第三二三話、義経にできて、オレたちにできない道理はない
翌朝、日が昇る少し前、慧太は飛竜の背に乗り、野営地を飛び立った。敵砲兵陣地攻撃を任務とする少数部隊だ。
天候は薄曇り。だがグスダブ城周辺に張り付いていた鷹型から、現地の天候は回復し、魔人軍の攻撃が近い旨、報告があった。
もはや、猶予はない。セラたち本隊は、日が昇り、一時間ほどしたらグスダブ城へと飛ぶ。……彼女らが到着する前に、砲兵陣地を始末しなければならない。
慧太率いる部隊は、七頭の小型竜の背に乗り、西ブローンセ山地を目指す。七頭の竜の前には、鷹型分身体が飛び、先導を務めている。
慧太のほかには、サターナ、リアナ、キアハとレーヴァら突撃兵十名からなる。
少数精鋭。
リアナとキアハを除けば、シェイプシフターであり、また残るふたりもその正体を知っているが故に、慧太たちに変幻自在な戦い方の自由を与えていた。
やがて、東の空に太陽が昇り始めた。左手方向から差し込む、眩しい光。それによって露になるのは地面の白、白、白。
昨日の雪であたり一面が覆われている。日が刻々と昇る中、一時間ほどの飛行で、慧太たち攻撃隊は西ブローンセ山地へさし掛かった。目指すはブル山、魔人軍砲兵陣地――その背後にある切り立った崖である。
先導の鷹が、高度を下げ、山を撫でるように飛ぶ。
目的地が近い。ここからは魔人軍の発見を避けるため、後続の飛竜も低空をかすめる。足跡ひとつない山肌を飛竜が翼をはためかせ、吹きつけた風で地面の雪がかすかに舞った。
鷹が着地する。目的の崖はすぐそこだ。慧太たちも続く。飛竜が雪の上に降り立ち、慧太やサターナ、竜の背に乗っていた者たちが次々にその足跡を刻む。
同時に飛竜もその姿を変え――分身体兵へと姿を変える。兵士十名? 否、六頭の飛竜は各四名、計二十四名の兵へと化けた。もとの兵も入れて一個小隊分の人数である。
変身しなかった一頭は、慧太の合図を受けて、ブル山の南側傾斜面へと飛んでいく。……これもひとつの仕掛けだ。
ドーン、と低い爆発音が、連続して響く。慧太はその音の正体を瞬時に悟る。魔人軍の重砲――18ポルタの砲声だろう。
思ったより早い。魔人軍は攻勢を開始したようだ。砲撃が始まった以上、グスダブ城の城壁の破壊は免れないだろうが、敵の主力軍が城に乗り込む前にケリをつけなければならない。
慧太たちは雪上を崖めがけて前進する。このあたりに魔人軍の見張りがいないのは把握済みである。
労せずして、魔人軍砲兵陣地を眼下に見渡せる崖の上に到着した。
下を見やれば、塔のような台座に乗っている巨大な大砲。そのまわりで砲の弾を込めている巨人兵。
長さ十メートル以上はある、まさに巨砲と呼ぶにふさわしい18ポルタ大砲が四門、リッケンシルト軍の立て篭もる城めがけて砲撃を繰り返していた。……巨人兵はざっと二〇人ほど。それ以外にも一般の魔人兵がその四、五倍は、陣地でウロチョロしている。
人数だけ見れば、一個中隊ほどか。歩兵中隊と砲兵中隊では人数編成が違うらしいので、一個中隊と数えていいかは謎だが……。まあいまいる数が変わるわけでもないので気にしない。
「いるわね、第四軍の砲兵部隊」
サターナの唇の端にちらと舌が覗いた。慧太は淡々とした口調で言った。
「獲物を前に舌なめずりをする奴は三流らしいぞ」
どこで聞いた知識だったか――まあ、いい。たぶんあれだ。緊張すると唇が渇くから、戦う前に唇を舐める奴はビビリだとか、そういう意味だろう。
角付き兜を被っているレーヴァが、慧太の隣に立った。
『さすがに、この高さは足が竦みますな』
ほぼ垂直に切り立った崖である。慧太は首を捻った。
「アルトヴュー王都のアリシリーニュ城のほうが高かったぞ」
塔のようにそびえる天守閣から飛び降りた慧太である。
「鵯越の坂落としをやるぞ」
時は平安時代の末期。源氏と平家の戦いのなかで、源義経が断崖の上から精鋭を率いて敵陣を奇襲した故事である。
「義経は馬で崖を降りたという。……それに比べたら簡単だろう?」
『坂東武者だって、この崖は無理でしょう』
兜で表情がわからないが、レーヴァは実に楽しそうだった。ちなみに彼の兜や甲冑には赤紫のラインが識別用に入っている。
「では、早速始めよう。……サターナ、リアナとキアハをよろしく」
任せて、お父様――黒髪、漆黒ドレスの少女はセラの白銀の鎧を模した姿になると、背中に竜を思わす漆黒の羽根を出現させた。
慧太は今一度、崖の下を見やる。
