第三二五話、駆けつけた援軍
その報せが、グスダブ城に届けられたのは唐突だった。
早朝、魔人軍による砲撃開始の少し前、城壁北側の見張り兵が、伝書鳥が手紙を持ってきたと上官に報告した。
グスダブ城北側城壁の守備隊長を務めていた騎士は、その手紙を検めた。
中には丁寧な筆跡で、本日朝、北より飛竜二五騎と共に馳せ参じる、というもので、差出人は、聖アルゲナムのセラフィナ姫からだった。
セラフィナ姫――
魔人によって滅ぼされた聖アルゲナム国の王女。ゲドゥート街道で王都避難民を魔人軍から守った白銀の勇者の末裔にして騎士姫。彼女が援軍を連れてリッケンシルトへ戻ってきたのだ――若い守備隊長は興奮した。
救援が来る。魔人軍によって退路を断たれ、もはや絶望的な空気さえ漂っていた状況の中、一筋の光が差し込んだのだ。
彼はもう一度、手紙を読み返してみた。援軍が見間違いではないのを確かめ、さらに『北より飛来する竜は味方ゆえに攻撃しないように』という一節を見るにつけ、これは大変だとすぐに本城のほうへ、この報せを持っていかなくてはならないと思った。
だが、時すでに日の出の刻。魔人軍による攻撃が開始され、城門のある西城壁が砲撃にさらされた。
敵襲だ。この状況で、当直の指揮官である守備隊長が持ち場を離れるわけにはいかない。
彼は生真面目だった。地方貴族の三男坊。実戦経験はないが騎士の称号を持ち、職務に忠実だった。故に手紙を伝令に託し、自らは受け持ちの北側城壁の守りについた。
同時に、北側を守る兵たちに『空から助けが来る! 絶対に攻撃するな!』と厳命した。
敵の攻撃に兵たちが慌しく配置に走る中、西側城壁が叩かれる。頑丈な城壁がいとも簡単に崩されていく様や、巻き添えを食らった兵たちの悲鳴が、聞く者の心を恐怖ですりつぶしていく中、守備隊長はひたすら北の空を見つめていた。
彼は待った。そして祈った。救援が来る。気力の失せた上官や兵たちが放つ重苦しさから解放される――
一方で、伝令が届けた手紙について、疑心暗鬼にかられた一部の高官が、魔人軍の罠ではないかと疑ったため、王や他の者たちを大いに悩ませることになるが……。
結果的に、意見がまとまらなかったために、命令が前線に届くことなく――それはつまり生真面目な守備隊長の現場判断に任されることとなる。
そして、飛竜は来た。手紙の通り複数――その数は一〇を超え、二十と少し。守備隊長は歓声をあげた。
「援軍だ! アルゲナムから救援が来たぞーっ!」
その声はたちまち兵たちに伝染し、配置についている兵たちの元に津波のように広がった。接近する飛竜の群れ。援軍という言葉にとり憑かれたように、兵たちは拳を突き上げ声を弾ませた。
やがて、飛竜がグスダブ城の上空をフライパスした。飛竜――本来なら恐るべき魔獣として武器を構えるところだが、『援軍』として現れた以上、それは敵ではなかった。
緩やかな旋回と共に高度を落とすと、飛竜は城の中庭へと順番に降りてきた。
先頭きって降りたのは、白銀の鎧を身に付けた銀髪の戦乙女――
セラフィナ・アルゲナムが、グスダブ城に到着した瞬間だった。
・ ・ ・
アルゲナムの援軍がグスダブ城へ到着。その様をベルフェや魔人軍将兵らは見つめていた。
空から飛竜に乗っての登場など、誰が予想できただろうか。
だがベルフェは少なくとも、落ち着きを取り戻した。
飛竜の数は二十から三十の間。それらは乗せてきた兵を降ろした後、再び北の空へと戻って行った。
どうやってあのような飛竜を手に入れたのかは、この際どうでもいい。二十以上の飛竜を使役して、それを地上のこちらへ攻撃に使わなかった時点で恐れる対象ではなくなった。
グスダブ城へ来た援軍は、おそらく例のアルゲナムの姫もいるだろうが、人数はせいぜい二十から多くても四、五十程度。一個小隊程度の人員が加わったところで、魔人軍は敵を凌駕する数の重装歩兵連隊に、砲兵陣地の18ポルタ。
恐れるに値しない。……多少の損害は増えるだろうが、あのアルゲナムの姫もここで始末できるのならば悪くない話だ。
構わず進軍――の指示を出さなくても動くか、と少々面倒になって黙っていると、後方の砲兵陣地から、18ポルタの砲声が轟きだした。
