第三二七話、グスダブ城の姫君
慧太たちを乗せた飛竜が、グスダブ城へと到達する。
西側の城壁は、18ポルタの砲弾を浴びて無数の穴が開き、今にも崩壊しそうな箇所が存在する。いや、すでに一部城壁が崩れ、無数の瓦礫が散乱しているところもあった。
城の中に、飛竜ごと降りるとき、城壁の上の守備隊の兵士らが手を振ったり、声をあげたりしていた。
魔人軍の砲兵陣地を奪取し、敵主力を砲撃したのが見えていたのだろう。魔人軍が後退したことで、一矢報いてのささやかな勝利を得たことを喜んでいるようだ。
中庭に降りたとき、ティシアとアウロラは、ガーズィらウェントゥス兵と城壁の崩れた手前に立っていた。
慧太とサターナが飛竜から降りると、ティシアが朗らかな笑みを浮かべる。
「ご苦労様でした、ハヅチ将軍。魔人軍を後退させましたね」
長い金髪の麗しき女騎士から、『将軍』などと呼ばれるとこそばゆいものを感じる。分身体の悪戯心から始まった呼び名が、彼ら以外にも定着しつつあることに、頬がかゆくなった。
「まあ、何とか上手くやったよ」
慧太は言ったが、自然と複雑な表情を浮かべているアウロラへと視線が向く。その褐色肌の魔鎧騎士は、溜息をついた。
「せっかく出番だと思ったのになぁ。……アタシも団長――将軍のほうがよかった」
好きでもない人間の部隊に同行すればよかったというアウロラ。この場で待機している様子に何となく察してはいたが。
「リッケンシルト軍は動かなかったな」
予想通り、といったらアウロラは怒るだろうか。こちらが援軍に駆けつけ、魔人軍撃退のチャンスがあっても、グスダブ城の部隊は攻撃に加わらないと。
ティシアは苦笑した。
「いま、セラフィナ様とユウラ副団長が、リッケンシルトの上層部と掛け合っていますが、そこから戻ってきていないのです。どうやら、話が長引いている様子」
「リッケンシルトの連中は腰抜けだ」
アウロラが口を尖らせた。戦闘できなかったことで、ムシャクシャしているらしい。……まわりにそのリッケンシルトの兵がいるし、見ているのだが。
「アウロラ」と、ティシアがたしなめるように言った。味方陣営内で、関係がギクシャクするような行為は控えてもらいたい。
その様子にサターナが、生暖かい視線を向けている。それに気づいたアウロラはばつの悪い顔になった。
「なんだよ……って、何でしょうか、サターナ姫様」
「サターナでいいわ」
竜亜人の姫ということになっている、漆黒ドレスをまとう少女は寛大だった。
「ワタシも正直面白くないのよ。せっかくお父様が砲兵を叩いて、敵の戦列を崩したのに、そこにつけ込めないここの軍にね。……ワタシにせめて大隊でもあれば、表の敵を完全に叩き潰してやれたのに」
意外にもアウロラの肩を持つようなことを言った。かつて魔人軍第一軍を率いた猛将は、敵の殲滅機会をみすみす逃したことに、一言あるらしい。
そこへ、本城のほうからアスモディアがやってきた。シスター服をまとう赤毛の美女は、「お疲れ様」と慧太たちを労った。
「マスターが読んでるわよ、ケイタ。リッケンシルトの首脳陣と今後の対策を話し合うんですって」
ユウラの個人秘書のようなアスモディアである。慧太は、サターナを一瞥した。
「来てくれるか? 魔人軍の次の行動について、助言してくれると助かる」
「付き合いましょう」
サターナは小さく肩をすくめるのだった。
・ ・ ・
グスダブ城城内。がっちりと組まれた石造りの構造は頑強そのもの。通路などは殺風景なのだが、ここにきて冷ややかな外気が入り込んで寒々しい。
外は雪深きオストクリンゲ。慧太の目から見ても寒そうに見えるから、城内にいる人間にとっては中々、冬は堪える季節だろう。
「それにしても――」
慧太は首をかしげる。
「人が多いな」
ここに来るまで、城の兵とは思えない一般人の姿を多く見た。寒さのために皆が外套に包まり、城の庭や通路、ちょっとした空きスペースに腰を下ろし、縮こまっている。
「避難民かしらね」
サターナはそれらを見やる。
本来、余裕をもって通れるはずの通路も、人が座り込んでいたりするために、通行の際、兵たちも邪魔そうな顔を隠そうともしなかった。
本城の二階より上の階層となると、それらの一般の民の姿はなかった。案内を受けて進む慧太たちがやがてたどり着いたのは、本城の会議室。暖炉が置かれ、赤々と火が燃えているが、中にいる人間は厚着をしており、通路に比べれば幾分かマシな室温のようだった。
