第二六四話、殺戮の夜
結局のところ、外は吹雪に見舞われ、慧太たちはバルブ亭に宿泊することになった。
しかしシェイプシフターの分身体たちは、吹雪もなんのその。ダシューとレーヴァに率いられた分身体連中はこの雪の中、アルトヴューの西の国境を目指して出発した。
慧太はセラやユウラたちを集めて、新たに加入した傭兵たちの件と情報のやりとりを行った。その前に、表向き新たに加わることになったガーズィが、代表として皆に挨拶した。
「東の果て、ジパングーの出身です。かつて慧太団長には、内乱により滅亡に瀕していた我が故郷を救っていただきました。今回の件はそのご恩返しも兼ねて、仲間たちと共に戦える場所を求めておりました」
適当な作り話である。セラが目をキラキラさせて慧太を見やり、ユウラやサターナなどは、ガーズィの話が作り話であることを察したが口には出さなかった。……少し恥ずかしい。
「自分らは先遣隊ですが、今後も増援が駆けつける手はずとなっております。アルゲナム奪回のために微力ながらお手伝いさせていただきます。よろしくお願いします」
見た目のいかつさに反して、生真面目なまでに礼儀正しいガーズィの振る舞いは、セラには好ましく受け取られたようだった。
「ありがとうございます、ガーズィ隊長。こちらこそ、よろしくお願いしたします」
「はっ」
ガーズィは頭を下げる。志願して加わってくれた者たちとして、セラは笑顔で迎え入れるのである。
「まさか慧太の過去にそんなことがあったなんて」
「意外だろ? オレも忘れてた」
慧太はとぼける。
会議は、慧太、セラ、ユウラ、サターナが中心になって進められた。アスモディアはユウラの秘書のように控えていて、リアナは壁にもたれて無言で話を聞き、キアハは邪魔しないように遠巻きに見ている。マルグルナはメイドらしく、テーブルに飲み物を配った後は控えていた。
ガーズィは、これまで集めたアルトヴュー周辺の情報を皆に説明した。
「――これはまだ詳細の裏はとれていないのですが、魔人軍の一隊がアルトヴューの国境を越えて守備隊と小競り合いを展開したらしいと連絡が入りました」
戦闘の規模や損害は不明ですが――ガーズィのそれに、セラは眉をひそめた。
「冬にも関わらず、魔人軍が積極的に動いている、と」
「春に向けての威力偵察、それか本格侵攻のための実地演習の可能性もありますね」
ユウラは考え深げに言った。セラは青い瞳を向けた。
「これは急いで王都へ行ってアルトヴューの国王陛下と会談しないといけませんね」
おそらく魔人軍の国境侵犯は王都でも騒ぎになっているだろう。事が大きくなればなるほど、会談すら後回しにされる恐れもでてくる。リッケンシルトへ向かい、早くも戦端を開きたいこちらとしては、その件も含めてアルトヴュー側に通告しておく必要があった。
余計な足止めや横槍が入る前に。
・ ・ ・
アルトヴュー王都に近い、バッサンという集落近郊。日が落ちる頃、吹雪は収まりつつあった。
集落に繋がる道が走る森の奥に、やや寂れた教会があった。――そこに邪神教団トラハダスの一支部がある。
そこの責任者であるパッケルン司教は、配下のソブリン神父と歩いていた。
頭髪のない頭、猛犬のような厳しい顔、やや小太りだが祭服をまとったパッケルンの姿は、黙っていれば堂々たるものがある。
付き従うソブリン神父は、何とも頼りない風貌の細い男で、ヘコヘコした調子で司教に言った。
「――魔人がアルトヴューの国境を越えたという噂が流れてきたせいか、トラハダスへの入信者が増えてきましたねぇ司教様」
「ふむ、例の銀竜騒動で、王国が役に立たないことを民も知ったのであろうな。魔人どもがやってくると聞いて、すがるものが欲しいのだろう」
パッケルン司教は、顎を突き出すように言った。
「……我々にとっては都合がよいことではあるがな」
「左様で」
ソブリン神父は手を合わせ揉み手をする。
邪神教団にすがる者たち。王国を疎み、または疎まれている者たち。銀竜による災厄によって故郷や家族を失った者。その騒動で跋扈した盗賊らによっての二次被害もまたそれなりの規模に達した。
