第二六五話、トラハダスの内紛
あれ? ――儀式の間に足を踏み入れたソブリン神父は声をあげた。
女たちには、ここで待機するように命じていたはずだが、今宵の儀式のために用意した彼女たちの姿がどこにもなかった。
パッケルン司教も怪訝な顔になる。ソブリン神父は踵を返した。
「司教様、ちょっと探して参りますので、しばしお待ちくださいませ」
立ち去る神父を見やり、パッケルン司教は「うむ」と頷くと、奥にある玉座のような煌びやかな司教席へと足を向けた。
これから行おうとしていたことが、すぐにできないことで肩透かしを食らった気分である。ソブリンが戻ってくるまで、席に腰掛けて、そのふかふかな背もたれに身を沈める。
「お待ちしていましたわ、司教様」
艶やかな女の声が耳元で聞こえた。後ろ――突然かけられた声にパッケルン司教はビクリと背もたれから起き上がる。
「いまから天にも昇る極上の刺激で、貴方様をイかせてさしあげますわ」
妖艶なるその声。立ち上がり、振り返ろうとした司教はしかし――
「あの世へ、ね」
その胸を鋭い突起――細剣が貫いた。ようやく頭だけ振り返ったパッケルン司教は、ドクロの仮面の女の姿を薄れ行く意識の中で捉えたが、言葉を発することはなかった。
膝が折れ、司教だったものが床に倒れる。鮮血が血だまりを作り、儀式の間を汚していく。
仮面の女は、遺体のわきに立つとそれを注視した。黒い影がパッケルン司教の身体を包むように広がり――
そこへ駆けてくる足音に気づく。やってきたのはソブリン神父。
「司教様、大変です! 教会のいたるところに血が! でも、見張りも他にも誰もいなくて……?」
儀式の間に、ドクロの仮面の人影を認め、ソブリンは蒼白になる。
「だ、誰だ、お前はっ!? 司教様はどこだ!?」
「司教……?」
仮面の女は小首を傾げると、別段慌てるでもなく神父のもとへと近づく。
ソブリン神父は潜在的な恐怖を感じつつも、相手が丸腰の女であることで、何とか逃げ出さずに踏みとどまる。……逃げたほうがよかったかもしれないが。
「聞きたいかい、神父?」
悠然と進んでいた仮面の女は、ソブリンが瞬きした刹那の間に数センチ程度の距離まで詰めた。
「……!」
「アタシが喰ったんだよ」
お前もな――
「な、あがっ――!?」
神父の左胸を仮面の女の手が貫く。青年神父の心臓が潰れ、命が消えると、仮面の女は力を失い倒れこんでくるその身体を抱きとめた。
「お祈りは済ませたかい、神父」
仮面の女は優しい声音で告げた。
「儀式と称して殺した女と、同じところに逝けると思うなよ」
・ ・ ・
外套をまとい、フードを被った仮面の女は教会を出る。フードによって仮面は隠れるが、もしそのドクロを模した顔を見られたら、死神か何かと思われるだろう。
雪の積もった敷地内に足跡を刻みながら、教会を囲む壁、その出入り口を抜ける。外には馬車が一台止まっている。
仮面の女が、その横を通りかかると、客車の戸が開いた。仮面ごしに、中の様子を見た女は、客車の踏み段を踏み、乗り込んだ。
「ごくそうさま」
そう声をかけたのは、十代半ばの少年だった。金色の髪、幼さが十二分に残りながら、人によっては可愛らしいとも、美形とも言うだろう顔の持ち主。トラハダスの黒い祭服をまとう彼は、キャハルという。子供の容姿ながら特司祭の肩書きを持つ天才魔術師である。
「どうだった、ケイ?」
「どうもこうも――」
フードをとり、さらにドクロを模した仮面も脱ぐ。十代後半とおぼしき少女の顔が露になる。つり目がちで、どこか少年のようにも見える中性的な顔立ち。その髪はショートカットの銀髪。
慧。慧太からトラハダス討伐に派遣されたシェイプシフターの分身体である。
「いつもどおりさ。問題ない」
馬車が走り出す。魔石灯のほのかな明かりが車内を照らしている。
