第二七七話、利用される者たち
「謝る?」
足を貫かれ、倒れるサターナは上半身を起こしながら不敵に笑う。
「じゃあ、あなたも謝りなさいな。ワタシの足を貫いたことを――!」
氷の枝――サターナが吐息のように言葉を漏らした時、氷の上を歩くロコの足が唐突に止まった。
「な……!?」
何が起きたかわからず足元を見下ろせば、何故か自身の足が凍り、地面にくっついていた。ロコは慌てて振り返る。
「姉さん!? これ、どういうこと!?」
「? 何を言っているの?」
弟が何故足を止めたのかわからず、金髪少女は困惑する。
「……ふふ、氷を使えるのはあなたのお姉さんだけではないのよ」
その隙をサターナは見逃さない。自身の太ももを貫く槍を抜くと、それをロコめがけて投げたのだ。
「ロコ!」
「っ……!」
姉の警告の声に、ロコは瞬間的に前に向き直る。だが足は凍った地面に張り付いているために動けず、バランスを崩してしまう。
しかし、それが幸いした。
少年の胴体を狙った一撃は逸れる。だが左肩を貫いた。
「ぎぃやぁぁあっ!」
凄まじい悲鳴が上がった。肩をえぐり、突き出た肩を押さえ、ロコはその場に倒れる。吹き出した血が凍った地面を赤黒く染めた。
「うあああぁっ! 痛いぃぃっ!? 痛いよぉっ」
多少の打撃や出血には平気だった銀髪少年が、うってかわって大泣きしはじめる。それだげ強烈な一撃だったのか、あるいは何か身体的な弱点でも突いたのか。
泣きじゃくる弟に、エンビは駆け寄る。
「くそ、女ァ……!」
サターナに対する憎悪をたぎらせ、大気中に無数の氷の塊を具現化させる。それはまたたく間に一〇を超えた。
「殺してやる! よくも弟を泣かせたなァ!」
すれ違う。一瞬、何が傍らを通り抜けたのか、エンビはわからずハッとなる。氷のトゲ柱――先ほど男を貫いたそこ。
「……悪いな。あれはうちの娘なんだ」
淡々としながら、どこか優しげな声。だから、気づかなかった。遅れてやってきた衝撃に視界が回る。
あれ? ――身体が一回転したのか、空が見えた。そして地面に落ちる。
何が起きたかわからないまま、エンビは意識を失った。
氷のトゲ柱に貫かれたはずの慧太は何事もなかったように立っている。右手に持った片手斧の刃は真っ赤に染まっていた。少女を切り裂いた時についた血だ。
魔法で具現化したとはいえ氷は氷。
エンビの魔法は、シェイプシフターの身体には何の打撃にもならない。慧太は、二つになった少女の遺体をもはや見ていなかった。
「姉さん……姉さん……」
ロコは泣きながら、もはや動くことはない姉を呼び続ける。サターナは銀髪少年の傍らに立った。
「大丈夫よ、ロコ」
一瞬聞こえた慈愛の声に、ロコは泣き止む。そこには見慣れた金髪の少女の顔があって。
「いつまでも一緒よ……」
「エンビ、ねえ、さん……」
グシャリ――と、少年の心臓がつぶれた。屈んだ金髪少女の髪が黒く染まり、その顔はサターナに戻る。
「姉弟そろって、逢えるといいわね。……あの世で」
「サターナ」
慧太は呼びかける。黒髪をなびかせた少女は、無感動に顔を上げた。
「面白くないわ。本当に面白くない」
彼女はそういうと立ち上がった。
「この子たちは歪んでいたわ。自分たちでそのように育った……わけないわね」
途端に憎悪に似た感情が顔に浮かぶ。
「この子たちはそう仕向けられたのよ。まわりの大人たちに。半魔人に改造した大人たちにね」
「……」
慧太は何も言わなかった。いや、何を言えと言うのか。
半魔人――ロコは悪魔と言ったが、サターナは子供を手にかけたことで多少の後ろめたさを感じているというのか。……ああ、たぶん、そうなのだ。だからしくないことを言っているのだ。人間の命などどうでもいいと言っていた彼女がそんなことを言うのは。
