第二九六話、暗躍する者たち
王都内の東広場、ウェントゥス傭兵団野営地。
そのうちの天幕のひとつで、ユウラは簡易の折り畳み式の椅子に腰掛けていた。同様の簡易木製テーブルの上には羊皮紙と、ノートと思われる薄い紙束。
「……持ち出せたのは、これか」
ユウラは紙に視線を落としながら言った。テーブルの反対側には、赤毛のシスター――アスモディアが直立不動の姿勢。
「申し訳ありません、閣下。召喚による崩落がなければ、サンプルをいくつか回収できたのですが……」
「仕方ない。天井が崩れてしまったのだから。……君でなければ、この資料ですら持ち出せなかっただろう」
「恐れ入ります」
アスモディアは頭をたれた。まったくもって主従の関係である。
邪神教団が研究していた魔術や、半魔人――彼らは『悪魔』と呼んでいたらしい――その他魔獣の記録。おぞましい人体実験や生物実験の数々……。
トラハダスの地下神殿に乗り込む最中、アスモディアに命じて回収させた資料。ユウラはそれらから顔をあげ、さりげなく周囲に視線を走らせた。
天幕まわりにいる人間を、魔力を通してみる。ユウラの目を通して魔力を見ると、それは青い塊となって見える。全身魔力の構成体であるアスモディアが、この中では一番青く濃い。……天幕の周囲で不審に止まっている者などはなし、か。
厚革で覆われている天幕だ。その薄さはその気になれば、立ち聞きもできる。念のため、天幕内側、数テグルの大気を調整して音が通り難くしてある。数々の魔法に精通しているユウラならではの魔術だ。完全防音も可能だが、それをすると外の音も聞こえなくなるのでしない。
安全を確認し、ユウラは再び資料の目を通し始める。アスモディアは口を開いた。
「閣下、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……」
ユウラは返事しなかった。アスモディアは表情を引き締めた。
「あの、閣下……」
「アスモディア。……僕はただの魔術師だよ」
有無を言わさない響きだった。
「いくら誰も聞いていないとはいえ、自重してくれないか?」
「申し訳ありません、かっ……マスター」
ユウラは顔を上げることなく頷き返した。
「それで、何だ?」
「……これらの資料を如何なされるおつもりでしょうか?」
「単なる好奇心」
ユウラは上の空のような返事をした。
「不満かね?」
「いえ……はい。失礼ながら、トラハダスの研究は大変おぞましく、また運用に値するものとは思えません」
「……続けて」
「人と獣の合成や、リスクの高い特殊な魔術……ざっと確認したところ、これらの研究資料が、マスターの叡智に及ぶものとは到底思えないのです」
「それを決めるのは、君か?」
青髪の魔術師は、突き放すような声だった。
「いいかい、アスモディア。僕とてこの世の全てを知っているわけではない。たとえ、僕の専門外の知識や研究だったとしても、魔術が関わっている以上、無価値かどうかは実際に見てみないことには判断がつかない」
それに――ユウラはそこで顔をあげると、口もとに笑みをたたえた。
「どんな些細で稚拙な研究結果だったとしても、確かめもせず捨てるのも惜しいじゃないか。これらの結果や分析の積み上げの先に、新しいモノが見つかるかもしれない」
クズ石かもしれないし宝石かもしれない。はっきりしているのは、その原石か否かは、磨いてみなければわからないということだ。
「研究者の性だな。……笑ってくれてもいいよ」
「……出すぎたことを申しました」
アスモディアは恭しく頭を下げるのだった。ユウラはニコリと笑ったが、すぐに顔をしかめた。
「とはいえ、トラハダスの研究はかなり危険な領域に達しようとしているものもあるようだ……」
「と、言いますと……?」
ふむ――ユウラは資料をテーブルの上に置くと、難しい表情を浮かべた。