神や国は守ってくれない――そうであるなら信じる神を鞍替えすることもまた起こる。
トラハダスの信者が増えれば、幹部は甘い汁が吸える。金がある者からはお布施の名の元にそれを徴収し、金がなければ信仰心を武器に、略奪や王国へのテロ行動をさせる。新たな混乱は、さらにトラハダス側へ流れる者を増やす。
ソブリン神父は、こびる。
「司教様、今宵もまた儀式のための粒よりの娘たちを用意いたしました」
「ほほぅ」
いかめしい表情も一片、顔をニヤつかせるパッケルン司教。信者が増えれば――こういう楽しみ方もある。邪神は肉の快楽がお好きだ。
その忠実なるしもべも。
・ ・ ・
ぐぇっ――暗がりの中、トラハダスの武装信者が血を吐いて倒れた。
ドクロを模した仮面をつけた人影が、教会の通路をひたひたと進む。その身体つきは女のもの。
通路の向こうから明かりが漏れる。人が来る。現れたのはトラハダスの武装信者が二人。
仮面の女は直進。迫る影に気づいた武装信者は驚く。
「!? 侵入者か――」
腰の警棒に手をかけた時、影は跳躍。信者の目と鼻の先にまで肉薄する。
「――!」
刃が一閃した。信者は喉を割かれ、その場に膝をつく。
もう一人――侵入者を告げる警報を鳴らそうと近くの鐘のもとへ走る。伸ばした手が、鐘に届く……より前に、後ろから飛んできたダガーが手の甲を貫き、壁へと武装信者の右手を磔にした。
すっと影がよぎる。振り返った信者。吐息を吹きかけられるほどの至近距離。眼に大きく映るドクロの仮面に、信者の顔はこれ以上ないほど引きつる。
次の瞬間、脳天を凶器が貫いた。
・ ・ ・
「司教様、あの噂は本当なのでしょうか」
歳若いソブリン神父は、不安な表情を浮かべる。
「トラハダス狩りをする神出鬼没な暗殺者がいるという話……」
「ああ、トラハダス内の穏健派を抹殺しようと、破滅派が差し向けた刺客かもしれないという奴のことか」
「そうなのですか!?」
びっくりするソブリン。パッケルン司教は、顔をしかめた。
「そういう話もあるということだ。信者から金を吸い上げ、甘い汁を吸えば人生楽に生きられるものを、破滅派の連中ときたら……」
邪神教団トラハダス。その内部での考え方は一つではない。邪神を崇拝するという教えのため、西方諸国の主な宗教である聖教会や、それを信奉する国々はトラハダスの攻撃対象ともなっている。
それらテロ攻撃の中心となっているのは、破滅派と呼ばれる者たちだ。世間や国に怒りや復讐心を抱き、この世のものはリセットされなければならないと考える破壊志向者たちだ。
一方、穏健派と呼ばれる者たちもまたトラハダスには存在する。もっとも破滅派に対しての穏健派という呼ばれ方である。
実際は、己の欲望を満たし快楽にふける享楽派ともいうべき者たちだ。これらは喪失を埋めたい者や病んだ者たちから金品資材を吸い上げ、性的な行為や薬物などを常習的に繰り返している。こちらはテロ行為にはさほど関心がなく、まして世界の破滅など望んでいない。
両者の間には、前々から対立はあった。だが魔人軍による大陸侵攻が始まり、リッケンシルトが戦火にさらされた辺りから、その対立は激化した。今こそ世界の破壊を、と叫ぶ破滅派が勢いをつけ、己の快楽を重視する穏健派を攻撃し始めたのだ。
「我々は大丈夫でしょうか……?」
ソブリン神父が言えば、パッケルン司教は口をへの字に曲げた。
「我らは、表立って穏健派というわけでもないからな。破滅派連中にも必要な援助はしている」
だが、己の欲望を性的な行為で満たそうとはしている。今からも若い女たちと裸での儀式を――
そうこうしているうちに儀式の間に到着した。ソブリン神父が扉を開ける。パッケルン司教は、それまでの憂鬱な思考を振り払った。
いまはそんなことよりも愉しいことをして忘れよう――彼は現実から逃避したのだ。
次回、『トラハダスの内紛』
組織内の亀裂は決定的なものになりつつあった……。