種族云々ではなく、子供が泣いているということに、一瞬でも同情してしまったのだろう。
だが、命のやり取りだった。互いに殺し合う場だったのだ。
勝てば生き残り、負ければ死ぬ、それだけである。そこに大人も子供も老人も、男も女もない。それがわからない彼女ではないだろう。
ふと、背後に気配を感じる。――この感覚は……。
「……いるのか、慧?」
シェイプシフター、分身体の気配だ。慧太の声に応じて、突然、地面からすっと人型が浮かび上がる。
銀色の髪をショートカットにした少女。つり目がちな強気な表情、その中性的な顔立ちは少年のようでもある。黒の戦闘服に同じく黒の外套。
「もう少し手間取るようなら、助けに入ってた」
慧――トラハダス討伐任務を与えていた分身体は言った。
「久しぶり」
「ああ。……その髪どうした?」
銀髪というのが意外すぎて慧太は問うた。途端に、慧はばつの悪い顔になった。
「うん、まあ……。とりあえず場所を変えようか。そこで話すからさ」
・ ・ ・
王都内にある、とある寂れた屋敷。
かつては貴族の持ち物だったらしいのだが、いまは人の気配がなく、さながら幽霊屋敷じみた雰囲気を漂わせていた。
入ってすぐにあったのが、教会を思わす礼拝堂。奥行きがあり、奉る神の像と祭壇を見上げるように無数の長椅子が二列に並んでいる。無人であり、室内にあっても冷ややかな空気が支配する。静寂の中、慧太とサターナ、そして慧は、適当に座り込んで話をした。
トラハダス退治の進捗。
十二人幹部と言われる大幹部たち。
神獣課と呼ばれる魔獣研究機関。
殲滅派と享楽派に分かれての内部対立、などなど――
「――大幹部は二人。潰した施設は小さな支部も含めて二十三。うち神獣課の研究施設は四つ。これが現状の成果だな」
「……なあ、慧よ」
慧太は、自身の分身体に呆れたような目を向けた。
「さっきから聞いてると、お前変だぞ?」
「……」
長椅子にだらしなく座り、慧は視線をそらすように天井を仰いだ。慧太は容赦ない。
「なんで、お前は穏健派……享楽派か。そればっかり潰してるんだ? そりゃエロ親父どもを退治するのは大事だが、日頃からテロに走ってる連中をもっと狩り出すべきだろ?」
「……仕方ねえだろ。情報ソースが、殲滅派なんだから。対立関係の情報ばかりが来ちまうのはさ」
「その殲滅派のソースを探るとかすればいいだろ?」
「……」
またも、慧は押し黙る。そこは、どうも聞かれたくない部分のようだった。いったい何があったんだ、こいつ――
「もういい、言いたくないなら、直接情報くれ。手を出せ」
シェイプシフター同士の接触。身体を触れさせることで互いの情報を交換、意思疎通を行うことができる。
慧は顔を背けたままだが、素直に手を出した。どうやら口で言うのが、本当に嫌なようだった。
だが情報交換を拒まない当たり、分身体の元である慧太に反逆する意志はない。
「……」
やりとりは、数秒ののち完了した。
接触した手を離し、慧はそっぽをむいたまま。慧太は、慧の見聞きした情報を整理する。だが思わず「うわ……」と吐息と共に小声を吐いた。
「……なんだこれ」
ぼそり、と呟く。
「あの金髪のガキ……」
「……」
「どうしたの?」
見守っていたサターナが、慧太の態度の変化に問う。慧太はそれに答えず、慧を半眼で睨んだ。
「何と言うか……これもひとつの『寝取られ』みたいなものか?」
次回、『これは寝取られ、というやつではないか?』
信じて送り出した分身体が、まさかあんなことになるなんて――




