第二五九話、国境侵犯
魔人軍内の第一軍から第三軍までの軍数字が入れ替わったのは、一年と数ヶ月前になる。
それまで第一軍が第三軍に。第二軍が第一軍となり、第三軍が第二軍となった。
第一軍指揮官、サターナ・リュコスの行方不明。七大貴族の筆頭だったリュコス家、その当主デモス・マルキ卿が没したことで、七大貴族間での力関係に変化が訪れた。
シフェル・リオーネが率いた第二軍が、新たな第一軍となり、ベルゼ・シヴューニャの第三軍が第二軍へ。七大貴族の筆頭は、いまやリオーネ家のものと言っても過言ではない。
その第一軍を率いるシフェルは、戦果に飢えていた。
宿敵、白銀の一族が収める聖アルゲナム国を攻撃したのは、目下シフェルのライバルであるベルゼ率いる第二軍、妹分であるベルフェ・ド・ゴール率いる第四軍、そしてルナル家の女狐が指揮する第六軍と、現在行方不明のアスモディア・カペルの第五軍を投じたものだった。
この頃、本国での地固めを行っていたシフェルは前線に出ることはなく、続くリッケンシルト攻略においても、第二・第四軍が先鋒を務めた。
しかし、例のアルゲナム王族の生き残り、セラフィナにより第二軍は大打撃を被り、前線を去った。リッケンシルト攻略は第四軍に、シフェルの第一軍が加わる形で推移したが、続くアルトヴューの攻略は、冬が訪れたことで春以降へと持ち越しとなった。
だが――
シフェルは、何もせず春を待つような指揮官ではなかった。自らを堕天使とのたまう変わり者ではあるが、光速のシフェルの異名を持つ苛烈かつ、大胆な機動戦術を得意としていた。
その日、アルトヴュー王国、西の国境線に位置するダンザ砦は、無数の魔人兵の空からの襲撃を受けることになる。
雪が上がり、厚い雲の層から日差しが差し込むなか、空を埋めつくす勢いで迫ったのは魔人軍第一軍所属の飛翔兵大隊。
翼をもった魔人たちはクロスボウや空中弓と呼ばれる飛行時に用いる独特の弓、または投げ槍を持って、ダンザ砦の守備隊に襲い掛かった。
魔人軍攻撃の兆候はあった。
二日前、国境に魔人軍の連隊規模の移動が報告され、近辺のアルトヴュー軍守備隊は警戒を強めていた。昨日は雪が降ったが、魔人軍の進撃に対して過敏になっている兵たちは、凍える寒さの中、敵の進撃に備えた。
夜襲はなく、夜が開け、少し気が抜けたまさにそのタイミングだった。しかも想定外である空からの襲撃。地上を進むより遥かに早い彼らは、あっという間に砦に迫り、まず魔法を使える空中魔術師による先制の雷撃を放った。
砦の見張り台が吹き飛び、城壁の歩廊で睨みを聞かせていた兵たちが初撃の餌食となった。
「敵襲ーッ!」
角笛と合わせて響いたその声に、交代で休んでいた兵らも飛び起き、外へ出る。だがそこには砦上空へと侵入を果たした飛翔兵らの矢弾が雨の如く浴びせられた。
「『ゴレム』起動! フレイムガン砲台、射撃用意! 急げ、空からの襲撃だっ!」
当直の指揮官が指示を飛ばす。怒鳴り声に叩き出される形で、飛び起きた兵たちが配置へと向かう。兜をかぶり、剣や槍、あるいはクロスボウを手に。
砦の中庭には、駐機されていたゴレム――四角い胴体に逆関節の脚を二本持つ歩行機械兵器が四台。むき出しのコクピットのかけられていた雪の乗ったシートをどかしながら、操縦士が魔石動力に火を入れる。
「砲台、どうした!? さっさと敵を撃たんか!」
指揮官が怒鳴りつければ、砦の高所に設置された砲台――火の玉を魔石の力で撃ち出すフレイムガンに取り付いていた兵士が怒鳴り返した。
「隊長! 砲の仰角がとれません! 照準不能!」
なんだと!? ――指揮官は歯をむき出しにする。
