第三三〇話、遭遇戦
日が沈む前に城壁から見下ろした雪原には、魔人軍が陣を広げていた。
間もなく闇が訪れるというにも関わらず、松明や焚き火といった光源が見当たらない。城壁からそれを眺めていた慧太に、リッケンシルトの若い騎士が説明した。
彼らは最初こそ明かりをつけて位置を明らかにしていたものの、いつからか夜にも明かりをつけなくなったと。
「月が出ているあいだは、かろうじて敵陣が見えますが、曇っていたり雪が降っている日は、明かりが漏れないようにしているようです。そうなると完全に夜の闇に溶け込んで見えなくなるので、本当に気味が悪くて」
闇に紛れて、魔人らが近づいてこないか。すぐ傍まで忍び寄っているのではないか――城の兵たちは不安な夜を過ごしていたのだという。幸いにして、これまでそうした夜襲は一度もなかった。
「そのまま日が昇ったときに、魔人らが綺麗さっぱりどこかへ消えてくれ、と願わずにはいられません」
若い騎士は深くため息をつくのだった。
「……どうやら、今日も月は見えなさそうだ」
見上げれば雲が増えてきたような。
「オストクリンゲの冬の夜はいつもこうです。月はごく稀にしか見えない」
騎士が立ち去り、代わりにガーズィがやってきた。
『月明かりがないのは好都合です。こちらも魔人軍に接近を察知されにくくなります』
「ああ、夜襲を提案しておいてなんだが、それが不安要素だった」
仮に月が明るくても、やりようがあるが、視認しづらいのは姿を隠す意味でも、魔鎧機の輪郭をぼかす意味でもありがたい。
「だが敵が明かりをこちらから見えないように隠してるのは問題だな」
魔人軍陣地の明かりが、こちらを誘導してくれるはずだったのだが……。陣地の位置が変わるとは思えないが、暗さのせいで見誤るのはさすがによろしくない。
「偵察を出そう」
例によって鷹型――夜目の利く夜型、さしずめナイトホークか。
そして五体の夜型鷹の分身体が冬の空に放たれる。雲がたちこめる真っ暗闇の中、魔人軍の野営する陣地を目指して。
複数放つのは、敵が夜間に移動したり、潜伏していたりするものを発見しやすくするためだ。空からの視界は広いが、地面のわずかなでっぱりや傾斜などで遠くからだと見つけ難い場合もある。真上を通過すれば、その見逃しの可能性も少なくなるだろう。
そのうちの一体、魔人軍本営を目指していた夜鷹が、途中、空に浮かぶそれに気づいた。
何もないはずの空に浮かぶもの――翼を生やした魔人。飛翔兵だ。
『迎撃に出てきたのか……?』
しかし、ウェントゥス軍が『鷹』を偵察に使っていることを連中が気づいたとでもいうのか? ……いや、それは考え難いか。
では、何故、夜の空にこいつは単独で飛んでいるのか。
夜鷹は、さして気にしているようなそぶりも見せず、飛翔兵からやや離れた場所を真っ直ぐ飛んでいく。だがその目は、飛翔兵の動きを粒さに観察する。
魔人飛翔兵も、夜鷹を観察していたが、害がないものと判断したか、視線がグスダブ城のほうへと向いた。
空中哨兵とでもいうのか、空から見張りをしているように、夜鷹には見えた。あるいは夜間偵察――そう思った時、夜鷹の背中にゾクリとした感覚が走った。
――こいつが何の目的で空にあがっているかは知らないが、このまま留まっていたら、ウェントゥス軍の夜襲行動に気づいて通報される……!
さすがにそれはマズイ。夜間攻撃の計画がおじゃんだ。
――潰さねば!
一度、飛翔兵を通り過ぎた夜鷹は、本来の偵察業務を中断し、緩やかに旋回をかけると高度を上げつつ、敵兵の背後へと回り込む。
元の世界の航空機同士の空中戦は、偵察機同士が相手に情報を持ち帰らせないために始めたのが最初だという。飛翔兵やら空の魔獣が飛ぶというこの世界では、そう珍しいことではないかもしれないが……。
――何にせよ……!
夜鷹は、背中を向けている敵飛翔兵めがけて急降下をかける。この鷹の姿でかけられる攻撃など限られている。その中で一撃で敵兵を仕留めうるのは――
夜鷹の嘴が、剣状に変化する。……一撃必殺ぅ!
