第三一二話、粉砕
魔人軍の歩兵中隊が、正面の襲撃者に対して盾を構える。
敵は弓兵を中心にする部隊――それを見て取った古参の狼魔人の兵士長は、いまだ硬直している指揮官に怒鳴った。
『敵は、クロスボウで武装しています! 盾を前に突っ込めば――』
ある程度犠牲は出るが、という部分は飲み込む。
『装填時間の長い敵を撃破できます! 突っ込みましょう!』
『あ、ああ……』
ディブル人の指揮官は、コクコクと頷いた。
……クソ、覚悟もないボンボンめ。
内心、上流階級のディブル人へ罵りをあげながら、兵士長は、中隊長に代わり叫んだ。
『中隊、前進! 敵は弓兵で、数はこちらの半分以下だ! 押せば崩れるぞ!』
断言してやる。何の迷いもなく。それにより初撃で前の部隊が壊滅させられ、混乱していた兵たちの動揺も少し収まる。後は蛮声を上げながらの突撃に入ってしまえば、士気は補える。
ドドドド……。
ふと、大きな連続した騒音が耳に届く。地響き、集団が勢いよく走る音。まるで動物の群れが平原を突っ切るような――
まさか――古参の兵士長は振り返った。
左翼に展開する第三小隊で動きがある。その向こうから音のもとが近づいてきているのだ。
小型の二足竜――馬程度の大きさのそれに乗った白い兜と軽甲冑をまとった戦士の一団――騎兵集団が側面から突撃してきた。
左翼の第三小隊――しかし、今から隊列を組み直して間に合うか。
逡巡。だがその間にも貴重な時間は失われていた。
第三小隊が側面防御に陣形を変更し始めたところで、兵士長はすでに手遅れであることを悟った。
・ ・ ・
敵左翼の小隊が動いた。慧太たち本隊の方向に構えていた盾持ちの兵たちが側面を守るべく移動を開始したのだ。
だが、遅い!
ダシューは構わず、槍の穂先を敵に向けた。
敵の指揮官か、土色の肌を持つ魔人が剣を振り上げ、兵たちに怒鳴っているのが見える。早く配置につけ、とでも叱咤しているのだろうか。
ふと、ダシューの左手方向から、一筋の矢が駆けた。それは土色肌の魔人の眉間に突き刺さり、打ち倒した。
ちら、と視線をやれば、狐娘――リアナがコンプトゥスの背から弓を構え、射っていた。
騎射だ。馬などの騎乗動物の上から弓矢を射る。
弓を射るという行為は両手を用いる。当然、馬に乗っている間、弓を構えれば手綱から手を離すことになる。馬と人、双方に高度な技術が必要な技が騎射だ。……なのだが、このコンプトゥスはシェイプシフターの分身体であり、手綱がなくとも言葉で意思の疎通が可能。小型竜のほうで、射手が狙いやすいように調整できる。
これは一考の価値ありだ――ダシューはウェントゥス団における騎馬戦術の開拓をひとまず思考から追いやる。もはや、敵は目と鼻の先だった。
守りが間に合わないと悟った敵兵が逃げ腰になっているのが視界によぎる。リアナが立て続けに矢を放ち、一人、二人と倒していくのがさらに彼らの危機感を煽った。……そうだ、怯め。怯えろ!
騎兵の効果は、速度と威圧による恐怖効果。壁のごとく押し寄せるそれが直撃すれば命がないことを、敵は本能的に悟り、恐怖するのだ。
左翼小隊が、衝突を前に崩れた。隊列の変更が間に合わず、蹂躙される恐れから逃げ出したのだ。ダシューは兜の裏でニヤリと笑みを浮かべた。
恐怖効果、発動。逃げる敵は隊列を崩し、味方を混沌へと落とす。さらにその下がる敵の背中を押すように敵陣深く突き抜けていく。二重の勢い、敵にとっては崩壊を促進する悪循環。
左翼の魔人軍小隊は、たちまち波に飲み込まれるように騎兵小隊に槍で貫かれ、踏み潰され、弾き飛ばされた。
左翼の崩壊は、またたく間に中央の小隊に伝播する。逃げようとする兵が留まっている兵を押し、隊列の維持など不可能になった。
ウェントゥス騎兵はそんな魔人兵たちを次々に血祭りに上げていく。
――敵指揮官!
