第三二一話、グスダブ城の内と外
雪積もるオストクリンゲ地方。東ブローンセ山地の一角に、リッケンシルト軍の拠点であるグスダブ城があった。
山の頂を背にしたこの城は、大集団を持って攻める場合、南西側の比較的傾斜が緩やかなルートを用いなければならない。
北側ないし東側は険しい山となっていて、規模の大きい部隊を展開させるスペースがなく、必然的に攻撃側は進軍ルートが限定されてしまう。防衛側であるグスダブ城側はそれに対応した陣地構成、城壁の配置がなされている。
もとより城攻めにあまり出番のない騎兵は使えず、頼りの攻城兵器も地形のために侵入不可。攻撃は歩兵を中心にしたものにならざるを得ない。
結果、グスダブ城は地形を最大限に利用した堅城であると言える。
ただ、平地のザームトーア城が難攻不落と言われていたのに対し、このグスダブ城には取り立てて別名があるわけでもなく、非常に地味な存在だった。
ひとえに戦略的な要衝とは言い難い辺境である上に、誰も攻略の意味を見い出せなかったからという理由である。
魔人軍にとっても、リッケンシルト軍の残党が『立て篭もっている』という状況でなければ、無視を決め込んだであろう。
「何とも面白くないことだ」
レリエンディール第四軍指揮官、ベルフェ・ド・ゴール伯爵は、雪景色の中、ぽつりと立つ城を眺める。
グスダブ城より、およそ三キロ離れた平地にこしらえた野戦陣地。十歳程度の少女の外見を持つ女魔人は魔鏡の奥で、緑色の瞳を細めた。
「こんな辺鄙な場所にあるにも関わらず、やたら大きな城じゃないか、え?」
「そうですね」
青顔のコルドマリン人の副官、アガッダは、もう何度目かわからない同じ愚痴に、半ば辟易しながら同意した。……第四軍司令官殿は、面倒事が嫌いなお人なのだ。
「しかもやたら寒い」
分厚いコートをまとい、厚手の手袋をしたその姿は、黙っていれば歳相応の可愛らしい少女なのだが。
魔人軍の陣地正面には重装歩兵連隊が守りを固めている。
いま第四軍が展開している場所は渓谷地帯の中央に位置しており、陣地後方には、西ブローンセの山々がある。そしてその一角に、ベルフェが運び込んだ18ポルタ砲を有する砲兵陣地が存在する。
固定砲である大型砲18ポルタは、準備に数日を要するが、リッケンシルト残党の腰抜けどもは、正面の重装歩兵の壁に恐れをなし、妨害してくることもなかった。
天候は曇り時々、雪。吹雪の気配を見せているので、様子見をしているが、それが晴れたら、第四軍はグスダブ城への攻撃を開始する。
「にらみ合いだと、どうあってもこちらが不利なんだ」
ベルフェは、ぽふぽふと手袋に包まれた手を打ち合わせた。
「ここでは現地徴発ができないから、食糧備蓄を溜め込んでいるグスダブ城が有利だ。おまけにこの寒さだ。重装歩兵の連中に寒冷地装備と暖房を与えているが、それとて限界だ。あと二、三日もすれば、城攻めどころじゃなくなる」
忌々しいことだ。
「18ポルタの配置は済んでおります」
アガッダは背筋を伸ばした。
「攻撃が始まれば、半日以内に城壁を破壊し、その日のうちに城は落ちましょう。……いつもと同じです」
「そう、いつもと同じだ」
ベルフェは空を見上げた。厚い雲に覆われた灰色の空がどこまでも広がっている。
「なんで、ボクはここにいるんだ?」
「……シフェル様に頼まれたからでしょう」
アガッダは、どこか拗ねたような声だった。シフェル様、という単語に、ベルフェはパンと手を打ち鳴らした。
「そう、シフェルお姉様!」
だが表情はいつもの淡々とした調子だ。
「アルトヴュー攻略前に、リッケンシルト国内の抵抗要素を排除しておく――おねーさまはそう申されたのだ」
「辺境とはいえ、堅城であるグスダブ城を短時間で陥落せしめられる将は、レリエンディール軍広しといえど、ベルフェ様しかおりますまい」
「そうだろうか?」
ベルフェは、魔鏡の奥で、素朴そうな目を向けてきた。
「シフェルおねーさまのところの飛翔兵部隊なら、いかな堅城といえどひとたまりもないと思うが? 何せ城壁も空からの攻撃には対応できない」
「しかし、冬の空を飛ぶというのは飛翔兵たちにも負担が大きいと聞きます」
