第二四九話、マルグルナの正体
さすがにおかわりは想定していなかった。
最初の十人の時点で、兵力のすべてを出さず、増援が必要なら今のように現れる。
また振り出しだ。
だがセラにとって状況は最悪だった。
マルグルナが矢を受け、しかもいま雪の上に横たわっている状態。敵のクロスボウ持ちはすでに構えていて、立ち上がる前に矢を撃つだろう。
――この姿勢で、光弾を放つ……それでも一人やれば上出来。残りの者から撃たれる!
手詰まりか。
その時、マルグルナはセラの耳元で告げた。
「姫様、私が盾に使ってください」
「え?」
耳を疑った。盾に、とは――自ら敵の矢をその身を挺して引き受けることを意味している。彼女にそこまでの忠義を見せられ、心揺さぶれるものがあったが、もちろんそれにすがれるはずもなく。
「そんな馬鹿なことはできない!」
「……それしかこの状況を切り抜ける方法はないと存じますが」
「いや、でも――」
その間にも、黒装束たちは、じりじりと距離を詰める。すぐに飛び込んでこないのは、セラの魔法を警戒しているのかもしれない。
「あ」と、マルグルナは思い出したように言った。
「もしや……、私の身を案じていらっしゃるのでしたら、心配は無用です」
私は人間ではありませんから――マルグルナは真顔で告げた。
「は?」
「私は、シェイプシフターです」
自らの腰に刺さっていた矢を抜くと、それをセラに見せた。……血がついていなかった。
「矢弾をいくら浴びても平気です。おそらく物理攻撃に対しては最高の盾かと」
淡々と言ってのけるマルグルナ――シェイプシフター。
「なので構わず盾に……あぁ――」
唐突に、黒髪のメイドは顔を上げた。
「どうやら、救援が到着したようです」
「え?」
セラも顔を上げた。銅色の空を漆黒の飛竜がよぎった。
風が舞い、雪が散った。
咆哮。
黒装束の男たちは一斉に頭上を見上げた。
突如飛来した飛竜。それはゆるりと馬車上空を旋回した。飛竜の背には外套をまとった黒髪短髪の戦士の姿。セラは思わず相好を崩した。
「ケイタ……!」
飛竜が馬車――その荷台の上にいた敵射手に襲い掛かり、足でその身体を持ち上げた。
他の黒装束のクロスボウ持ちが飛竜に矢を打つが、その身体はビクともしない。
代わりに飛竜の背中からケイタが飛び降りた。彼は馬車右側にいた黒装束たちめがけて手のひら程度の大きさの爆弾を放り投げる。
走者を刺す捕手の如く力のこもった一投が一人に直撃し、そのまわりにいた者たちも爆風と衝撃で吹き飛んだ。
ケイタは、左側の敵へと突進する。近接武器を持つ敵には相手の攻撃をかわしてからのカウンター。それはまるで風。彼は一度も止まることなく流れるように駆け抜けると、五人の黒装束は雪上に屍をさらした。
一方、爆弾を受けて倒れたうち、二人がまだ生きていた。だがそこまでだった。混乱に乗じて立ち上がったマルグルナが、それらにトドメを刺したのだ。
飛竜が舞い降りた時、決着はついていた。
・ ・ ・
黒装束の集団が全滅したのを確かめた慧太は、その場からセラのもとに駆けた。
半ば呆然としている銀髪のお姫様――もっとも今はフードを被っているので、その煌くような銀色の髪は見えないが。
「セラ、無事か!? 怪我はないか?」
「……」
彼女は何か言いかけ、しかしそれより早く慧太に抱きついた。
「お、おい……」
「ケイタ……」
ぎゅっと抱きしめられる。慧太は彼女の背中に手を回し、背中を撫でてやる。
「どうやら怪我はなさそうだな」
「……」
「ひょっとして、泣いてる?」
「泣いてない……」
「嘘つくな。泣いてるだろ?」
「泣いてない!」
バッと顔を上げたセラ。しかし感極まっているのか目には涙が溢れているようだった。
「ほんと、あなたときたら……」
ありがとう――またも抱きしめられた。慧太は安堵しながら、彼女が被っているフードをはずした。落ち着かせるために髪を撫でてあげようと思ったのだが。
「……」
慧太は目を見開いた。あの長かった美しい銀髪、それが短くなっていた。思いがけないショートカットに、しばし驚く。
「……髪、切ったのか」
「うん」
セラは返事した。だがそれ以上は言わなかった。何があったか知らないが、きっと何か考えがあるのだろう。慧太は、セラがそれを口にするまで聞かないことにした。
「マスター」
マルグルナの声。見れば、外套をまとう黒髪メイドが背筋を伸ばして立っていた。
――マスター、か……。
慧太は、そう呼ばれた意味を理解した。というより、事前にマルグルナに告げていたのだ。シェイプシフターであることがセラにバレたら、『マスター』と呼んで知らせるように、と。慧太はセラの中では『シェイプシフター使い』ということになっているのだから。
「よく、セラを守ってくれた。ありがとう」
「恐れ入ります」
マルグルナ――慧太の分身体は頭を下げた。周囲に彼女がいることに気づいたセラは、慌てて慧太から身を離した。羞恥をおぼえたのだろう。
「それにしても、まさか飛竜に乗ってくるとは思わなかった」
取り繕うようにセラが言えば、慧太は視線を漆黒の飛竜へ向けた。
「最初は馬だったんだけどな。雪がひどくて地上を走るのが思ったより遅かったから。そらなら空にって」
「じゃあ――」
「ああ、アルフォンソだ」
名前を呼ばれたからか、飛竜は小さく返事した。そこでセラは気づく。
「あれ、さっきまでそこにあった馬車は……?」
「ああ、それならアレか?」
慧太は西のほうへ去っていく馬車を指差した。人はいないが、二頭の馬が馬車を牽いている。
「アルフォンソにビビったんだろう。飛竜なんて見たら、そりゃ馬は逃げるさ」
慧太は朗らかに笑う。
「何にせよ、間に合ってよかった。雪のせいと嘆きたくなったが、結果的に空を飛ぶことになったわけだから、感謝してもいいかもな」
「そうね」
そうでなければ、セラは黒装束集団に囲まれた危機を脱することができたかどうか。
「また会えてよかった」
銀髪のお姫様は慧太に、再度抱きついた。今度は軽い挨拶程度の抱擁だったが。
「ああ。オレも嬉しいよ」
慧太は頷いた。そこで笑みを引っ込める。
「アルゲナムへ、戻るんだろう?」
「ええ」
セラも神妙な顔になった。
「ライガネンは助けてくれないけれど、ただ待っているわけにはいかないから」
次回『再出発』
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