会議室に入った慧太とサターナだが、そこにいたのはリッケンシルト国の若き王ルモニーと、その妹であるアーミラ姫。ユウラとセラもいて、アーミラ姫はセラと話しこんでいたが、やってきた慧太――正確にはその隣のサターナを見て、「あっ!」と声をあげた。
「セラ様をさらった女!」
「え?」
当のサターナはキョトンとするが、慧太は瞬時にそれに思い当たり、とっさに顔に手を当てた。
そうだった。王都エアリアのハイムヴァー宮殿を脱出する際、サターナの姿に化けていた慧太は、アーミラ姫の目の前でセラを誘拐したのだ。……忘れていた。
「あぁ、違うのアーミラ!」
セラが慌てて、この十三歳の若い姫君の肩をつかむ。
「え、違う? ……あ、そういえばあの時より少しお若いような……」
困惑を深めるアーミラ姫。あの時――アーミラ姫が初めて会ったときのサターナは大人の美女といった姿。いまは慧太やセラより年下の少女の姿なのだ。
「ひょっとして妹、さん……?」
その様子を見やり、サターナが小声で「お父様?」と状況説明を求めてくる。
「実は、かくかくしかじか」
と、慧太はそっと手を出せば、サターナはその指先に自身の指を接触させ――シェイプシフター同士の記憶の共有で、実際にあったエアリアでの騒動を瞬時に伝えた。
「……ああ、これね。把握した」
サターナは少々呆れたものの、それも刹那の間。つかつかと前に出て、アーミラ姫のもとへと向かう。ドレスの裾をつかみ、優雅に一礼してみせる。
「はじめまして、アーミラ姫。ワタシが本物のサターナ。あなたが以前、ワタシを語る偽者と会ったみたいだけれど――」
本物とか偽物、というニュアンスが何気に慧太への嫌味に聞こえる。当の慧太は目を逸らす。
「本物のワタシは、スプーシオ王国ではなく、北はドラッヘルの一族。人間ではないの」
「ドラッヘル……! 竜亜人なのですか!?」
面食らうアーミラ姫。上座の席についたまま様子を眺めていたルモニー王もまた目を見開いた。それらを他所に、サターナは艶やかな笑みを浮かべる。
「あら、見る? 気持ち悪がらなければいいけれど……」
ドレスの裾を軽く持ち上げて見せれば、竜を思わす尻尾がちらりとのぞく。それを目の当たりにしたアーミラ姫は、少し顔を引きつらせる。……トカゲとかヘビとか駄目そうな姫である。
「改めてよろしく、お姫様」
「よ、よろしく……」
姫様はお引きになられているようだった。セラは咳払いした。
「それでは、彼らを紹介したいと思うのですが、よろしいでしょうか、ルモニー陛下」
「ああ、そうですね。始めてください、セラフィナ姫」
二十代前半――かのリーベル王子よりも若い現国王は静かに頷いた。
身に付けている服とマントのおかげでかろうじて威厳が感じられるが、それがなければ、一国の王には見えない。
気のよさそうな青年といったルモニー王を見た慧太の第一印象はそれだった。故人を悪く言うべきではないが、今は亡きリーベル王子よりも、遙かに好感を持てた。
慧太が軽い自己紹介を終えると、ルモニー王は、先のゲドゥート街道での王都住民の避難援護、そして今回のグスダブ城攻防における戦いに勝利をもたらしたウェントゥス傭兵軍に深く感謝の意を表明した。
「正直に言えば、我々はここで死を待つだけだと思っていました」
傍目にもやつれて見えるルモニー王の顔。
「魔人軍に降伏もできず、かといって彼らを破る術を見い出すことすらできない現状。……恥ずかしながら私は軍事については素人。兄のリーベルに任せきりだったツケを払わされている始末。そんな折、あなた方が駆けつけてくれたことは、民にとって僥倖と言えます」
ありがとう――王はとても素直な感謝を口にした。
聞けば王位にまったく関心がなかったルモニーである。兄リーベルが存命なら、彼がリッケンシルトの王となっていただろう。自分にその番が回ってくるなど、夢にも思っていなかったところでの魔人軍の侵略。突然、その場に引きずり出された、彼の抱える重圧は計り知れない。
「無理もありませんわ、ルモニー兄様」
アーミラは同情を露にする。
「リーベル兄様は、苛烈なお方でした。ルモニー兄様に常々、王位について尋ねていらっしゃった……もし、王位に関心があるように振る舞えば、あの兄様がどのような行為に及んだか」
王位継承に絡むゴタゴタ――いや、それを避けようとした結果か。皮肉としか言いようがない。
もっともどのような過去や理由があるにせよ、大事なのはこれからであり、ルモニー王には、もはや待ったは許されない。
リッケンシルト王国の残党にとって、ここが最後の砦なのだから。




