第二七九話、キャハル
刺客はボクが始末しておいた――キャハルの言葉が周囲に与えたのは、まさに衝撃だった。
彼はつまり仲間――同じトラハダスの者を殺害したことを意味する。それは拭いようのない裏切り行為だ。トラハダスの特司祭である彼が行ったそれに、教団を間近で見てきた慧は驚愕した。
「お前……。教団は――」
「もういいんだよ、ケイ。異世界召喚で『神』を召喚しようなどという行為に実際に踏み切った以上、もはやどうなろうと知ったことではない」
キャハルは少年の顔でそう言った。……慧太は苦虫を噛む。
「なあ、お前」
顔を合わせて感じた違和感。慧太は隠そうともしなかった。
「本当に、あのキャハルか?」
「……どういう意味かな?」
金髪碧眼の少年は、何を言い出すかと思えば、という顔になる。
「お前のその態度、口調――以前会った時とは違う。……そう、まるで『別人』のようだ」
「慧太、お前、何を言って――」
慧が口を開く。そばにいた分身体である彼女が気づかなかったことが、慧太に言わせれば驚きだ。……それとも近くに居過ぎたから気づかなかったのか。久しくあっていなかったからこそ、以前と今でまったく別のものに見えることもあるということだろうか。
「姿は変わっていない。ところどころ似ているが、だが違う」
「ボクは変わっていない。だが……そうだな――」
少しイタズラっ子めいた表情を浮かべる。
「……以前のボクは演技だった、と言ったら?」
「セラへのアプローチが演技だとしたら、お前、相当気持ち悪い奴だぞ」
「いや、こいつは、本当気持ち悪い奴だって――」
慧が言ったが慧太は無視した。キャハルは愉しそうに笑った。
「いやいや、ボクはキャハルだよ。ただ、ひと月前に君にあったキャハルとは、少し違う」
金髪碧眼の少年は言った。
「多重人格、と言って伝わるだろうか? ボクの中に複数の人格……異なる性格があって、君が以前会ったキャハルと、いまここでいるボクは別の人格であると言える」
「どっちがメインの人格だ?」
慧太は問う。キャハルは感心したような顔になる。
「理解が早くて助かるな。第一人格は、このボクだ。そして以前、君が会った人格は、トラハダス内での活動用に作られた第二人格に当たる」
「何故そんなことに……」
「トラハダスと言う狂った組織に属するには、それ相応の『ねじれ』がないとね」
キャハルは淡々とした調子で答えた。その言い分が本当なら、彼は何かの目的のために邪神教団にもぐりこんだように聞こえるが……。
「とはいえ、さすがにボクも、あの人格はないなと思う」
本人からの第二人格への駄目出しだった。思わず、そうだと言いかけ、しかし慧太はそれを呑み込んだ。
「お前は何が目的なんだ?」
「言ったはずだ。ボクは『観察者』だとね。いや……これ以上は君たちに教える必要はないだろう。そこまでボクはお人よしではないし、これでも職務熱心な性質だ。軽々しく口にしていいことでもない」
キャハルは真面目ぶり、慧太をじっと見やる。
「さて、話を戻さないか、シェイプシフター君。ここで時間を浪費している間に、トラハダスの幹部連中は、召喚儀式をはじめてしまうぞ? 阻止するのではなかったのか?」
「……お前、本当に子供か?」
十五手前あたりの外見に反した態度。中身は大人とか、そういうのじゃないだろうな……。
「わかった。いまはトラハダスの行動を阻止するのが先決だ。……それで、地下神殿といったか。それはこの王都にあるんだな?」
「魔術師たちがアジト兼実験施設として使った古い遺跡だという。トラハダスはここを改造してアルトヴュー王国内最大の拠点としている」
キャハルの言葉に、サターナは口を開いた。
「王都の真下に拠点を置くなんて。大胆なことをするのね」
「灯台下暗し、だな」
慧太は頷きながら、自身の手から一枚の紙を作り出す。
「慧、広げて持ってろ」
「……地図か?」