「わざわざお迎えとは、どういう風の吹き回しだ?」
「今日は寒かったからね。ボクの可愛いケイが凍えているんじゃないかと思って」
「お前って、だんだん気持ち悪くなるんだな」
慧が皮肉っぽく言えば、トラハダスの少年司祭は右手を伸ばしてきた。
「そうかな?」
短い銀色の髪に触れ、指先で弄ぶ。慧は溜息をついた。
「お前、その容姿でなかったら、セクハラでぶん殴られても文句言えないぞ」
「セクシャルハラスメント……だっけ? いいんだよ。君はボクの玩具なんだから」
「言葉責めのつもりか? あー、もうほんとにぶん殴りてぇー」
「殴ればいい。ただし、その時は君がどうなっても知らないけど」
「アタシの弱点を知っていい気になっているなら、見込み違いだぞ?」
慧はキャハルの手を払いのけ、睨みつける。
「利害が一致しているから見逃してやってるんであって、そうでなかったらとっくに殺してるんだぞ」
「……ああ、もちろん。わかっているよ、ケイ」
キャハルはイタズラっ子のような笑みを引っ込め、真顔になった。それだけで、五、六歳一気に加算されたような雰囲気になる。
「報告を聞こうか」
「パッケルン司教とソブリン神父。あと武装信者十二人」
慧は告げた。
「死体の記憶を確認したが、それで全部だった」
「破滅派に対する何か攻撃計画のようなものは?」
「いいや。司教様は破滅派を好いてはいないが、そんなことより異性とお戯れになることしか考えていなかったよ」
手をひらひらと振って慧が言えば、キャハルは自身の顎に指を当てた。
「穏健派は、どいつもこいつも自分たちのことしか考えていない、と」
「なあ、キャハルよ。そろそろ破滅派の連中を始末したいんだが?」
穏健派と言う名の、欲望に忠実なエロ親父ばかり片付けて、少々食傷気味の慧である。
「まあ、もう少し待って」
キャハルは穏やかな表情になった。しかし慧は眉を吊り上げた。
「お前は殲滅派の連中の手として、穏健派を粛清して回ってる。アタシはさらにお前が指示した奴に直接手を下してやってる」
「ああ、ケイはボクの部下として充分やってくれてる」
「誰が部下だ。アタシは部下になった覚えはないぞ」
「じゃあ……愛人?」
キャハルは慧の身体に擦り寄ってきた。どさくさに紛れて、その薄い胸に触ってくる。
「……ちけーよ」
「なに、恥ずかしいの?」
「顔はイケてるんだ、お前は」
慧は顔を背ける。
「女やってるアタシでも、ちょっと戸惑うくらい」
「君は男でも女でもないんだろう……シェイプシフター」
少年司祭は慧の太ももを枕にするように横になった。
「……今日は寂しいんだ。付き合ってくれよ」
ちっ――慧は思わず舌打ちした。だが子供のようにすがってくるキャハルの金色の髪をそっと撫でてやった。
「たまには、アタシの質問にも答えてくれよな」
「……」
寝てしまったように振る舞い、答えないキャハル。慧は再び嘆息した。
トラハダス討伐。特司祭という組織内でも特殊な地位にある少年を利用して、邪神教徒を始末して回っている慧。
組織内の派閥争い。そこから漏れてくる情報を利用する。キャハルは殲滅派に組しているが、どうもそれだけではないところがある。むしろ彼は殲滅派も見下しているきらいがあった。
何を考えているのか――喰ってしまったほうが早いが、生憎とキャハルもシェイプシフター対策の魔法を常備しているので、準備もなく始末することができない。この天才少年は変身といくつかの点から、慧の正体をシェイプシフターだと自力で看破したのだ。
彼には逆らえない、という風を装い、手駒として振る舞って見せているが、組織の全容がつかめたら、この少年を――
慧とキャハルを乗せた馬車は走る。それぞれの思惑を胸に秘め。
次回、『アルトヴュー王フォルトナー』
彼らは出会う。アルトヴューの王に。