依然、続く18ポルタの砲撃。砲兵たちは忙しく砲弾を運び、巨人兵が砲を装填。合図に合わせて砲尾を魔石棒で突いて、撃ち出している。……いま、こちらに注目している者は誰一人いない。みな、攻撃目標であるグスダブ城近辺に注意が向いているのだ。
「よし、行くぞォ!」
『野郎ども、飛び込め!』
慧太を先頭に、ウェントゥス兵らは次々に崖から飛び降りた。兜に甲冑にその他装備を抱えて、高所から飛び降りるなど自殺も同然の所業。だがシェイプシフターは、この程度の高さで落ちたくらいでは死なない。
荒々しく地面に着地。足が微妙に潰れるがすぐに復帰。意外に大きな着地音がしたが、耳をつんざく砲声を間近で聞いていた砲兵たちの耳は、それに気づかなかった。冬の寒さにも関わらず、汗まみれで砲弾運びをする砲兵たち。その一部が、視界に入った白甲冑の兵の一団に気づく。
だがその時には、慧太をはじめ、ウェントゥス兵たちは手近な魔人兵に向かって突撃をかけていた。声をあげず、一直線に。初めて見るその姿に、気づいた砲兵らもそれが『敵』かどうか判断するのが遅れた。
半分のウェントゥス兵が、手にしたクロスボウを放った。それは正面を向いていた魔人兵の胴や顔を貫き、背中を向けていたものにはその背後を穿った。
さらに半分のウェントゥス兵はやや短めの両刃の剣――例えるなら、古代ローマ兵が用いたグラディウスに似ている――を両手に一本ずつ持って、魔人兵に肉薄した。その先頭は、慧太とレーヴァである。
『敵ぃー!』
魔人兵が金切り声のような警告を発した時、その喉もとを、慧太の持つ剣が裂いた。レーヴァは、鳥顔の魔人の胴体に剣を刺すと、駆ける勢いのままその魔人兵を押し、砲弾運びの兵を巻き添えにして倒した。
兵らに遅れること少し。背中の翼をはためかせるサターナに掴まる形で、崖を降りたリアナとキアハが、地面に足をつけた。
「さあ、お二人さん、お仕事よ」
リアナは早速、弓に矢をつがえ、砲の射撃観測を行っている見張り台の上の士官と観測員を射殺する。キアハは金棒を手に、他のウェントゥス兵ともども、手近な魔人兵へと駆けていく。
砲の傍らで操作していた巨人兵が、後方の騒ぎに振り返った。身長は四メートルを越える。そりあがった頭に、毛皮のコートじみた服をまとっているが、その服の下は鍛え上げられた屈強な体躯があることが容易に想像できる。
丸腰ではあるが、その巨体と頑強な肉体はそれ自体が武器となる。長い手足を振り回し、チビである人間の兵士を潰そうとする。
「レーヴァ!」
分身体の隊長のもとに迫る巨人兵。まるでそびえ立つ壁だ。
『こいつは……』
拳を振り上げる巨人兵――だが、股座がお留守だ。レーヴァは右手の剣で急所を突き刺す。
『タマタマは付いてるかッ?』
巨人兵は奇妙な呻き声をあげ、急所を押さえながら倒れこんだ。
『どうやら男だったみたいだな!』
右手の剣を鎚に変えると巨人兵の頭に一撃。そいつは動かなくなった。
ちょうど、その時だった。
砲撃とは別に、地響きのような音がどこからともなく響きだした。魔人砲兵たちは聞きなれない騒音に注意が向いた。……目の前に敵が迫っているにも関わらず。
――始まったか。
慧太は、しかし音に動揺する魔人兵らを他所に、一人ずつ確実にしとめていく。
攻撃前に分離した飛竜。それに西ブローセル山地に雪崩を起こさせたのだ。昨日の吹雪で新たに積もった雪。その重みに、ちょっとした変化を加えることで、雪は連鎖的に傾斜をくだり流れていく。
もっとも、ユウラが指摘したとおり、この雪崩は魔人軍には届かない。
だが、注意は引いた。
18ポルタ砲の援護のもと、グスダブ城に前進しつつあった魔人軍主力の重装歩兵連隊も、その後ろの指揮官本営や、予備の騎兵大隊も……そして今まさに襲撃を受けている砲兵でさえ動揺し、発生した雪崩の行方を見守っている。
その雪崩が何の影響もないとわかっているウェントゥス兵だけが、目の前の戦闘に集中していた。
だが、他はともかく、砲兵たちもいつまでも音の正体を気にしている余裕はない。容赦なく襲い掛かるウェントゥス兵に、武器を持った者は果敢に反撃を試みた。
例えば、砲の打ち出し棒を持っていた巨人兵。即席の槍とばかりに振り回せば、かわし損ねたウェントゥス兵が跳ね飛ばされる。
しかし、そこにキアハが駆けつける。
身長差は二倍以上。だがキアハはまったく怯まず、金棒で敵の棒を叩き折ると、飛び上がりながらの一撃で、巨人兵を殴打し絶命させた。




