第三二四話、青き旗ははためく
魔人軍砲兵陣地の戦いは、いまや掃討戦の段階に入っていた。
戦線の後ろから砲を扱う彼ら砲兵は、近接戦に弱い。もとより砲を操作し、装填し、撃つことが彼らの仕事であり、直接武器を振るうことは重視されていないのだ。
故に近接戦訓練は積んでいても、素人に毛が生えた程度。まして携帯用の短剣や警備用の武器しか支給されていないのでは、一線級の歩兵と殴り合うのはそもそも無理があった。
だから、端のほうに配置された魔人兵は、味方が劣勢とみるや陣地から逃げ出す者が相次いだ。
だが――
「逃がすわけないでしょ」
狐人の暗殺者――リアナが弓矢を駆使して、背を向ける敵兵を射殺していく。一方で、サターナは背中の翼で飛び上がると、槍剣スピラルコルヌで巨人兵の眉間を貫くと、さらに氷の柱を具現化させ、それを砲兵たちに放って追い討ちをかける。
数にすれば、ウェントゥス側は、砲兵の三分の一以下だったが、奇襲効果と相まって、敵を駆逐していった。
間もなく陣地を制圧できる。慧太は、兵たちが魔人兵を掃討していくのを確かめながら進む。……その時だった。
『将軍!』
兵の声。慧太のすぐそばに、出血しながらも襲い掛かる巨人兵の姿。
どうやら死んだふりをして伏せていたようだ。あと二、三秒もすれば、巨人の拳が慧太を押し潰し――
しかしそれは果たされない。
慧太と、巨人兵のあいだを割ってはいるように黒い影が伸びて遮った。その影は高さ三メートルほどの人型、アルトヴュー軍の鎧機、ティグレの姿となった。
黒い鎧機は、突進してくる巨人兵の顔面にパンチを見舞い勢いを殺すと、開いた胴体に鉄斧を叩き込んだ。
――別に油断していたわけではないんだが……。
慧太は倒れた巨人兵の死体を見やる。そこへレーヴァがやってきた。
『将軍、陣地を制圧しました。砲は無傷です』
「よくやった」
慧太は近くの巨砲――18ポルタを見上げた。最初の計画では、この砲を破壊するのが目的だったが……今は違う。
話は昨日に戻る。グスダブ城救援のため、展開する魔人軍への攻撃計画を練っていた慧太とユウラ。砲兵陣地の排除に目処が立った矢先、慧太は作戦の見直しを口にした。
ユウラが怪訝な顔をする。
「考え直すとは?」
「敵の主力軍だ。砲を潰しても、こいつらは多少混乱するかもしれないが無傷だ。そして兵力差は砲兵を叩いても依然として敵が優勢だ」
ウェントゥス傭兵軍は二個小隊。魔鎧機を加えても大隊の戦力に及ばない。仮にリッケンシルト軍がこちらの動きに同調してくれなければ、ウェントゥス軍のみで敵の主力――連隊以上の兵力と戦わなくてはならなくなる。……これはよろしくない。
「リッケンシルト軍をどこまで当てにしていいか判断がつかない。であるなら、ないものと思って、考えないといけないとオレは思う」
「道理です」
ユウラは頷いた。
「現状、リッケンシルト軍が動かなければ、ベルフェ卿の軍勢を完全に撃破することは難しいでしょう。リッケンシルト側と事前交渉できていれば……」
作戦の打ち合わせなどができていれば――もしそれならば、ここまで気を回さなくても済むのだが、いまさらそのような時間はない。魔人軍の攻撃は、明日にでも始まる可能性が高いのだ。
「敵軍を粉砕できるのならまだしも、ある程度数を残してしまうようなら、こちらの手をあまり見せたくはない。よって、飛竜による空爆案は今回は見送る」
その代わり――慧太は歯をむき出し笑みを浮かべた。
「敵さんご自慢の18ポルタ砲を、敵主力の歩兵に見舞ってやろう」
かくて、慧太たち先行隊は、砲兵陣地の制圧と魔人軍重砲である18ポルタ砲を確保した。
砲数は四門。固定式の砲は、台座上での旋回と仰俯角は取れるが、移動はできない。……まあ、移動する必要はないが。
手に入れた砲を早速、操作するウェントゥス兵。巨人兵の代わりに、鎧機の姿に合体した分身体が、砲弾を装填し、射撃手を取り込んだ兵が、砲の角度や向きの修正指示を出す。
慌しく準備が行われている中、警戒役を引き受けるキアハは、西の方角から移動する大型獣の集団を肉眼で捉えた。
