第三〇三話、慧太の思い、セラの思い
西進するウェントゥス傭兵団。アルトヴュー王都を出て早三日。リッケンシルト国の国境線まで、あと一日といったところだ。
鷹型分身体が国境へ飛び、先遣隊とのあいだに連絡を取り合う。現地へ着く前に、合流地点や簡単な状況などが慧太のもとに届き、それを元に情報を整理していく。
常に慧太の傍らにいるセラと、それらについて話したりする。
だが国境線が近づくにつれて、セラの表情は硬くなり、考えにふけることが増えた。……緊張しているのだろうな、とは思う。
日が傾く中、馬車の上でユウラは振り返った。
「そろそろ夜営の準備をする頃合かと思います」
「……おう」
シェイプシフターである慧太は、正直に言うとこの手の行軍で疲労を感じない。だからその気になれば、休憩なしでぶっ通し進むことも苦ではない。アルフォンソをはじめとする馬車を引く分身体たちも同様だ。
だがユウラやセラといった生身の人間には適時休憩が必要だった。無理して体力を消耗するのは、今後のことを考えれば控えなければならない。だから、いまのユウラのようにそのタイミングを教えてくれるのは、慧太としては大変ありがたかった。
街道の平原に馬車を停める。ガーズィの部下たちが馬車を降りると、さっそく天幕を張り始める。馬車にも幌をつけられるが、女性陣には相応にプライベートな空間が必要だろう。
当然ながら、野郎どもはユウラ以外は馬車か外での見張りだ。ウェントゥス兵らは慧太の分身体だから、退屈を噛み殺す必要はあるが寒さは苦ではない。
「ケイタ」
セラが声をかけてきた。
「少し話せないかな?」
「いいよ」
頷く慧太だが、セラは何故か周囲を気にしているようだった。
「散歩しない?」
「……」
ここでは話せないことなのか。慧太はそれとなく視線を走らせる。セラは誰に遠慮しているのか。アルトヴューの魔鎧騎士であるティシアとアウロラか? それとも仲間内の誰かか……。
ガーズィ! ――慧太が声をかければ、ウェントゥス兵を指揮する隊長は振り返った。
「少しこのあたりを見てくる。ここは任せるぞ」
「承知しました。行ってらっしゃい」
彼が頷くのを確認すると、慧太はセラに「行こうか」と告げた。
仲間たちから離れ、慧太とセラは二人並んで歩いた。昨日は雪が降ったから地表は白一色だった。そんな雪に足跡を刻みながら黙々と。
セラは黙っている。そんな彼女の横顔を見ながら、充分に仲間たちから距離をとったと思い、慧太は口を開いた。
「話というのは?」
「……何から話せばいいのか」
彼女は迷っているようだった。しばしその視線を彷徨わせて、セラは言った。
「明日には、国境だね」
「ああ。魔人軍に支配されつつある国――ここをどうにかしないと、アルゲナムにたどり着くのは夢のまた夢だ」
果たしてどうような様子なのか。以前放った分身体による偵察により、ある程度の情報は得ている。もちろん、完全ではないし、おそらくそれ以上の敵がいたりするのだろうが……。
慧太は、ちら、とセラの横顔を見つめる。彼女の青い瞳――その奥にあるもの。
「怖い?」
「……怖くないといったら嘘になるわ」
彼女は取り繕わなかった。ふだん、皆を心配させまいと無理やり笑みを浮かべたり、虚勢を張ることもなく――
「あなたは?」
「オレか? オレは……」
慧太はふと考え、苦笑した。
「わからない」
怖いかと言われれば、敵に対する恐れ自体はさほどない。シェイプシフターである自分。魔法でこなければ簡単に死ぬことはない身。……むしろ怖いというのは――
隣を歩く白銀の乙女を見やる。
セラ。慧太が好意を寄せる少女。彼女が傷ついたり、命を落とすようなことが怖い。
「……怖くないっていうあなたが羨ましいわ」
彼女は、小さく笑った。
「その勇気を私にもわけて」
すっと伸びた手。慧太はその手を握る。指が絡み、同時に慧太は気恥ずかしくなる。
「いったい何千、何万の魔人がいるのかしら」
呟くようなセラの声。
