第三〇一話、出発に向けて
冬のうちにリッケンシルト国を攻略したい。それは慧太とユウラの共通した認識だった。
食糧確保の難しい冬のあいだに、拠点にこもっている魔人軍を攻撃する。
数の上では彼我の戦力差は圧倒的にかけ離れされている。正面から喧嘩を仕掛けても、押し負けるのがオチだ。
シェイプシフターの文字通り浸透する戦術は、正面からの野戦よりも拠点攻略に対して威力を発揮する――というのが慧太とユウラの考えである。これが思ったより上手くいかない場合は、一から戦略を考え直さなくてはならない。
だが、潜入行動には絶大な自信がある慧太は、その点についてさほど心配はしていなかった。
拠点の敵を各個撃破。倒した敵兵を糧に分身体を増やし、春までに正面決戦の可能な一大軍勢を形成する。――それがアルゲナム奪回に向けての、慧太たちの長期的な戦争計画である。
リッケンシルトの軍勢や魔人抵抗組織、アルトヴュー軍の援軍――リッケンシルト解放ののち、援軍を約束した――がこちらに加わるとしても、食糧事情の好転する春以降であることが望ましい。
セラが、一刻も早いアルゲナム解放を願っていることもある。その願いを叶えるためにも、冬のうちにリッケンシルト国から魔人軍をある程度、駆逐しておく必要があった。
アルトヴュー王国王都ドロウシェンの復興は、あまり進んでいなかった。
やはり季節が冬であったこと。被害範囲が広く、慢性的に食糧が不足しており、寒さと相まって死者が続出した。
この状況で王都を離れるのは忍びない。アルトヴュー王国側は、こちらに何の不足も与えないように充分な糧食を回してくれていた。逆にここを離れればその分だけ王都住民へ回るのではないと、慧太はセラと話し合い、早々にドロウシェンを離れる準備にかかった。
セラ姫とウェントゥス傭兵団が王都を離れる。その報は、アルトヴュー王から一般の民まで多くの者から残念がられた。
セラやウェントゥス兵の献身――兵たちの災害支援を目の当たりにしている住民らはもちろん、慧太に鎧機開発の助言を求めている技術者連中は、何とか残ってくれるよう説得に来るくらいだった。
「頼むよ、ケイタ氏! 君の助言のおかげで、今度の鎧機はこれまでのものより数倍、いや数十倍の働きが見込める! こんな中途半端な状態で投げ出さないでくれ!」
フェール技師長からすがりつかれ、慧太はなだめるのに苦労した。
「技師長。オレは機械屋じゃない。使い方や考え方について助言はしたが、実際使い物になるかどうかは、あなたたち次第だ」
「ケイタ氏! いま鎧機を一番上手く使えるのは君なんだよ! その君が試してくれなければ、鎧機のさらなる発展は見込めない」
「技師長、それは違う」
慧太は腕を組んで、睨んだ。
「あなたが作ろうとしているのは、オレ専用のスペシャル機ではなく、兵たちが使う量産型だ。つまり彼らが使えなければ意味がない。性能を求めるのも結構だが、まずそれを活かす方向へ落とし込むのが大事なんじゃないか?」
いまは魔人軍の侵略の危機にさらされているアルトヴュー王国である。新型鎧機のいち早い量産と投入が、防衛の鍵になるかもしれない。ワンオフを求めるのは平和の時でいいのだ。
「……君の言うとおりだ、ケイタ氏」
フェール技師長は、しかし深く肩を落としていた。
「だが君という才能が、戦場に行ってしまうのは実に……もったいない」
才能というが、漫画や小説でみた架空のロボット兵器ものの影響だから、慧太に言わせると、本当に正しいのかは疑問符がつく。だが少なくとも、ロボット兵器が動くさまを想像することに関しては、この世界の者たちより数段先を行っているとは思う。
「ひと段落したら会いにいくよ、技師長」
「ふ、さも戻ってくるみたいに言いおって。わかっておるのか? 君が行こうとしている戦場の、生還の可能性がどれほどあるか――」
「おいおい、さも自殺行為みたいな言い方はやめてくれ」
慧太は苦笑した。
「オレは死ぬつもりはないし、リッケンシルトを解放して、アルゲナムを、セラの故郷を取り戻す。……そんなに心配なら――」
悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「あなたが新しい鎧機を作って、それでオレたちを助けに来てくれよ」
慧太は手を差し出す。フェール技師長は、しばしその手を見つめ、自らの手を出して握手をかわした。
「君には色々やってもらいたいことがあるからな。……死ぬんじゃないぞ」
「お互いにな。……それとドクトル」
次からは手の油落としてから握手してくれ――ヌメヌメしてかなわない。
・ ・ ・
セラ、慧太、ユウラが出席してのフォルトナー王との会談が行われた。
フォルトナー王は、セラとウェントゥス傭兵団に留まって欲しいと告げたが、セラの意思は固い。だが王も半ば予想していたようで、しつこく食い下がることはしなかった。
「我が国の防衛体制は大幅に見直さなくてはならない。後方から投じられる戦力も王都軍の損害が回復していない現状、国境の守りにも不安が強い。」
王は重々しく言った。
「あなた方が、リッケンシルト国でどれほど魔人軍を引っ掻きまわせるか……それが鍵になる。国家の一大事を二度もあなた方に頼むのは忍びないが」
頼む――再び、フォルトナー王は頭を下げた。
「リッケンシルト国の解放……それを成し遂げたら援軍を、との約束――それについては以前交わしたとおり。国境の守りをすべて手放しても、セラフィナ姫殿下とウェントゥス傭兵団に援軍を約束する」
それと――
「我が国から、そちらに魔鎧騎士を二名派遣する。わずか二機とはいえ、一個中隊以上の戦力になるはずだ」
「魔鎧機の援軍……」
セラは驚いた。
「よろしいのですか? いまはアルトヴューも魔鎧機は必要でしょうに」
「貴重ではあるが、これは先の約束とは別に、あなた方へ返すべき恩義のひとつとして受け取ってもらいたい。……いま私ができる最大限の支援だ」
セラは、ちらと慧太とユウラへと視線を寄越す。王の好意を受け取っていいものかどうか――慧太もユウラを見れば、青髪の魔術師は首肯した。
魔鎧機の性能はあてにできる。二機で一個中隊程度の戦力と言ったが、それにかかる食料増加は、兵を一個中隊分増員するのに比べても安いものである。兵站が軽いウェントゥス側にとっても負担は最小限で済む。
「感謝いたします、陛下」
セラは頭を下げた。
・ ・ ・
その日の夜、慧太のもとに、ひとりの分身体がやってきた。
四十代ほどの男。無造作な灰色髪に隻眼と、粗野な盗賊じみたその姿。ライガネン王国にあるドロウス商会に送ったそれは、名をカルヴァンと名乗った。
「のんびり余裕を持たせましたが、ずっと飛び続ければ半日で目的地に到着しました」
カルヴァンは慧太に告げた。
「往復と荷の受け渡しの時間を考えても、スムーズにいって一日半もあれば往復できるかと」
「一度も下りずに、か?」
「はい。明るいうちは地上を行こうかと思ったのですが、最短ルートを飛行した時間がわかったほうがいいかと思いまして」
なるほど――慧太は頷いた。
「地上を進んで一週間と少しかかったが……空だとそんなに早いのか」
「まあ、ほぼ一直線に飛びましたから。地上だと、そもそも目的地まで真っ直ぐ進めるわけではありませんし」
山や谷があり、当然、そこを迂回するように道はできている。真っ直ぐ飛べればそれはショートカットできるわけで、道中にかかる日数も省ける。
「ご苦労だった。ずっと飛びっぱなしはどうだ? さすがに疲れたか?」
「飛べと言われればまだ飛べますが、気分的には少し休みたいですな」
口もとをゆがめ、しかし笑っているカルヴァン。
「今回はわりと楽しく飛べたのですが、自分はこれから何度も同じ空を往復することになるんでしょう? ずっと飛びっぱなしと言うのも退屈なものです」
「気分転換は大事だな」
慧太は頷いた。あ、そうだ、とカルヴァンは言った。
「ドロウス商会から手紙を預かっております。あと……ひとつ土産があるのですが」
次話、『リッケンシルトへ』
慧太たちは旅立つ。西へ――