紙に浮かび上がる四角い建物や道路――王都ドロウシェン全体の地図である。サターナは地図が見える位置に移動し、キャハルもまた正面からそれを眺めた。
「これは正確なのか? シェイプシフター君」
「慧太だ」
名乗ってから、慧太はキャハルの隣に立った。
「昨日、うちの隊で行方不明者が出てな。分身体を使って捜索するついでに地図を作らせた」
作らせた、というか、ガーズィがロングポルトの捜索用にまとめておいたのを見ただけだが、ここで役に立つことになるとは。
「あいにくと地下の地図はないが、王都のどのあたりに敵のアジトがあるかはわかるだろう?」
「ああ、この中央通りのはずれ――」
キャハルが指差す。さらに町中のいくつかを指し示す。
「いくつか入り口はあるが、神殿は王都東側の地下にある」
「昨日のツヴィクルークが――」
サターナが、キャハルの示した神殿位置を中心とした円を描くように地図をなぞる。
「出現したのがこの四箇所。離れているけど、神殿からはほぼ等距離。……ひょっとしてこの地下も彼らのテリトリー?」
「いや、そこまでは広くない。ツヴィクルークは地下を掘り進めて地上へと送り込んだ」
キャハルは、サターナが描いた円のさらに内側を指差した。
「このあたりだろう。この近くに広い地下水道があって、神獣課の研究施設があったはずだ」
「……まさか、まだツヴィクルークがいるんじゃないだろうな?」
「ツヴィクルークだけじゃない」
キャハルは口もとを笑みの形にゆがめた。
「他にも、彼らがいう悪魔やその他魔獣がいるはずだ。生半可な戦力で攻撃しても返り討ちに合うのがオチだな」
サターナも、慧も押し黙る。キャハルは続けた。
「攻略しようというなら戦力を整える必要があるだろう。だが、おそらく召喚儀式は始まっているだろうから……ボクが言うのもいまさらだが、正直間に合わないだろうな」
「……阻止させたいんじゃなかったのか?」
慧太が睨めば、キャハルは肩をすくめた。
「どうでもよくなった、とは言った。阻止したいのは君たちであってボクではない」
そういえば『やってみるがいい』とかほざいていたっけ、この小僧は――慧太は荒々しくため息をついた。
「じゃあ、お前は何がしたいんだ?」
「王都を離れることをオススメする。……できれば、セラフィナを安全な場所へ避難させて欲しい。ボクは彼女を愛しているからね」
言ってろ――慧太と慧は、ほぼ同時に舌打ちした。だが文句を言っても始まらない。
「やるだけはやらないとな。……キャハル、お前も付き合え」
「断る、と言ったら?」
「そんなことを言える立場か? お前は慧に対して、自分を殺せないように手を打ったつもりだろうが、あいにくとお前を殺す手段はいくらでもあるんだ。トラハダスと手を切ったというなら、手を貸せ」
「嫌だね。何故、ボクが自ら死ぬ危険性の高い行動に手を貸せなくてはいけないのか?」
「セラを愛しているんだろう?」
自分でも言ってて、舌の先がざらついた。虫唾が走るとはまさにこれだ。
「お前の話をセラにしたら、彼女はおそらく逃げるより阻止する方向へ動くだろう。結果、お前が守ろうとしている彼女は、自ら死地へ飛び込むわけだ。……どうだ、口先だけではないなら、お前にも無理をする理由ができただろう?」
「……なるほど、セラフィナ……セラは――そうだな。そうとなれば、止むを得ない」
キャハルは自虐に満ちた笑みを浮かべた。
「道案内くらいはしてやろう。だがその先は、君たちで考えてくれ。助言はするが、それ以上はしない」
「充分だ」
慧太は無感動な表情で頷く。……セラへの愛だ? このふでふでしい金髪小僧を一発ぶん殴ってやりたくてたまらない。こいつが狼獣人使ってセラをさらわせたこと、忘れてないぞ。
「それで、具体的にはどう動く?」
キャハルは静かに問うた。
次回、『地下神殿へ』
トラハダスの地下神殿へ向かう慧太たち。一方、セラたちは――




