第二七八話、これは寝取られ、というやつではないか?
慧太の発した『寝取られ』という言葉に、慧が声を張り上げた。
「寝取られ言うなし!」
本当に恥ずかしいのか、顔がわずかに赤かった。このあたり表情を隠せないあたり、本当に動揺しているのだろう。
「ていうか、別に寝たわけじゃないから、寝取られ違うだろ?」
「当たり前だ、この野郎! オレの分身がガキとはいえ男と寝たなんて冗談じゃねえ!」
慧太が怒鳴れば、目を丸くしたサターナが、ぷふっ、と吹き出した。慧は口を尖らせる。
「いや、いまアタシ、性別上は『女』だけど」
胸もとにふくらみもあるし――というか、前に別れたときより、若干胸大きくなってないか?
「……感情移入し過ぎだろ、お前」
「変身している時は、それになりきるがモットーだろが」
慧はたしなめるように言った。
「女になっている以上、アタシは女だ」
「わかってるか、慧。あのガキは、セラが好きなんだぞ?」
思い出すのも腹立たしいが、慧太はそう言った。ガキのくせにセラ(慧太)におさわりしたり迫ってきた、頭のおかしい変態野郎である。……やはりあの時、喰い殺しておくべきだったか。
「あのガキの好みに合わせて、銀髪にしました、とか……恋する乙女か!」
「るっせーよ! アタシだって好きでやってんじゃねえよ」
「……あー、お二人さん」
サターナがわざとらしく咳払いした。
「慧、あなたの愉快なお話はまた後に聞くとして、いまはトラハダスの話を続けてくれないかしら? 彼ら、この王都で何か企んでいるんでしょ?」
愉快な話――慧太としてはちっとも愉快ではないが、サターナの言うことももっともだ。ツヴィクルークを四体も放ち、さらにあの双子の半魔人を活動させていたトラハダス。それで終わりとは思えない。
「……正直言って、アタシもよくは知らない」
慧は真面目な顔になった。
「ただ、信者を集めて何かでかいことをやらかそうとしているらしい。王都に数百単位で信者を入れたり……あと、聞いた話じゃ大幹部が六人ほど、この王都にいる」
「なるほど、それは怪しいな」
慧太は顎に手をあて考える。視線をサターナに向ければ、同じように考え込んでいた彼女は言った。
「王都はツヴィクルークの襲撃でまだ平常とはいえない状態。その隙をついて、トラハダスが軍勢を率いて反乱行為を行う……かしら?」
「数を集め、幹部もいるんじゃ、その可能性はあるな」
だが、同時に集まった大幹部らを掃討するチャンスでもある。慧太は視線を慧にスライドさせる。
「この王都にある施設は見たか?」
「アタシは、つい先ほどついたばかりだから。まだここの拠点がどうなっているか知らない。キャハルは中々喋ってくれないしよ」
「……じゃあ、奴を締め上げるか」
慧太は振り返る。サターナも視線を礼拝堂の入り口へとやった。
しんと静まり返った室内。やがて、靴音が聞こえてきた。誰か――やってきたのだ。
現れたのは、トラハダスの黒い祭服をまとった、十代前半の金髪の美形少年。……噂をすれば、なんとやら。キャハルだった。
瞬間的にサターナが、手にスピラルコルヌを具現化させるが、慧太はそれを手で制した。
「ちょうどいいところに来たな、変態小僧。お前に話がある」
「はて……あなたとは初対面のはずだが」
キャハルは慧太の顔をじっと見やる。……そういえば、彼と初顔あわせした時は、すでに慧の姿だった。
「ああ、君があれだ、ケイの本体というわけか、シェイプシフター」
慧と似ているから察したようだ。慧太のなかで、以前会った時のキャハルとイメージが若干違って感じた。声というか口調が、だいぶ大人びている。外見はほぼ変わっていないのだが。
「まあ、いいか。君たちに話を聞いてもらおう。ボクのここでの仕事も終わりだ」
「どういうことだ?」
敵対するでもなく、年不相応な疲れた表情を見せ、キャハルは歩み寄ってくる。
慧太は、強い違和感をおぼえる。……こいつ、以前会った時とまるで雰囲気が違う。