もともと砦防衛用の兵器であるフレイムガン砲台は、地上の敵を撃つためのものだ。空からの襲撃に備えたものでないため、空の敵に対して砲身を向けることができないのである。
うわっ――そうこうしている間にも、砲の配置についていた兵らが魔人飛翔兵の餌食になっていく。敵兵は砦の壁を越え、中庭へと侵入を果たす。
「発進!」
ようやく動き始めたゴレムが畳んでいた二脚を起き上がらせ、立ち上がる。フレイムガンを胴体に内蔵した歩行兵器は敵歩兵の届かない高所から攻撃できる利点があるが――
空から舞い降りた魔人兵のクロスボウが、容赦なくゴレムのむき出しの操縦席、それを操る操縦士を射殺した。
せっかく起動したばかりのゴレムが操縦士を失い、後ろへと倒れこむ。一台のゴレムが胴体を限界まで上に向け、フレイムガンを一発放ったが、魔人兵にはかすりもしなかった。逆に突っ込んできた敵兵に操縦席に飛び込まれ、爪剣で刺殺されてしまう。
「くそっ……」
決死の反撃を行う砦の守備兵。クロスボウが敵飛翔兵を一人叩き落せば、その倍近い矢を集中され、雪に沈む。
空中で円を描くように機動する魔人飛翔兵たち。地上の守備隊は側面、背後を突かれ、またたく間にその数をすり減らしていった。
襲撃の狼煙を上げて、周囲に魔人軍侵入を報せる余裕はなかった。砦の兵は魔人兵らによって全滅した。かろうじて、馬に乗った伝令が離脱に成功したが……それすら、第一軍指揮官シフェルの目論見どおりだった。
ダンザ砦、そこより北にあるボルド砦もほぼ同時に陥落したが、こちらは伝令が出ることも許されず、全滅した。
・ ・ ・
一方、ダンザ砦陥落を伝令の報せを受けた前線近くのネール城から、魔人軍を迎撃すべく部隊が出撃した。国境の他の守備隊予備――魔人軍の襲撃近し、と増員されたいた部隊だ――と合流し、雪道の中をダンザ砦目指して進撃した。
ネール城城主カラバン伯爵は、歩兵と弓兵を中心とした部隊を率いていた。季節が冬でなければ騎馬も使えたが、食糧の輸送と雪道であることを考えた結果、馬の数は貴族や騎士らのみと少数となった。
騎兵はないが、かわりにゴレムを二個分隊八台、牛に似た動物であるベバルに牽引させ運んでいる。
「伯爵閣下。伝令の話では、敵は空から襲撃してきたようですが」
馬上から配下の騎士長が言えば、同じく馬に乗るカラバン伯爵は、そのハチの字髭をピンと撫でた。
「案ずるな。こちらも弓兵を多く連れてきた。いかに空中の敵といえど、その射程についてはほぼ互角。身を隠す場所のない空中など、弓矢による密集射撃で応戦すれば、平地でいるのとさほど変わらん」
だがこの時、伯爵はひとつ思い違いをしていた。引力の関係上、高所から撃つほうが地上から上方へ放つより射程が延びるということを。つまり、距離をとった射撃戦では自軍が不利だった。
連れてきた歩兵は、雪道での移動を考え、鎧は軽いものにさせた。だが盾だけは大盾をもたせた。これも魔人の空中からの弓矢に対する備えである。歩兵たちが密集することでのシールド・ウォール(盾の壁)形成には支障はない。
戦意は旺盛だった。カラバン伯爵自身、国では武闘派で知られる騎士貴族である。その兵たちもまた勇気について不足はない。
ダンザ砦を目指し、道は次第に南へと向かう。右手側が国境線。そちらには葉っぱの散った木々が乱立する森がある。カラバン伯爵軍は行軍隊形で進む。
だがその時である。前方の空に、ゴマ粒のような小ささだが飛翔する物体が複数見え始めたのは。
「……む、魔人の飛行部隊か?」
カラバン伯爵は声高く叫んだ。
「歩兵は前衛、防御隊形! 弓兵隊、射撃隊形に展開、急げ!」
次回、『サージ・ヴェランス』
魔人軍第一軍、第一騎兵連隊指揮官とその部隊は、アルトヴュー王国軍に牙を剥く!