ダシューは左側に固まっている集団を見やる。旗と屈強な兵士の少集団。他に比べて混乱が少ないように見えるが。
リアナが矢を放った。指揮官と思しき魔人が首を打ち抜かれる。周囲はビクリとし、しかし狼顔の魔人が怒鳴って、盾持ちの兵らが周囲を固めた。あれは少し硬そうか――ダシューは壊走する敵が多いほうへ進路を向ける。いまは敵の混乱に付け込むのが先だ。
一方、見逃された魔人軍の第一小隊の十数名――だが中隊長は戦死し、古参の魔人兵士長は焦りの表情を浮かべた。
街道前方の敵に、敵騎兵。全周を囲まれたような状況だ。近くにいた兵以外は、もはや統率もなく敵になすがままにやられている。敵騎兵の主力が逃げる兵らを追っている今が、逃走できる唯一のタイミングではないか。これを逃せば袋叩きにあって全滅だ。
狼顔魔人の兵士長は敵騎兵が抜けた方向を離脱方向と定め、まわりの兵たちに叫ぼうとした。
だがそこに少数、三、四騎の敵が突撃してきていた。見逃されていたわけではなかったか――まあいい、数名は犠牲になってもこの数なら無理やり突破もできなくはない。
兵士長は爪剣を敵に向け、盾を持った兵らに突撃を命じ――ようとしたまさにその時、向かってくる敵騎兵の背にいる大女が棍棒を振り回した。
次の瞬間、兵士が三名、鈍い打撃音と共に宙を待った。
――え……?
その騎馬は足を止めた。突進こそ騎兵の戦術――だがその大女は、その利点を捨て小型竜の背を下りた。いや、彼女にはそもそも、そのような騎乗しての勢いを利用する必要など、最初からなかったのだ。
自前の力で、騎馬突撃以上の打撃を発揮できるのだから。
棍棒――金棒が、岩並みに硬いヴラオス人を首ごと吹き飛ばし、豚顔魔人の兵を鎧ごと押し潰した。
一騎当千のツワモノ――白き鎧を持つ大女。その目が、兵士長の視線とあった。そこにあったのは揺ぎ無き闘争心。狼魔人として生まれ、周囲から怯えの目で見られることが多々あった彼だが、大女はそれを目の当たりにしても、蚊ほども恐れていない目を向けてきた。
むしろ怯えているのは――狼魔人の兵士長は、次の瞬間、叩き込まれた金棒の一撃で内臓と骨を砕かれ絶命した。
・ ・ ・
魔人軍の前線への援軍、およそ三〇〇名は全滅した。
大勢が決した後も、慧太は逃げる敵兵を見逃さなかった。勝ちと見たら余計な欲を見せずに下がる――などという考えはこの時はなかった。
慧太の分身体たちは自身の命など軽く見ている。だから勝ち戦の時に見られる、『もう勝ったのだから無理して怪我するなんて馬鹿らしい』という考えとは無縁だった。
そもそも、魔法的な攻撃以外では、死ぬどころか怪我すらしないのだ。
ダシューら騎兵が敵敗残兵を狩っている間、慧太はガーズィらに命じて、魔人兵の死体をひとかたまりに集めさせた。死体からの疫病対策を兼ねた、分身体確保のための処理である。ついでに使えそうな武具やその他道具類も集めて、再利用ないし、ドロウス商会行きである。
――敵兵を全滅させたはいいが、何か考えておかないとな。
慧太は曇り空の下、戦場跡を歩く。地面に残る血の跡、武器の残骸……。
敵にこちらの情報を与えないために始末しているが、前衛に向かった中隊が消えれば、当然、後方の魔人軍も不審を抱き、調査するだろう。
キアハがやってきた。ちなみにリアナは残党狩りのほうへ行っている。魔人兵の部隊に切り込み、そこで返り血を浴びたようで、キアハの銀竜の鎧が少し汚れていた。
「浮かない顔ですね」
「わかるか?」
「何か心配でも……?」
「うん、まあ。魔人軍の反応がな……あまり派手に動いて敵の注意を引きたくない」
遅かれ速かれ、魔人軍もこちらの存在に気づくだろうが、本格的な反撃は遅らせたいのが本音だ。
キアハは少し考えて言った。
「でも、古城やハイデン村を獲った時点で、魔人たちに気づかれるのでは?」
「それは問題ない。敵にこちらが制圧しているのを分かり難くするよう、上手くやるから」
そもそも――
「ハイデン村はともかく、近くの集落をいくつか落とすが、ミューレの古城を含めて魔人軍の勢力圏だと連中には思わせておくつもりだ」
「そんなことができるんですか?」
普通の人間から見れば、当然の疑問だ。慧太は微笑した。
「できるさ。オレたちはシェイプシフター、変身する者だからな」




