命じておけ。……せいぜい、砲兵どもが夜中に叩き起こされて訓練に駆り出されるさまを見守ってやるとしよう。……ふふ、いい気味だ』
エパル大隊長は頷いた。
ふと、目の前のディブル人男爵の横顔がにんまりと崩れる。
突然、機嫌を直したのは何故か――その視線の先を追って、エパルは内心うんざりする。
そこに立っていたのは、アローガンの個人的副官である、同じディブル人の女性士官。
魔鏡をかけた、赤毛の女性魔人であり、怜悧な表情を崩さないのだが、その身体つきは、他の下級魔人種族にさえ情欲を持たすほどに肉感的だった。
エパルらヴラオス人は、その色欲的なものをこの女性副官からは感じない。だが理解はしている。この女がアローガン男爵のそっちのお世話も担当していることを。
『もう、よろしいでしょうか?』
エパルは直立不動だった。この時ばかりは、他種族から表情がわかりにくいといわれるヴラオス人であることに感謝した。
アローガンは、女性副官に好色な目を向けたまま、エパルに対して手を振った。
『ああ、もういいぞ。……いや待て』
男爵は、そこでようやく顔をエパルに向けた。
『今夜、各士官たちを集めろ。ちょっとした晩餐会というのを開こうと思っているのだ。……実は王都から上物の酒と食材が届いてな。新年には早いがその前祝いというやつだ。久しぶりに美味いものが食えるぞ』
『それは……』
どうせヴラオス人が好物としている食石はないだろうと思いつつ、しかしエパルは精一杯の笑みを浮かべた。
『皆も喜びます』
行ってよし――アローガンは、追い出すように手を振った
岩頭の大隊長が退室すると、執務室にはアローガンと、個人副官のみとなった。
「……おかしくなかったか?」
アローガンは、それまでの魔人語ではなく、西方語で言った。
ふう、と息をつく男爵に、副官は腰をくねらせるような妖艶な歩き方で近づくと、彼の座る椅子、その股座の間に片膝を乗せて肉感的な身体を接触する寸前まで近づけた。
「ええ、とても立派でしたわ、アローガン男爵閣下。……以前、彼を見かけた晩餐会で、アスモディアを厭らしい目で見ていたのを思い出したわ」
同じく西方語で副官は答えると、その豊かな胸をアローガンの顔に押し付けた。男爵はその柔らかな感触に包まれながら、しかし顔をしかめた。
「……これって浮気になるのかな?」
「大丈夫よ、セラは見ていないもの」
副官は唇の端を吊り上げると、妖しい吐息をつく。男爵は副官の肉感的な身体に手を回し、抱きしめる。
「大丈夫じゃないな」
「その割には、やる気じゃない?」
「いや、これ以上はしない。……ただ、ちょっとだけ、このままでもいいか」
「……ええ、いいわよ。お父様」
副官は、その豊かな胸で男爵に化けるそれを受け止めつつ、その頭の後ろに手をまわして抱きしめた。
「お疲れ様」
彼女は優しくそう囁いた。
・ ・ ・
城内では普段と変わらない生活が繰り返されていた。
オストクリンゲ攻略に参加した第四軍の部隊の一部が、ザームトーア城の守備隊に編成されたが、リッケンシルト軍の反攻の可能性は低く、季節が冬であることと相まって、のんびりとした空気が漂っていた。
そんな中、本城の壁に沿って庭を歩いていた、ある豚顔魔人が、襲撃や非常呼集を告げる銅鑼の前に立ち止まると、その鉄の円盤をぶら下げる縄を、短剣で切り取った。
ちら、と周囲を見るセプラン兵。城壁裏の庭には他の魔人兵が行き交い、また訓練をしている分隊などが見えたが、特に注目されている様子はない。そのまま銅鑼の円盤を小脇に抱え――
『何をしている?』
別のセプラン兵が背後から声をかけた。銅鑼を抱えたセプラン兵は、一瞬びくりとして振り返る。
『な、なんだよ、びっくりさせるなって』
『何やってるんだ、お前』
切り取られて円盤を失った枠を見やる。これでは何か緊急時に、警報を鳴らせない。
『小隊長殿から、新しい銅鑼を置くから、古いやつの円盤をもってこいって言われたんだ』
『新しい銅鑼?』
小首をかしげる同族兵。
『なんだよ、新しい銅鑼って?』
『オレが知るかよ』
ぶっきらぼうに答える。
『命令なんだからしょうがねえだろ。……まあ、あれだろ。ベルフェ様がまた何か新しい発明をしたんじゃねえの?』
『ベルフェ様ねぇ』
納得したように兵は腕を組んで頷いた。第四軍司令官であるベルフェ伯爵は、発明家の一面を持っている。それは兵たちの間でも有名だ。
『で、どんな銅鑼なんだ?』
『馬鹿かお前! オレは知らないっつったろ!』
円盤を抱えて、怒って立ち去るセプラン人。
なお、彼の他に数名の魔人兵が城内各所の銅鑼を撤去して回った。
それらをいぶかしんで上官に相談した兵もいたが、いつの間にか聞こえてきた『ベルフェ様の発明』とか『新品と交換』などという単語に、皆がそれ以上の追及はしなかった。
やがて、夜が訪れる。