ようやく砲撃を再開したか。やれやれと肩をすくめるベルフェだが、空を切る砲弾の音が思ったより低く感じた。そして直後、前衛の重装歩兵連隊のもとに四発の18ポルタ砲弾が叩き込まれた。
二発は前衛の連隊の鼻先に。残る二発は、重甲冑をまとう歩兵たちの真上に落ちて、彼らを押し潰し、ミンチに変えた。
「は……?」
思わずベルフェは声に出していた。測量を誤るとかのレベルではない。それまで城壁を叩いていたものが、どこをどう間違ったら、味方の真上に砲弾を落とすのか。
突然、砲弾を浴びた重装歩兵たちは混乱した。不運にも犠牲になった者がいる一方、間一髪助かった者は怒声をあげる。その動揺がさざ波のように広がる。
そして砲兵陣地から再びの砲声が響いた。飛来した砲弾は今度は四発とも重装歩兵の隊列に突っ込んだ。分厚い城壁を砕く砲弾は、かすっただけでも魔人兵の身体を引き裂き、押し潰して、無残な肉塊へと変える。
重装歩兵たちは、完全に恐慌状態に陥った。敵からの攻撃ならまだしも、味方から撃たれているという事態に、理不尽さと怒りがない交ぜになり、事態を悪化させる。
その様子を見やり、ベルフェの副官であるアガッダは声を荒げた。
「いったい砲兵は、何をやっているんだ!?」
「副官、現実を受け入れろ」
ベルフェの声は低い。十歳程度の外見の少女とは思えないほどの落ち着きようだが、内心では凄まじいまでの怒りが渦巻いている。
「あれは敵だ。敵が砲を使っているのだ」
「いや、しかし……ベルフェ様」
「この期に及んで、まだ誤射だと思っているのか、おめでたい奴だな」
ベルフェはいつもの淡々とした表情に見えて、内心の憤りが見え隠れしている。
「副官、前衛の歩兵連隊に後退の合図を出せ。一度、落ち着かせないと使い物にならん。それと伝令だ。待機している予備隊――騎兵大隊に砲兵陣地を奪回させろ」
急げ、とベルフェが『命令を発した』ことに、アガッダはすぐに敬礼をすると『伝令、来い!』と仕える主の命令を遂行する。
――まったく。
ひとまず命令を出し終わり、ベルフェは胸の奥の怒りを息に乗せるように吐き出した。
――見事だ。
雪崩と戦場を横切った飛竜の群れ――敵の増援に、みなの注意が向いている間に、敵は大胆にも砲兵陣地を奪ったのだ。
リッケンシルト軍? いや、違うな。おそらく増援の連中――アルゲナムの部隊だろう。奴らは、18ポルタが厄介な代物であることを理解し、まずそれを切り崩すことにしたのだ。……だが。
――まさか、18ポルタを利用しようとするとは……。
あの巨砲は、巨人兵がいてこそ、円滑に一定の射撃速度が維持できる代物だ。人間でも扱えなくはないが、そもそも砲弾が重いし、発射の際の打ち出し棒を叩きつけるのも簡単ではない。……だから基本的に魔人軍以外では使えないものとして、破壊はしても、自分たちで使ってやろうという者は現れないはずだった。
――どういう手を使ったかは知らんが、18ポルタのことをよく研究している……。
アルゲナムやリッケンシルトで、ベルフェは18ポルタを使用した。敵の中に、何とかこれを利用できないかと考えた者がいたということだ。
――ボクの18ポルタも、人間たちにそれなりに評価されているということか。
飛竜の増援が、真っ先にグスダブ城へ駆け込んだのも納得だった。
本当なら、二、三十のドラゴンライダーがあれば、前衛歩兵はもちろん、こちらの本営や騎兵大隊を空から襲撃することが可能だ。しかもこれが中々厄介で、それなりにこちらに損害を与えることもできたはずなのだ。
だが敵は、それをしなかった。制空権をとり、地上を攻撃するという有利を放棄した。何故か、18ポルタを利用するためだ。重装歩兵連隊の真上を飛び回っていては、砲撃の巻き添えを食らう恐れがある。
――とはいえ……。
予備隊――シヴァンと呼ばれる大型猪のような魔獣に跨る魔人騎兵大隊、およそ三百騎が雪原を駆けていく。
第四軍の騎兵は、魔獣ゴルドルや魔馬を扱う他の騎兵部隊より速度は劣るが、馬力と持久力に優れる。雪原でもその力強い足腰を使って一定速度を保っている。
――ボクらの隙をついて18ポルタを利用したのは褒めてやる。だが……。
ベルフェは、そっと空を見上げる。
「やはり、飛竜は帰すべきではなかったな」
そのほうが、より魔人軍に打撃を与えられたものを。