「あれは……なんです?」
その声に、サターナも紅玉色の目を向ける。
全身毛むくじゃらの四足の生き物だ。大きさといい、鼻のない象のような感じだ。それが十数頭、雪原をゆっくりと歩行している。
「ドファンね。暗黒大陸産の大型動物よ。いわゆる荷物を運ぶ車を引く輓獣ね。ふだんは大人しいけど、怒らせるとあの身体だから潰しにかかってくるわよ」
「大きい、ですね」
「まあ、大方、重砲をバラして運び込んだ時に、あれに轢かせたんじゃないかしら」
「なるほど」
キアハは頷いた。だがすぐに、何か引っかかったのか首をかしげる。
「何故、集団でうろついているんでしょうか?」
「砲がうるさいから、射撃している時は違う場所に置いていたんじゃないかしら。びっくりして暴れだしたら、大惨事でしょう?」
「あー。……でも、あの集団、こっちへ近づいてきてませんか」
「そうねぇ……なぜかしら」
サターナも小首をかしげたが、すぐに気づいた。
「あぁ、たぶん、雪崩が起きた影響で、待機していた場所から避難してきたんじゃないかしら」
でも――
「ちょっと面白いことができそう」
サターナは悪戯っ子のような笑みを浮かべるのだった。
・ ・ ・
「雪崩……」
ベルフェは、本営前に作られた見張り台の上にいた。
西ブローンセの山々で起きた雪崩は、彼女のほかにも本営そばで予備として待機している騎兵大隊はもちろん、前進中の重装歩兵連隊の足を止め、注意を引いた。
副官のアガッダは、望遠鏡から目を離す。
「味方の損害はありません、ベルフェ様」
「無論だ」
そのように配置している。作戦に何の支障もない。
「ですが、何とも間の悪いことで」
青顔の魔人副官は、眉をひそめた。雪崩の影響はないとベルフェは確信していても、他の兵たちは違う。
雪崩がどこに流れ、戦場に影響をもたらすか。兵や前線指揮官らはそれを注視した。もし飛び火するようなら退避しなければならないからだ。
その結果、攻撃の手が一時的に止まってしまったのだ。
まったく――ベルフェは悪態をこらえた。敵が臆病で防戦に徹しているリッケンシルト軍だからよかったものの。果敢な敵だったら、この隙に何かしらの反撃を試みていたかもしれない。砲兵が、グスダブ城の城壁を叩いていて、リッケンシルト軍にしてもそれどころではないのが幸いした。……と。
ベルフェは、その砲兵陣地の18ポルタが先ほどから沈黙していることに気づいた。
「砲兵はいつまで休んでいるのかね」
まだ砲を撃ちつくすタイミングではなかろうに。雪崩の範囲を気にしているのは連中も同じということか。
「さあさ、進撃再開だ。せっかく砲兵が敵の外壁を崩している最中なのだ。このまま攻め込んで今日中に城を――」
ベルフェが周囲に声をかけたその時、周辺監視の兵が声を張り上げた。
「北方より、複数の飛翔するものッ!」
ん――? とっさに視線が動く。北の空、東ブローンセの山々の山頂より低い高さを黒い点が複数見えた。翼を持っているそれが、戦域に侵入を図る。
「なんだ、あれは?」
飛竜のようだった。サイズは小型――竜騎兵が用いる、一人乗りないし二人乗りの竜だ。さらに目を凝らせば、どうも背中に人型を乗せているような。
本当に竜騎兵なのか。一瞬、どこの所属かと、ベルフェは考える。魔人軍にも竜騎兵は存在するが、保有しているのは第三軍と第五軍だ。しかし連中がリッケンシルト国に出張ったという報せはない。
その時、望遠鏡を覗き込んでいたアガッダが声を震わせた。
「あ、あの旗は――!?」
旗……。距離が縮まってきたので、先ほどより竜の細部が見えてくる。人を乗せたそれは、確かに数騎が旗を掲げている。青地に白――いや銀の紋様……。
――まさか!
ベルフェはとっさに嫌な予感がした。あの旗は覚えがある。だが同時に否定したい気持ちがこみ上げる。
「副官、報告せよ! どこの旗だ!?」
「信じられない……あれは――聖アルゲナムの旗です!」
アルゲナム――戻ってきたのか。レリエンディール軍が取り逃がした亡国の姫。彼女が再び……。




