第二八一話、地下神殿、潜入
地下通路は薄暗い。石が敷き詰められた埃っぽい通路。魔石灯が照明として等間隔で配置されているのは、かつての魔術師たちが用いていた秘密のアジトへの道だったからだ。
王都ドロウシェン地下。トラハダスの地下神殿へと向かう通路を進むキャハル。黒いローブをまとう金髪碧眼の美少年、その行く手を阻むは、トラハダスの武装信者。
「――止まれ。……あ、これはキャハル特司祭様」
「おや、ボクを知っているのかい?」
キャハルは、意地の悪い笑みを浮かべる。武装信者は背筋を伸ばした。
「トラハダス広しと言えど、最年少特司祭様を知らぬ者などおりましょうか」
その視線は特司祭のローブ特有の金の角二本のシンボルへと注がれる。
「まあ、そうだな」
金の角は司祭の証。その角が二本あるのは、さらに特別な権限を与えられた特司祭に与えられるシンボルである。
「大幹部の方々は、儀式をはじめておられるのかな?」
「は、信者の配置が済み次第、開始されるそうなので、もう間もなくかと。……キャハル様もお急ぎください」
「わかった。見張り、ご苦労」
キャハルは先を急ぐ。武装信者から充分距離が離れたところで、歩を進めたまま口を開く。
「つくづく便利なものだな、シェイプシフターというのは」
自身の影――薄暗い通路ゆえ、キャハルの影がふだんより大きくなっていることに気づく者はいなかった。そこに慧太ら、シェイプシフターが潜んでいる。
『便利さで言ったら、お前も相当だと思うぞ、キャハル特司祭殿』
姿は見えないが、慧太の声。
『連中はオレたちを素通りさせてるからな。……お前が組織を裏切ったことを知らないんだ』
「このまま大幹部らのもとへ行く」
キャハルは呟くように言った。
「特司祭の身分だから、儀式にも当然、特等席で見ることができるわけだ」
通路を抜けると、そこはすでに遺跡の内部だった。いや、遺跡というより。
『地下都市か』
半ば崩れかけの城、いや都市のような空間が広がっている。いくつか明かりが見えるのは居住可能な建物。それ以外のところは朽ちたまま放置されているようだった。
「都市と言うほど、大したものではないよ」
キャハルは長い階段を下る。
「それよりケイタ。君は、トラハダスが行う召喚儀式をどう潰すつもりなんだ?」
『さて、どうしたものか……お前ならどうする?』
「なんだ、大層な口を叩いた割には人頼みか?」
『あいにくと、専門家ではないのでね』
慧太は影から笑った。
『生贄を使った召喚魔法だろう。他には魔法陣と呪文詠唱が必要だ。五百人も生贄に使おうっていうんなら、相当でかい魔法陣のはずだ……』
「続けて」
キャハルは階段を降りきり、土がむき出しの地面に靴跡を刻む。見張りに立つ武装信者が姿勢を正して、少年特司祭を見送る。
『生贄となっている人を動かすか、魔法陣の一部でも消すとか破壊すれば、それで召喚は失敗するんじゃないかな?』
「一人二人……まして数十人程度動かした程度では、召喚は止められない」
何せ五百人もいるのだから。多少、召喚できるものの規模が小さくなるが、それでも止めるには足りない。全員を動かす? どうやって?
