第三一六話、キアハとアウロラ
ハイデン村の夜。
ウェントゥス傭兵団の司令本部となっている村長宅の二階に慧太とセラはいた。
「……名前ね」
「そう、名前」
椅子に腰掛ける慧太。その背中に抱きつくように腕を回しているのがセラだ。……人がいないのをいいことに、少し密着している。
「確かに、ウェントゥス傭兵団というのもな。ティシアたちアルドヴュー軍もいるし、ジパングーの軍もいる。……アルゲナム解放軍?」
「解放軍かぁ」
慧太の右肩に、セラは顎を乗せた。ふわりとした香り――などというものはなかった。野外活動が多く、おしゃれなどしている余裕などないのだ。ただ臭くないのは、適度に体の汚れを拭いたりして手入れを欠かしていないのだろう。
「気に入らないか? 君の国の名前だぞ」
「でも、いまリッケンシルトを解放している」
「じゃ、リッケンシルト解放軍?」
うーん、とセラは唸る。慧太は冗談めかした。
「どのみち、アルゲナムに行くんだから、『アルゲナム解放軍』でいいんじゃないか?」
間違っても、ジパングーとか、アルトヴューは入れられないだろう。セラは口を尖らせた。
「でも、ウェントゥスって名前も響きが気に入ってるのよね」
「そいつは意外。……あー、わかった。ウェントゥス傭兵軍――これなら多国籍な人種や種族が集まっても特に違和感ないだろう」
団から軍になっただけではあるが。……まあ、いずれ規模を考えたら、軍を名乗れるくらいには大きくなるだろうし。
「じゃあ、それで」
「ノリが軽いな。まあ、いいけど」
慧太が笑えば、セラは嬉しそうにさらに体を密着させてきた。背中に柔らかな感触。……気のせいか、以前に比べて彼女の胸がほんの少し成長したのではないだろうか。そういえば髪も伸びてきたと思う。
また髪を切るのだろうか――慧太が口を開きかけた時、階段を慌しく駆け登ってくる音が聞こえた。
セラは素早く慧太から離れ、何事もなかったように振る舞う。やってきたのは、分身体兵だった。
『団長、大変です、喧嘩です!』
喧嘩? ――誰が、誰と? 慧太とセラは顔を見合わせた。
『キアハさんと、例のアウロラというアルドヴューの騎士が、です!』
キアハとアウロラ。とっさに嫌な予感しかしなかった。
『金棒や槍が振るわれる、本気の殺し合いに発展してます。アウロラは魔法だけでなく魔鎧機まで持ち出して――!』
「……大変だ!」
慧太は勢いよく席を立つと、わき目も振らずに部屋を飛び出し階段を駆け下りた。セラもその後に続く。
表に出る。ウェントゥス兵らの一団が集まっている場所が見える。野外食堂だ。喧嘩はそこか――
駆けつける慧太とセラ。そこに広がっていたのは、地面に倒れ、泣いているキアハと、ウェントゥス兵らに取り押さえられているアウロラ。その彼女の前で仁王立ちしているユウラの姿。
「おいたが過ぎますよ、アウロラさん。うちの団員を苛めないでください」
・ ・ ・
発端は、アウロラの悪口だった。
野外食堂で、夕飯をひとりで食べていた褐色肌の女騎士は、昼間の鬱積から、見るもの全てに文句を垂れていた。
ウェントゥス兵が通りかかれば悪態をつき、そのたびに傭兵団を仕切る慧太への不満や悪口を独り言のように口にしていた。
その悪口は、非常に耳のよい団員のもとに届いた。
狐人のリアナである。十数メートル先に落ちた葉の音さえ聞こえる彼女が注目すれば、独り言など、大声で話しているのと大差ないレベルで拾うことができる。……相棒たる慧太の悪口ともなれば特に。
もっとも、リアナ自身、それでどうこうするつもりはなかった。獣人傭兵団にいた頃から罵詈雑言には慣れている。
だが、そういうことに慣れていない者もまたいた。