恋に狂い、執着し自分本位なガキ――それがどうだ。今目の前にいる彼は、理性的で、以前見せた感情の歪みを欠片も感じさせなかった。
キャハルは、慧のそばまで来ると、彼は長椅子に腰を下ろした。
「さて、何から聞きたい? 今ならボクに答えられることなら何でも答えるよ」
「何でも……?」
慧が眉をひそめた。
「いったいどうしたんだ? いつものお前らしくないじゃないか」
「まあ、どうでもよくなった、と言うべきか。もうトラハダスについている意味がなくなったのさ」
キャハルは自嘲した。何だか知らないが話してくれるというなら聞こうじゃないか。慧太は腕を組んだ。
「なら、トラハダスがこの王都で何をしようとしているか、話してもらおうか」
「ここで何をするか、か。……トラハダス幹部連中は、この世の地獄を具現化させようとしている。今日、ここで」
「……どういう意味だ?」
「彼らは、信者五百人の命を使って、トラハダス神をこの世界に召喚しようとしている」
「な……!?」
慧が驚き、サターナも眼を険しくさせた。
「神を召喚する、ですって……?」
「トラハダスって神は作り物じゃなかったのか」
慧太は、以前取り込んだトラハダスの魔術師クルアスの記憶を辿る。彼は、神というものを信じていなかった。そもそも、トラハダスなどという神は存在しないのだ。
キャハルは唇の端を吊り上げた。
「ああ、この言い方では語弊があるな。幹部連中はトラハダス神を召喚すると言っているが……まあ、要するに彼らの想像する巨大な何かを、別の世界から引っ張ってこようというわけだ」
人間の命を使ってね――少年の目はここではないどこかを見ているようだった。
「異世界召喚……」
慧太は静かに、しかし内心では強い憤りを感じていた。そうとは知らず、キャハルは感心の声をあげる。
「ああ、まさに。異世界召喚か。実に的を得ている」
サターナと慧の視線が、慧太に注がれる。
人間の魂を生贄に、異世界召喚された慧太。同時に召喚されたクラスメイト二十九人は、召喚直後に全滅した。ひとりを召喚するのに十二人程度の生贄が必要とされ、それより多く投じたらしい慧太たちの時は、一度に複数人を呼び出した。
今回、トラハダス連中がやろうとしている召喚には、五百人の信者の命を使うという。大召喚――果たしてどれほどのものが呼び出されるのか見当もつかなかった。
――本当に、神でも呼び出すつもりなのか……?
慧太は、ため息をついた。それだけは何としてでも阻止しなくてはいけない。何が呼び出されようが、信者だろうが数百人の命を消費してまでやることではない。
「キャハル。その召喚ってやつは、今日、ここで、と言ったな?」
「ああ、王都地下にある古い魔術師の神殿でな」
キャハルは碧眼を細めた。
「五百人もの信者を生贄にするんだ。魔法陣に配置するだけでも、それ相応の時間がかかるが、おそらく今日中に実行するだろう」
「そうはさせんさ」
断固、阻止する。
「……道順は教えよう。やってみるがいい」
「ひどく協力的じゃないか」
かつては敵対した仲だ。セラをさらい、ヌンフトでは罠にかけてきたクルアスと協力していた。嘘をついている様子はないが、果たして鵜呑みにしていいものかどうか。
「ボクの心変わりの理由かい? そうだな――」
キャハルの顔から表情が消えた。一気に十は老け込んだような横顔だ。
「ボクは観察者だ。その観察の範囲内において、これ以上見守る必要がなくなったことが理由のひとつ。もうひとつは」
少年は口もとをゆがめた。
「一方的とはいえ、恋焦がれた娘にトラハダスは殺害命令を出した……ボクは、それを許せないだけだ」
恋焦がれた娘――慧太の背筋に冷たいものが走った。
「まさか、セラを……?」
「ああ、連中は彼女とその仲間たち――つまり君たちに抹殺を部下に命じた。召喚儀式を妨害されるのを防ぐために。……だが安心して欲しい」
キャハルは天を仰いだ。
「その刺客らは、ボクが始末しておいたから」
次回、『キャハル』
その男、トラハダス史上最年少の特司祭。