「対して私たちには、ジパングーの兵士たちが加わってくれたとはいえ、まだ一〇〇人程度。その兵力差は歴然」
「……まあ、まともにぶつかったら負けるよな」
まともにぶつかる気など、さらさらないが。
慧太は唇の端を吊り上げる。そうとも、ある程度、分身体の数を揃えるまで、正面決戦などしてやらない。小賢しく、敵の嫌がることをとことんやるつもりだ。
「私は、白銀の鎧を魔鎧にまで覚醒させることができた」
スアールカ――翼を持つ白き魔鎧機。トラハダスの怪獣との戦いで、セラが手に入れた新たな力。
「白銀の勇者の力を、この戦いの前に得られたことは大きい。これで多少の数の差でも覆すことはできる――」
「セラ――」
慧太が言いかけると、白銀の姫は首を振った。
「あなたは無理をするな、って言うんでしょうけど、そうも言っていられないと思うの。リッケンシルトの魔人軍と戦う……おそらくどの戦場でも、私たちより敵が数で勝っている。そうであるなら、個々の力で相手を上回るしかない」
私が頑張らないと――セラの強い決意を秘めた瞳。彼女は勇者であり、姫であり、皆の先頭に立って戦うつもりなのだ。
人は彼女を英雄と讃え、女神と崇め、希望を抱く。
心がけは立派だし、皆を導いていく覚悟は尊敬する。優しく、周りに気を配り、だが危険にも率先して挑む――彼女のような人間が上の立場にいるなら、その下で働くことも喜んでやろう。
「君は怒るかもしれないけど」
慧太は西の空を見据える。
「オレは、君に無茶をさせるつもりはないし、せっかくの魔鎧機も極力温存しておきたいって思ってる」
「……」
セラは無言。彼女は、慧太を見つめる。口には出さないが、怒りにも似た感情を込めて。自身の思いを伝えたのに、それに反するようなことを言われたから。
「もちろん、必要な時は出し惜しみはしない。その時には君にも積極的に動いてもらう。……だけど最初からはなしだ」
魔鎧機スアールカ。いや、セラの使う聖天の一撃は使いどころによっては数十のも魔人や魔獣を塵に変えることができる。これらは圧倒的な武器であるし、その力があれば、数倍の戦力差もひっくり返すことが可能になる。
だが、それらはセラの体力を消耗させる。
「オレたちはリッケンシルト国から魔人を叩き出す。だけどそれはあくまで通過点だ。聖アルゲナム国の奪還――それがセラの最終的な目的で、本番なわけだ。こんな初っ端から君を疲れさせるわけにはいかない」
「ケイタ……」
「オレもユウラも、少ないなりにどうにかなるように戦場を選ぶし、戦い方も考える。しばらくは真正面からやりあうことはない。君や魔鎧機を前面に立てる作戦は、当面使わずに勝てるような戦いをするつもりだ……って、そこで拗ねるなよ」
「だって……」
セラの顔を見やれば、銀髪のお姫様はそっぽを向いた。
「君のことが心配だからだ」
慧太は自身の髪をかいた。
「……とはいっても、戦場ってのは生き物だから、オレがどれだけ君を前に出さないようにしたって、そうも言ってられない事もあるだろう。つまるところ、遅かれ早かれ、セラの力に頼ることになる。……だからその時までは、力を蓄えていて欲しいんだ」
たぶん、その時には――慧太は立ち止まり、セラに真剣な眼差しを向ける。
「オレたち全体がピンチの時だろうから」
「……ずるいよ、ケイタは」
セラは顔をうつむかせる。
「そんなふうに言われたら……文句も言えないじゃない」
すっと、セラは慧太に抱きついた。とっさのことに驚く慧太に、彼女は囁く。
「……心配しているのは、私も同じだからね」
だから、無理はしないで――セラは慧太の胸もとに頬を寄せる。
「私のために誰かが死ぬのはもう、嫌だから――」
「……ああ」
慧太は、そっと彼女の美しい銀色の髪を撫でた。優しく、繊細な硝子細工を扱うように。
次話、『アルトヴュー西部国境線』
国境沿いの砦に到着した慧太たち、ウェントゥス傭兵団。彼らの前にはハイド川と、魔人軍の国境警備部隊が待ち受ける――