体当たり、からの胴体を一撃で貫く。夜鷹の衝突と刺突。飛翔兵は一撃で急所を貫かれ、もつれるように地面へと落下、雪の上に墜落した。
空中での体当たり。それも速度を出してのそれは、当たったほうも衝撃で死ぬ。それだけ凄まじい威力を双方に与えるが、物理耐性の高いシェイプシフターは、この衝撃でも生き残った。……いや、むしろ生き残るとわかっているから体当たりしたのだ。
剣となった嘴を元に戻し、飛翔兵の死体から離れる。
だが複数の物音が近くから聞こえ、夜鷹はビクリと警戒した。もしかして、落下してくるのを地上にいた魔人兵に見られたか。魔人の中には夜目が効く種族もある。
どこから聞こえる? 夜鷹は慎重に耳をすます。すると、その物音が複数どころか、もっと多いことに気づいた。甲冑をまとった兵のあげる金属のこすれる音。雪の上を進む集団――まるで数十人、それ以上が夜の闇の中を動いているような。
夜鷹は、とことこと数歩、音のほうへ歩く。ナイトアイ――彼の視野の中で、魔人軍の重装歩兵が列をなして進んでいく。
――どういうことだこれは……?
連中は、野営地で明日に備えているのではないのか。何故、こんなところにいるのか。
魔人軍は、グスダブ城方面に向けて移動中……。
――大変だ!
夜鷹は素早く翼を広げ、駆け出しからの低空飛行で飛び上がる。
今頃、城からは慧太たちウェントゥス軍の夜襲部隊が出撃しているはずだ。魔人軍の動きをすぐに報せなくては、移動途中で双方遭遇戦となるだろう。
いや、リアナがいるから奇襲されることはないだろうが、早く報せたほうが、より対応する余裕ができるだろう。
――クソが……!
だが敵の陣容がわからない。夜鷹が目撃した魔人軍は、百を超え、一個中隊以上はいるだろう。問題は、敵がそれ以上の大隊規模なのか、あるいは主力である連隊すべてが動いているかのか否か。
高度をとり、ぐるりと周囲を旋回して、魔人軍の規模を確認したいが、いまは一秒を争う。とはいえ、慧太も敵軍の規模を知りたいだろう。
――仕方ねぇ……!
夜鷹は自らの影を分離させた。自分はまず、慧太に警告。分離させた影に敵の陣容を確認させてから合流させる。
ただでさえ身体の容量の少ない夜鷹で、さらに分離したことで何かしらの障害に出くわして一撃を食らった場合、復帰に時間がかかるが、今は緊急事態だ。
次からはもう少し容量を増やすか、二人一組で行動するよう意見具申しておこう、と夜鷹は思った。
低空をかすめるように飛ぶ夜鷹。魔人軍が長蛇の列を形成しグスダブ城を目指すのを右手に見ながら、しかし地上を進むものたちとは桁違いの速度で一気に進む。ざっと見た感じ、二個中隊ほどを追い抜いたようだ。となると大隊以上か――夜鷹は魔人軍より先を進む。
やがて夜鷹のナイトアイは、魔人軍陣地のある西を目指すウェントゥス軍部隊を捉えた。飛竜輸送の増援で、一個中隊(およそ一〇〇人)になったその部隊は、矢じりのような隊形で進んでいる。
例によって、真っ先に狐人のリアナが夜鷹の接近に気づき、中央にいる慧太の姿を認めると、夜鷹は一直線に向かった。
・ ・ ・
「敵が動いている」
夜鷹からの報せを受けた、慧太は思わず額に手を当てながらため息をついた。
部隊は警戒態勢のまま止まっている。ウェントゥス兵らがクロスボウを構え、いつでも戦闘できるように睨みを効かす中、主要な面々が慧太のまわりに集まっていた。
魔人軍の攻撃が思いがけず早い。……そうだよな、何も昼間でなくてもいいのだ。連中にだって夜目が効く奴はいる。前回の総攻撃が明け方だった。堅実な攻めをすると聞いて昼間に動くものと決めつけていた。
セラが小さく首をかしげる。
「ケイタ?」
「……敵の陣地を叩くことは出来なくなったが、連中はオレたちが城の外にいることを知らない。……まだ不意を突くことは可能だ」