「魔法陣を削るというのは悪手だ。制御を失った魔法陣は、大抵暴走する。……召喚は防げても、代わりに王都が吹き飛ぶぞ」
『ユウラ……うちの魔術師もそんなこと言っていたような気がするな』
そうなると――慧太は言った。
『呪文――術者を止めるのが一番か』
「それが無難だろうな」
キャハルは笑みを浮かべた。
「ではボクは、術者がいる場所へ向かえばいいのだな?」
『そうなるな。少し急いでくれないか?』
慧太は言った。
『どこまで行くか知らんが、儀式が始まってるかもしれないぞ?』
「慌てるな。不審な行為と見られたら逆に足止めされるぞ」
キャハルは心なしか足を早めたが、それは特に急いでいる風には見えなかった。地下遺跡の要衝には、武装信者がそれぞれ目を見張らせている。
その時だった。地下に鈴の音が聞こえてきたのは。見張りに立っている武装信者らは顔をあげ、さらに武器に手を当てる。
……どうにも嫌な雰囲気。
『儀式が始まったか?』
「いや」
キャハルは眉をひそめた。
「侵入者警報だ。どうやらこの地下神殿に入り込もうとした者がいるらしい。
・ ・ ・
セラたちは慧太が寄越した地図に従い、トラハダスの地下神殿がある地下への通路へと踏み込んだ。
ガーズィ隊長率いるウェントゥス兵は手際よく、入り口を開けると愛用するクロスボウを構え、中へと踏み込んだ。
すでにセラは白銀の鎧を展開し、キアハやリアナもそれに続く。
『今のところ、問題ありません』
ガーズィは例の鬼の面にも見える兜をかぶっている。この暗い暗い地下通路で、果たして見えているのか、セラは不思議に思った。通路にはほのかな明かりがいくつか見えたが、薄暗い。肉眼でもそうなのだから、視界が狭まるだろう兜をかぶっていてはさらによく見えないのでは、と思うのだ。
そのガーズィが通路の奥にクロスボウを構えている兵に合図すると、彼らは壁に沿って前進。味方を援護できるようにだろう、素早くしかし油断なく動いている。……この手の動きをセラが見るのは初めてだが、よく訓練されていて迷いがないのはわかった。
頼もしい。
セラは思う。熟練の兵は、一般徴用された兵たちとは比べられないほど戦場での働きが期待できる。数こそ十人程度しかいないが、その数倍の働きが期待できるのではないか。
――ジパングーの兵というのは精強なのね……。
味方でよかったという思い。セラも後に続きながら、白い軽甲冑をまとう兵たちの背中を頼もしげに見やる。
一方で、後尾についているユウラは、別のことを考えていた。
「アスモディア」
小声で言えば、すぐ背後に控えていたシスター服をまとう赤毛の魔人女は隣へと来た。
「マスター」
「ひとつ頼まれてくれないか」
そう口にした時、前方で狐娘の耳がぴくりと動いたように感じた。暗がりだが、ユウラの目を通して見える魔力が、彼女の動きを見逃さなかった。
――思念通話に切り替える。聞こえたら、一回首を縦に振れ。
大気に存在する魔力を介したテレパシー的な魔法。高等ゆえに、扱いこなす者は極わずかな通話魔術である。ユウラが見れば、アスモディアはコクリと頷いた。その目はより真剣さを増す。
――君に特別な命令を与える。この先のトラハダスの神殿だが、後で我々と別行動をとり、連中の魔獣や半魔人、その他魔術研究の資料を回収してくれ。……秘密裏に。
ユウラは前進するセラや仲間たちの後に続く。はたから見れば、黙々と歩いている風にしか見えない。
――くれぐれも、他の誰にも悟られるな。了解したか?
再度、彼女へ視線を向ければ、赤毛のシスターは『はい、マスター』と言わんばかりに一礼してみせた。
『前方より足音!』
前衛のウェントゥス兵の低い声。
『敵兵!』
『撃て』
ガーズィの指示が飛び、通路の向こうからやってきた敵――トラハダスの武装信者をクロスボウで射殺する。
実に手際がいい。ユウラはシェイプシフターの分身体の働きに感心する。彼らが十二分に働いてくれれば、アスモディアもより自由に動けるだろう。
今は誰もが、邪神召喚なる儀式阻止に注意がいっている。そんな中、トラハダスが行った表立って公開出来ない研究資料を無視するのは、実にもったいない。
青髪の魔術師は、ひとり心の中で呟くのだった。
次回、『召喚儀式』
恐るべき召喚儀式、慧太たちは止めることができるか――
※一次通過したみたいです。皆様の応援のおかげです。ありがとうございます。