身を切るような寒さ。長時間の飛行は体力の消耗が激しく、特に冬での戦闘可能時間は他の季節に比べて大幅に短くならざるを得ない。
「……ベルフェ様、このやりとり、いつまで続けられるおつもりですか?」
アガッダは、面倒くさそうな表情を隠さなかった。……レリエンディール七軍随一の頭脳の持ち主という評価を持つベルフェが、まさかその程度の知識がないはずないのだ。
「部下の教育も、上司の役目だよ」
ベルフェは、にこりともせずに言った。この外見十歳の少女を、歳相応に見えさせないのが、この淡々とした表情ゆえだろう。
「諸兵科連合だよ、諸兵科連合」
ベルフェはそんなことを呟きながら、陣地本部天幕へと歩を進める。アガッダは、意味がわからずベルフェの説明を待ったが、彼女はさっさと話を切り替えた。
「副官、もし暇なら、これからショコラトルを飲むが、付き合うか?」
要するにチョコレート・ドリンクである。
「ご相伴に預かります。……ショコラトルは、人間社会でも希少らしいですね」
「元々、この大陸ではないところから輸入したカカオだかカカワが材料らしい。新年を迎える前にメールペル家から届いた。どこぞの貿易船から分捕ってきたんだそうだ」
メールペル家――レリエンディール七大貴族のひとつである。第七軍を統括し、魔人の国では唯一の海軍を形成している。
「そういえば、新年も近いですね」
「さっさと切り上げて、国に帰りたいものだ」
「帰れそうですか?」
アガッダは真顔で聞いたが、ベルフェは肩をすくめた。
「今年か? 無理だな。我々は、本国からどんどん離れていっているよ」
・ ・ ・
ルモニー・リッケンシルト王の疲労はピークに達していた。
魔人軍が、グスダブ城正面に展開して、もうじき一週間になる。どのような城も文字通り粉砕してきた敵の巨大大砲。その設営、配置が終了した模様という報告が入って、すでに一日。いつ魔人軍の攻撃が始まるかおかしくなかった。
二十一歳の若き王は、胸の内からこみ上げるむかつきに、自然と自身の胸を撫でているのが癖になりつつあった。食事も細くなり、油断すると吐き気に襲われたりする。
もともと、学者然とした物静かな性格のルモニーにとって、王という立場はただただ重荷だった。兄であるリーベルが王位を継ぎ、自分はのんびり優雅な研究生活を送る――その人生設計が崩れたのは、兄が魔人軍との戦いで戦死したことによる王位の継承。父である前王は、王都エアリアと運命を共にし、死んだことが伝えられている。
軍政は、完全に専門外だった。配下の将軍たちに、魔人軍への迎撃を任せることになったが、彼らは『堅実』な攻めで進む魔人軍の前に、有効な対策を打てず敗退を重ねた。
「それで、正面の魔人軍に対する対応は?」
「……」
グスダブ城の会議室内。居並ぶ将たちは、腕を組み、俯いたまま誰も何も言わなかった。入城当初は、まだ誰かしら意見を口にしていたが、事ここに至って、もはや言うことは何もなくなった、と言うべきか。
打って出るにも魔人軍正面を破るのは困難。わざわざ守りに適した地形を捨てるのはどうか、という意見が出れば、敵の重砲が火を噴けば、その守りも何の役にも立たないと反対意見が出る。なら打って出るのか――と意見は堂々巡りを続ける。
その結果、誰も何も言わなくなったのだ。
具体的な策が出ないまま、リッケンシルト軍はグスダブ城に籠城している。時間を無為に消費したあげく、魔人軍の攻撃は近いうちに行われる危機的状況。
さらに始末が悪いのは、当初、数ヶ月は籠城が可能――と聞かされたグスダブ城の食糧備蓄が、底を見えてきたという現状。このままでは冬を越すのも不可能であり、つまるところ、魔人軍が攻めてこなかったとしても、正面に張られている限り、リッケンシルト軍と城にいる人間は、飢餓で死ぬことになる。
状況は最悪だった。完全な手詰まり。外部からの援軍なくば、籠城をとるべきではないとはよく言ったもので、いまこのリッケンシルトの窮状を救い出せる者の心当たりなど、誰一人なかった。
上は王から、下の一般の民にいたるまで、士気は最悪な状態にまで追い込まれていた。
魔人に殺されるか、飢えて死ぬか――彼らの未来は、ふたつにひとつだった。