「このまま見過ごすと、今回の召喚以上に厄介な問題を引き起こしかねないということだ。いまは対レリエンディール戦に集中したいから、トラハダスを相手にしている余裕はないのだが――」
まあ、と青髪の魔術師は組んだ手の上に顎を乗せた。
「慧太くんに、それとなく伝えて、残党狩りを頑張ってもらおう」
「……よろしいのですか?」
アスモディアが言えば、うん、とユウラは相好を崩した。
「彼ほど使える男はいないからね。……まあ、邪神教団の悪行のひとつでも報せれば、彼のほうで勝手にやってくれるだろうし」
そういう男なのだ。羽土慧太という異世界から来た少年は。
・ ・ ・
東広場、アルトヴュー軍警備隊本部。
トラハダスの地下神殿の偵察を終えた慧太は、ヴェルリング将軍とその幕僚らがいる前で、偵察結果を報告した。
地下神殿にすでに敵はいなく、また回収した大幹部の遺体を彼らに引き渡すことでその証拠とした。
「ご苦労だった、ハヅチ団長」
ヴェルリング将軍は労ってくれたが、その表情は疲れがにじんでいた。
無理もない、すでに時間にして深夜帯。日が変わり、昨日となった大怪獣騒動から、おそらく一睡もしていないだろうから。……ちなみにこの場にフォルトナー陛下がいないのは、自分の天幕で床に就いているからだ。
天幕内の幕僚たちも皆、疲労が顔に出ている。この中で一番、何でもないといった顔をしているのは慧太のみだった。……シェイプシフター万歳。
「朝、陛下にもその旨、報告しておく。君も休んでくれたまえ」
行ってよろしい――将軍閣下の言葉に、慧太は頷くと、天幕を後にした。
現状ほかに何かやる予定はない。野営地に戻った時に、一度セラのもとを訪れているが、まだ眠ったまま。
サターナからアスモディアが戻ったという話を聞いたから、一度顔を覗いておくか。……まったく心配させやがって。
広場の野営地を歩く。深夜に入っているためか、幾分か行きかう人の数も減っていた。皆、横になりたいのだろう。身体が休息を求めて。
あ、そういえば――
慧太はひとつ思いつく。きょろきょろと天幕に囲まれている周囲を確認。人がいないことを確認すると、自身の影から一体、分身体を作り出した。見た目は……と少し考え、その分身体に伝える。
慧太の指示にあわせ、顔や身体が変わっていく。
そこにいたのは、隻眼に無造作な灰色髪を持った、一見、盗賊のような容姿の四十代ほどの男。
「ちょっとお使いを頼まれてくれ」
慧太は、その盗賊の頭目のような分身体に告げた。
「ライガネンのドロウス商会へ。この王都で起きたことを、カシオンに伝えてくれ」
「それだけでよろしいので?」
分身体は外見に合わせたのか、いかにも粗野な男のように振る舞った。
「地下神殿から回収した戦利品をいくつか土産に持っていくといいだろう。アルフォンソの身体の一部を使っていい」
「承知しました」
男は頷いた。慧太は皮肉っぽく口もとをゆがめた。
「姿を見られないように気をつけつつ、空を飛んで行ってくれ。コースは任せるが、実際にライガネンのドロウス商会までどれくらい時間がかかるのか確かめたい。幸い、いまは夜だ」
真っ暗闇が支配する空。月明かりはなく、普通なら空を飛ぶのをためらうだろう天候。……夜目を自由に制御できるシェイプシフターでなければ。
「飛び立っても見つかりにくいだろう」
「では、さっそく――」
分身体は一度影のように形を変えると、闇に紛れて野営地を移動する。おそらく広場を出てから、変身するだろう。……あ、その前にアルフォンソのもとへ行くか。分身体を構成する身体の一部を譲ると言ったんだっけ。
さて、今度こそ、アスモディアのもとに顔を出すか。
慧太はウェントゥス傭兵団に宛がわれた天幕へと歩を進めるのだった。
次話、『再編会議』
怪獣により大きな被害をこうむったアルトヴュー王国。国王出席のもと、復興と再度の軍備整備の会議が行われる。だが会議は、意外な方向へと向かう――