キアハである。
半魔人として育った彼女は、自身に対する差別や偏見、悪口には傷つく性質ではあるが、敬愛する慧太や仲間たちが貶されることに関しては、激しい怒りをおぼえ、自身を抑えることができなかった。
結果、キアハは突っかかった。
しかも間の悪いことに、日が落ち夜となっていた。……キアハは夜になると目の色が変わり、額に角を生やし肌が灰色に変わる半魔人だ。アウロラは、キアハの夜の姿を初めて目の当たりにして、動転した。
「魔人!」
アウロラは氷の魔法槍を召喚して武器を構えた。
これが普段のキアハだったなら、魔人と呼ばれたことに傷つきつつも、自身の体質のことを説明し、矛を収めさせる方向へ流れただろう。
だがすでに頭に血が昇っていたキアハは、魔人呼ばわりされて武器まで向けられたことで昔の古傷を大いに刺激し、声を荒げて訂正しろとアウロラに怒鳴った。
だがそんなキアハの過去も体質のこともまるで知らないアウロラには、まったく何のことを言っているのかさっぱりわからない。
「うるせぇ、魔人野郎!」
もう、引き返せないところまで互いにヒートアップしていた。魔槍と金棒がぶつかり合い、乱闘を通り越した本気の戦闘になった。
事件を目撃したウェントゥス兵が集まり、何とか止めようと試みるも、両者の間に割り込むことなど不可能だった。リアナは黙って距離をとり、両者の戦闘を眺めた。
ここで、一人の兵が、慧太のもとに走る。
そしてその間に、キアハの豪腕に押されたアウロラが、氷の魔法を使い、さらに魔鎧機まで具現化させた。……それだけ、キアハの怪力が常人離れしているのだ。
化け物。
的を得ているのだが、それを面と向かって言われたらキアハの心は傷つくのである。
魔鎧機グラスラファルを具現化させたことで、形勢はアウロラに傾いた。キアハの怪力を正面から受け止め、氷の刃で傷つける――もし銀竜の鎧をまとっていなかったら、キアハは重傷を負っていた。いや、ヘタしたら死んでいたかもしれない。
事態を収拾したのは、事件を聞きつけ駆けつけたユウラだった。青髪の魔術師は、ただ一言「やめなさい」と静かに告げた。
おそらく魔法を使ったのだと思う。アウロラの魔鎧機が即時解除され、直後にウェントゥス兵らに彼女は取り押さえられた。
ここで、慧太とセラが到着するが、騒動はすでに決着がついていた。
・ ・ ・
キアハは仰向けの姿勢で横たわり、泣いていた。
目に一杯の涙が溢れ、指で拭えども拭えども、それでも涙がこぼれた。
ユウラが、セラが、キアハのそばにしゃがむ。
「怪我をしましたか……?」
青髪の魔術師が優しく声をかける。キアハは答えない。目元を手で覆いながら、首を横に振る。
魔鎧機と正面から向かい合ったのだ。相当、怖い思いをしたのではないか。というか、普通なら、魔鎧機と対峙した時点で人間なんて軽く死ねる。
「キアハ……」
セラがキアハの震える肩に手を伸ばす。ぐすっ、と泣き続ける大柄の少女。
慧太はその様子を見つめ、気づく。これは痛みによる涙ではなく、悔しさの涙だ。
悔しくて、悔しくて……。堪えきれずに、涙が溢れてくるやつ。
「何が悲しい……?」
慧太は聞いた。セラ、ユウラが視線を寄越した。しゃくりあげるキアハは、やがて小さく言った。
「……リアナ、からのっ、鎧……っ、きずっ、つけちゃ、った……」
ああ、そういうことか――慧太は理解した。
先日、リアナが送った銀竜の鎧。キアハにとっては初めてのプレゼントだった。とても気に入っていた鎧に傷をつけてしまったことが、悔しくて、悲しくてたまらないのだ。
キアハは声をあげて泣いた。言葉として出したことで、感情と共に声も抑えられなくなって。
子供のように泣いた。




