第二八〇話、地下神殿へ
礼拝堂を出て、屋敷の外へ。
空は晴れ間が覗いているが、少し雲が増えてきたような印象だ。暗い灰色の雲……。その下で大召喚の儀式が行われていると聞くと、なんとも不吉な前兆にしか思えない。
「オレたちは、このままトラハダスの地下神殿へ向かう」
慧太が言えば、続いていたキャハルは驚いた。
「ボクたちだけでやるつもりなのか!?」
サターナ、慧は何も言わなかった。
「トラハダスは儀式を邪魔されないために、警戒を強化している。わずか四人で、どうにかなるものでもないぞ」
「もちろん、援軍は呼ぶさ」
慧太の影から、人影が浮かび上がる。その姿はたちまち、白い角付き兜と軽甲冑をまとった分身体兵になった。
「ガーズィ、ないしユウラに状況を報告しろ。トラハダスの儀式の件と、王都住民の避難要請。あと、援軍の手配だ」
『承知しました!』
ウェントゥス兵は敬礼すると、そのまま王城方向へと駆けて行った。その背中を見送りつつ、キャハルは首を横に振った。
「伝令か。なんとも便利なものだな、シェイプシフターというのは」
「どうも。……それより、先を急ぐぞ」
次の瞬間にも、大召喚が始まる可能性もあるのだ。のんびりしている暇はない。慧太は足を速めた。
・ ・ ・
伝令から報告を受けた時、ガーズィは、パーティー衣装を貸し出す衣装屋のまわりで警備任務に就いていた。
部下たちをそのままに、ガーズィは次にユウラのもとへと訪れ、慧太からの伝言を伝えた。
「五百人の生贄とは……大きくでましたね、トラハダスは」
ユウラは、セラのもとへと向かう。彼女は、ほか女性陣と共に今夜の祝賀会向け衣装あわせを行っている。レディーたちの部屋に紳士が飛び込むのはマナー違反ではあるが、そうも言っていられない。
「それで、慧太くんたちは?」
「キャハルの案内で、先に突入されるそうです」
「僕は、そのキャハルという少年を知らないのですが」
ユウラは眉をひそめる。
「信用できるのですかね。慧太くんから聞いた話だと、どうも一癖もありそうな人物らしいですが」
「団長が信じたわけですから」
ガーズィは表情を変えずに言った。
「何とかされるのでは……?」
「答えになってないですが、まあ、そう思うしかないですね。セラさんには僕から話します。君は、兵を集めて出発の用意を」
「承知しました」
ガーズィが兜を抱えて、離れていく。ユウラは足早に目的の場所へ。そこには清楚な服装の女性店員が立っており、入室の気配を察して立ちふさがった。
「申し訳ありません。殿方の入室は――」
「セラ姫に緊急事態の報告をしにきました。おそらく祝賀会どころではないでしょうから、君たちも上司に言って避難しなさい」
「え……は?」
困惑する女性店員に、ユウラは顔を近づけた。
「昨日の化け物騒動は知っていますね? あれより酷いのが来ます。急いで」
「は、はい……!」
女性店員が足早に奥へと駆ける。ユウラはそれを冷めた目で見送ると、扉の前で一呼吸。……一声彼女にかけてもらってから行ってもらうべきだったか。
扉をノックする。お着替え中の可能性もあるわけなので、いきなり開けるわけにもいかない。
『はい?』
中から、セラの声がした。ユウラはまだ開けず、扉ごしに言った。
「緊急の案件が発生しました。話がしたいのですが、中に入っても?」
『どうぞ』
許可を得てから入室。
多くの婦人用ドレスが並ぶ室内。アスモディアが愉しそうにドレスを選んでいる一方、大鏡の前には、何故か座り込んでいるリアナと、それを慰めるようなセラとキアハがいた。
ちなみに彼女たちはまだドレスを試着していかったので普段と同じ格好だった。
ユウラは珍しく眉をひそめた。
「……何かありました?」
リアナが珍しく拗ねているように見えたのだ。狐娘のふだんと違う表情に、ユウラは一瞬用件を忘れた。
「リアナがドレスを着たがらないんです」
セラが困った顔でそう言った。傍らのキアハも、なだめるようにリアナの肩に手を置く。ユウラはぽかんとしてしまった。
「ドレスを着ない?」
ぷい、っとリアナがそっぽを向いた。
殺し屋家業に身を染め、幼少の頃よりそれで生きてきたという彼女だ。人間用のパーティー向けドレスなど着たことなどなかったし、着るつもりもないのだろう。
――慧太くんがここにいれば……。
ユウラは苦笑する。きっとリアナも素直に着たに違いない。慧太の言葉なら、大抵の言うことはきくのだ。
――そんなことよりも!
