第三一五話、数が多ければいいというものではない
ところでお前は何を書いているんだ? ――アウロラが出て行った後、慧太は、先ほどからテーブルの上で書類の書き写し作業をしているアスモディアに問うた。
シスター服をまとう赤毛の女魔人は、写し終わった紙と、書き写す元となった一枚をテーブルの上に滑らせた。だが慧太のもとに届く前に、止まってしまう。……届かない。
あいだにいるティシアが手を伸ばし、それを目にする。
「一枚は西方語。……もう一枚は、どこの文字です? こんなもの、見たことがない」
「サンレドゥ文字。レリエンディールで使われている文字よ」
アスモディアは答えた。ティシアは吃驚する。
「魔人の文字なのですか?」
「そ。で、そっちの西洋語のほうが、サンレドゥ文字を翻訳したもの」
ティシアの手からセラに渡る。
「私が頼んだの。魔人軍の動きを掴む手がかりになればと思って」
「なるほど」
金髪の白騎士は感嘆の声をあげた。慧太は黙っていた。自分もまた、魔人のサンレドゥ文字を理解している者だということを。
「しかし、よく魔人の言語がわかるのですね。……聖教会では、そのようなことも学ぶのですか?」
「あー、まあ、そうね……」
アスモディアは適当な相づちを打った。シスター服を着ていても、なんちゃってシスター。神の信徒でもなければ、人間ですらない。
深く追求されると面倒だ。それを察したユウラが、テーブルに地図を広げた。
「で、慧太くん。これからの話をしましょうか」
「そうだな」
慧太は行儀悪く机の上に座った。今の位置だと、地図に手が微妙に届かないからだ。
「ハイデン村を取り戻し、ミューレの古城も間もなく陥落します。……しかも、魔人軍はまだ我々が国境線を越えて進撃したことを知りません」
「当面は、ジパングー兵の援軍を待ちつつ、リッケンシルト内での勢力圏を広げていく」
慧太は地図――ハイデン村周辺の集落を次々に指していく。
「これらを魔人軍から取り戻し、首都方面に近づきながら情報を探る。味方になりそうな戦力があれば合流を図り、敵の手薄な拠点があれば、それを重点的に狙う方向だ」
「攻略していけば――」
ティシアが地図を覗き込んだ。
「魔人軍も反撃してくるでしょう。そう遠くないうちに」
「ああ、だが局地戦に終始するだろうな。冬に大規模な戦力投入は兵站面の負担を考えると難しい」
兵站とは、軍隊の行動に欠かせない要素である。物資の準備、補給、人員の展開、それに伴う食糧、武器、建築用資材その他もろもろ、戦うために必要な準備すべてに関わってくる。
食糧確保の難しい冬は、秋までに蓄えた保存食糧の備蓄が重要であり、もし冬を越す前に尽きることになれば、待っているのは餓死である。
もちろん魔人軍は、ある程度の余剰の備蓄を持っているが、確保の難しい冬は、極力消耗を抑えたいと思っているだろう。そのあたりは、どこの国も同じだ。
「――だが逆に言うと」
慧太は地図の大規模都市から伸びる街道を、切るようになぞる。
「敵の補給ルートを遮断してしまえば、小さな拠点にいる連中は自前の食糧だけで冬を越さなければならなくなる。……そうなると拠点を捨てない限り、どこにも行くことができない。戦わなくても敵の動きを封じることができるって寸法だ」
「仮に、大規模な動員をかけてきたら?」
セラがアスモディアが翻訳した紙から視線をはずし、地図上の王都を指でさした。
「前線拠点への兵站を一時的に断って、その分の物資を王都主力軍の行動に振り向けたとしたら?」
大規模な戦力と対峙することになる。こちらの戦力が少ない状態での決戦を強いられれば勝ち目は薄い――と思うだろう。
「その時は、こっちは逃げる」
「逃げる?」
セラとティシアが同時に眉をひそめた。慧太は愉快そうに笑う。
「ああ、冬のあいだに王都の主力軍が動いてくれれば……面白いことになるだろうな」