青髪の魔術師は、用件を思い出し、セラに視線を向けた。
「慧太くんから連絡がありました。この王都地下にトラハダスのアジトがあり、いまそこで大召喚の儀式が行われようとしています」
「トラハダス!?」
セラは驚き、キアハもまた愕然とした。
「……ここに、トラハダスが」
無意識のうちに震えるキアハ。セラは駆け寄る。
「大儀式って……? それにケイタは?」
「別世界から神――彼らの言うトラハダスを召喚しようとしているのですよ。五百人ほどの人間を生贄にしてね」
ユウラの言葉に、セラは言葉を失う。
「慧太くんは、すでに敵のアジトに潜入しました。一刻を争う事態です」
「そんなに……」
セラは我に返った。
「場所はわかりますか? 彼だけではいくら何でも危ないわ」
「ええ、慧太くんも応援を寄越すように言ってきてます。ガーズィ隊長らに言って準備を進めています」
「では私たちも行かないと。……キアハ、リアナ。準備して」
「はい!」
「わかった」
二人はすぐに応じた。特にリアナは先ほどまで拗ねていたとは思えない、いつもの表情に戻っていた。
セラは部屋の入り口へと向かい――控えていたマルグルナに預けていた銀魔剣を受け取った。……彼女がいたことに気づかなかったユウラである。
「この件は、フォルトナー王にも報せる必要があると思います。もしもの際はこの王都の住民にも被害が出るでしょう」
「誰かに伝言を頼まないと……」
セラは、黒髪のメイドへと視線をやった。
「マルグルナ。警備隊のティシア殿が、近くにいたはず」
「はい。ガーズィ隊長とは別にセラ姫様の警護として付近に待機しております」
「彼女に伝言を。トラハダスの大規模な儀式……いえ、攻撃が近いと」
承知しました――マルグルナは深々と頭を下げた。
ユウラはセラに続く。キアハやリアナ、アスモディアもついてくる。
「それにしても――」
セラは憂いを込めた視線を向ける。
「別世界から神を召喚する……そんなことができるのですか?」
「生贄を適当数もちいれば、魔法理論的にはありえます」
ユウラは、よどみなく答えた。
「もっとも、それが神であるかについては、大いに疑問ですが」
「別の世界……そんなものが存在するなんて」
信じられないという顔をする銀髪のお姫様。ユウラは小首をかしげた。
「これは異なことを。あなたのそばにもいるではないですか。別世界から来た者が」
「え……?」
セラは、まじまじとユウラの顔を見た。青髪の魔術師は、どうして彼女がそんな顔をするかわからなかった。
「慧太くんが、まさにそれですからね」
「ケイタが? ……別の、世界の人間……?」
息を呑むセラ。そこでユウラははたとなった。……そういえば慧太本人は、ユウラに異世界人であることを明かしたが、他の者たちには明かしていなかったような。
「あ、ご存知なかったのですね。すみません、僕はてっきり――」
「いえ――」
セラは呆然とその青い瞳の焦点を彷徨わせたが、すぐにもとの輝きを取り戻す。
「いまは、それどころではありませんからね」
とは言ったもの――セラの胸中は複雑だった。
かつて、慧太と見上げた星空。そこで遠き故郷の話をした彼の横顔。
『一生費やしても無理な場所がある。普通の方法じゃ帰れない距離だ』
あれは、そういう意味だったのだ。慧太の故郷はこの世界にはなく、別の世界――異世界にあるのだと。
次回、『地下神殿、潜入』
潜入行為は、シェイプシフターの十八番――