「そうですね」
ユウラは同意した。その表情は悪戯っ子のような意地悪さがあった。
「冬越しのための希少な物資を浪費してくれるんです。一度きりの決戦が空回りしてしまえば、リッケンシルト駐留軍は、ほぼ動けなくなるでしょうね」
「そうなれば、形勢はこちらに傾く」
慧太は右手を左の手のひらに打ち合わせた。
「敵を各個撃破し、王都を奪回する。そして春になる頃にはリッケンシルト国から魔人軍を叩き出す。……まあ。何から何まで上手くいけば、だな。だが少なくともこの国の半分は取り戻せるとは思う」
「春になれば魔人軍も食料事情が改善し、行動が活発化しますが」
ユウラは、ちらと慧太を見た。
「その頃には、ジパングー軍の大軍勢や、アルトヴュー軍の援軍が到着し、正面から戦える戦力になっていると」
「そういうこと」
慧太は、セラへと視線を向ける。
「オレたちは、この冬の間に、敵の備蓄を奪う戦い方をする。戦いは数だが、必ずしも少ないことが不利ではない」
「それなら、何とかなりそうね」
白銀のお姫様は小さく笑みを浮かべた。
「あなたたちがいてくれて、ほんと頼もしいわ」
恐縮です、とユウラは自身の胸に手を当てた。ティシアが口を開く。
「魔人軍の主力を動かすのも計画のうちなら、いま魔人軍から私たちの存在を秘匿しているのは?」
「いまの戦力だと、近場の敵しかやってこない」
慧太は腕を組んだ。
「国境にいる二個連隊だけで充分と思われる。上手くこいつらを撃退しても、王都やより内側の敵の兵站にダメージを与えられない。むしろ遠方へ補給する手間が省けて、逆効果になってしまう」
あー、とティシアは納得したように頷いた。だがすぐに首をかしげた。
「しかしハヅチ殿。魔人軍の前線――例えば、私たちのいるような村集落の部隊は、冬越しを自前で何とかするようになっていた場合、敵の兵站にダメージを与えることはできないのでは?」
「だからと言って、配備した兵たちに餓死せよ、と命令することはないんじゃないかな」
慧太は、アスモディアへと視線を向ける。赤毛のシスターは遠い目になった。
「そうねぇ……。前線近くに配備した部隊にはある程度の自活を求めるけれど、物資を求められたら後方の備蓄を前線に送るしかないわ。前線を見捨てたら、他の部隊への示しがつかないもの」
慧太はセラが受け取ったうちの、魔界人の書いた紙のほうを手に取った。
「近々、ジパングーから亜人兵がやってくる」
「亜人、兵……ですか?」
ティシアがぽかんとした表情になる。慧太は首肯した。亜人兵――実際のところは、シェイプシフターの分身体であるが。
「魔人に見えるよう変装してもらう。彼らをハイデン村周辺の集落を制圧した後に駐留させる。あたかも、まだ魔人軍が占領しているように見せかけてな」
「……何故、そのようなことを?」
「敵の物資を前線に引きずり出す」
慧太は笑みをこぼした。
「言ったろ。敵の兵站を攻撃するって」
連中には、前線の末端まできちんと物資を届けてもらいたい。その物資を輸送する連中や獣たちの食糧を大いに消費させながら。
そう、たとえ武器やその他装備を運ぶだけだとしても、運び手たちも飯を食うのだ。……ついでに魔人軍の備品や食糧も鹵獲できれば、こちらの兵站もさらに軽くなる。
ただでさえ厳しい冬を、彼らにとってさらに寒く、寂しいものに変えてやろう。
「まさか、敵に補給しているなんて、連中は夢にも思わないだろうな」
一石二鳥である。
その後、隻眼の中年男――ウェントゥス団の兵站業務担当の一人、分身体のカルヴァンがやってきた。
「戦利品の整理、終わりました」
「ご苦労。早速だが、ライガネンのドロウス商会まで運んでくれ。人選は任せる」
「了解。お任せください、ボス」
軽い敬礼と共に、カルヴァンは本部である旧村長宅を後にした。




